座標さえ認識できれば、あとは直接肉眼で見ているかのように簡単である。
青みの勝った強化ガラスの壁面で飾られた、瀟洒な高層ビルである。
イベントが連日のように開催される場所。
この国のメディアに接したことがあれば、都民でなくとも名前くらいは何となく聞いたことがあろう。
そこの、地面からはやや高くなっている、ささやかなテラスが設えられた一角。
小ぶりな噴水の横に、その影はある。
先ほど燃やし尽くした分身たちと同じ、不気味な意匠の被衣をかつぐ大柄な男。
大柄だとはわかるが、だぶだぶの装束のせいで、体つきはまるでわからない。
おまけに被衣の顔の部分には深い影が貼り付いたようにわだかまり、顔が外からは一切見えない。
しかし。
右手に何か握っているのは、少し離れていてもはっきりとわかる。
「そこかぁーーーーー!!」
裂帛の気合と共に、アマネが真紅の翼で急降下する。
同時に、扇を打ち振り、衝撃波を放つ。
小型ミサイルでも着弾したかのように、風情あるテラスが破壊される。
かぼそい噴水が砕け、床のタイルが巨人の槌で叩きつけられたかのように粉々となり、建物に続くひさしの部分がハリケーンで屋根が破壊されるようにやすやすとひっぺがされ飛んでいく。
遅れて砕けたガラスが、ばらばらと降り注ぐ。
「きゃー、ちょっと!? 『マリー=アンジュ』もあるんだから、穏便に、ね!?」
そう口にしつつも、アマネに遅れてそのテラス跡に降り立ったエヴリーヌは、そう慌てている風でもない。
ただでさえダイヤモンド、しかもあらゆる魔力の源泉とされるほどの強大な魔宝珠である「マリー=アンジュ」は、この程度の衝撃波では破壊される訳もないと確信しているのだ。
しかし。
降り立ったその場に、恒果羅刹の姿はすでにない。
「えっ、どこ……」
「ビルの中に逃げ込んだか」
言われて残骸を踏みしめながら、エヴリーヌがアマネの背中越しに崩れたひさしの間を覗くと、まるで空中を滑るように通路の奥に消える恒果羅刹の背中がよぎる。
「……中に……こんな時に。罠かしらね?」
エヴリーヌは明らかにうさん臭さを感じているようだ。
わざわざ、一瞬姿を見せた後に、建物の内部に誘い込む。
外、目と鼻の先では、涼が変身した怪物が暴れまわっており、屋内が危険であることは子供でもわかる。
あの巨体、あの前脚でビルごと崩されたら生き埋めになるしかない。
「なあに」
アマネは獰猛そうににやりと笑う。
「やり方はある」
◇ ◆ ◇
恒果羅刹は、自らの術によって、宙を滑るように上階に向かう。
不気味な被衣がひらひたなびく様子は、まるっきり地獄から這い出した亡霊のよう。
脳裏を焦がすのは、どうも思い通りに進まなくなった計画のこと。
そもそも、ケチの付き始めは、あの天狗の女が介入してきたことである。
本来であったなら、あの闇路をエヴリーヌと噛み合わせて両方潰す予定であった。
しかし、あのアマネとかいう天狗女がエヴリーヌ側に付いたことで、雲行きが変わったのだ。
すっかり頭に血が昇っていた闇路が、正気に還る時間稼ぎをさせる破目になってしまったという訳だ。
結局、闇路は、エヴリーヌが息子殺しの犯人ではないと感付いてしまったとしか思えない。
もはや、ここまで計画にほころびが生じたら、リカバリの手段は限られる。
その、数少ない手段が、涼という訳である。
恒果羅刹は、床から天井を直接すり抜け、すぐ上の階に上がる。
近隣一帯、どこもそうであるが、涼の発する瘴気のお陰で、建物内部には業病で悲惨な死を遂げた人間の残骸が転がっている。
さながら、悪趣味を極めた芸術家が作り上げたオブジェだ。
すでにほとんど人間の形を留めぬほどに変形した骨の山。
日本産吸血鬼の撒き散らす業病は、物理法則を無視するほどの、急激な肉体の変形を伴い、それが完全になったところで、全身の軟組織が腐液となって流れ落ち、完全なる死に至る。
屋内には猛烈な腐臭がたちこめ……
ふと。
恒果羅刹は、立ち止まり、背後を振り返る。
どうもおかしい。
誰も付いてきている気配がない。
あの女人外二匹、踏み込んだら発動する罠をビルの要所に仕掛けたはずだが。
訝しい表情で周囲を見回し、術で気配を探ろうと集中したその時。
凄まじい爆発音が、恒果羅刹の耳をつんざいた。
◇ ◆ ◇
「え? ええ、ちょっと、何する気?」
いきなりテラスから飛び上がり、上空に羽ばたくアマネの背中を、エヴリーヌは追うしかない。
「まあ、お招きには応じてやるということだ。天狗流のやり方でな!!」
アマネはいつにもまして不遜な笑みを浮かべるや、あれよと言う間に、高層ビルの上部壁面に向かい合う。
ぎらぎら光る青い強化ガラス、そこにアマネとエヴリーヌも映っている。
屋内を覗き込まなくともわかる。
内部は異星人の納骨堂のようだ。
涼の日本産吸血鬼の能力の暴走のお陰で、周囲一帯に業病がばらまかれた。
あの怪物から逃れても、どのくらいの人間が死んだだろう。
「そうら、出て来い!!」
叫ぶなり、アマネは横ざまに扇を打ち振る。
飛び出した最大出力の衝撃波は、脆い飴細工のようにビルの上部を吹きとばす。
大音声。
青いガラスが氷雨のように飛び散り、まるで殴られた人のように、ビル上部がねじれて倒壊する。
一瞬ゆっくり滞空した後、十数階分の構造物が、破砕された面を露わにしながら、地面に向かって落下。
隣のビル数棟の上に、横ざまに落下し押し潰す。
「ちょ、ちょっとーーーーーーー!?」
あまりのことに凍り付いていたエヴリーヌは、アマネが更に下部に移ったのを見て、慌てて手を伸ばすしかない。