「へえ、その、市原さんて子が、春休み前から行方不明なんだね?」
「うん、一年の三学期の終わりから学校に来なくなっちゃったんだよね。家出したって聞いたけど、家族仲が悪いとか聞いたこともなかったし、なんで急に!? ってのが正直なとこ」
「本当は、二年生で私と同じクラスになるはずだったんだって。愛実(まなみ)の席だけ、うちのクラスでぽつーーーーって空いてる」
礼司は、輝く笑顔と愛想を振りまきながら、運動部の部室の立ち並ぶ部室棟の廊下で話し込んでいた。
礼司の正体は猫又だ。
猫又とは、幻惑し、操る者。
特に愛想を振りまかなくても、礼司の視線に捕らえられた者は彼の思い通りに振舞うものだ。
だが、表向きは愛想のいいイケメン男子相手に、女子生徒が口が軽くなった、という状況を装う方が「自然」である。
かくして、礼司はたまたま部室棟の廊下で捕まえた陸上部の二年生女子数人相手に、もっぱら――妖力を使って――聞き込み中という訳である。
「その子が家か、学校が嫌になったとして……何か、原因あるのかなあ? 誰かとトラブルがあったとか、嫌われてたとか?」
もしかして部活内でのいじめでもあったかも知れないが、あえてオブラートに包んで、礼司はそんな風に尋ねる。
「いやぁ。性格はいい子だし、見た目も可愛いし、嫌われてるとか、いじめられてたとか、そういうことは……」
右の子が首をひねれば、左の子がすぐさま割り込んだ。
「あ、でも、トラブルってほどじゃないけど、部活のことでは悩んでたと思うよ」
「ん? 部活で市原さん、どんな悩みがあったのかな? 何か聞いたことがある?」
柔らかい口調で促すと、その女子生徒はやや頬を染めながらも、きっぱり答えた。
「記録が伸び悩んで……。陸上部の顧問の佐藤先生に、すっごく怒られてるの見たことがある……」
声をひそめ、その女子生徒はささやいた。
「あ、私がこんなこと言ったなんて、佐藤先生に絶対に言わないで下さいね!! このことでは佐藤先生も、ナイーブになってるっていうか……」
さもありなん。
礼司は腕組みした。
きゅっと端正な眉を寄せた表情に、周囲の少女たちは――妖力で魅惑されているのもあるが――うっとりしている。
下手をすると、部活のことで悩んだ挙句、どこか人目につかないところで自殺でもしている可能性がある。
それが自分がきつく叱ったせいだと言われれば、その佐藤という教師は社会的に抹殺されかねない。
部活の生徒には緘口令を敷いたであろうことは、想像に難くない。
礼司も体育教師の佐藤という人物のことは知っているが、悪い意味での体育会系にかなり寄っている。
これは早速当たりが来たかも知れないが、もしこの想像が当たっているとして、今、彼女は……市原愛実(いちはらまなみ)という少女は、どこで「どうなって」いるのだろう。
自殺だとして、遺体が見つかったという話は聞かない。
なら、どこで自殺したのか。
自殺者は、遺体をねんごろに弔い、無念の思いを受け止めてやれば、多少はなんとかなることが多いものだ。
遺体の場所を探り当て、それなりの儀礼でもって葬送し、悪霊化している彼女の霊魂を鎮撫するなり強制的に成仏させるなりする。
場合によっては、その原因になった人物の謝罪や、それなりの社会的制裁などが加えられているところを見せて納得させることが必要かも知れない。
しかし、そうなると……
「ねえ。市原さんがよく行ってた場所なんか知らない? 自然が多いところとか、思い出の場所とかって聞いたことないかな?」
礼司がそう突っ込むと、女子生徒たちは考え込んだ。
「市立のNグラウンドなら……すぐ近くに、キャンプ場があって、夏休みに数日陸上部で借り切って強化合宿したけど……」
郊外の普段は人気(ひとけ)のないグラウンドの名前を出されて、礼司の目が底光りした。
その時。
「おい、お前ら、なにしてる!!」
耳朶を打つだみ声が、部室棟の廊下に響き渡った。
「あっ……佐藤先生」
陸上部の女子生徒たちの顔が青ざめる。
よりにもよって、噂にされていた本人が廊下にいつの間にやら姿を現していた。
「ゴリラ」という言葉で想像されるような特徴を、残らず備えた、中年男性教諭だった。
筋肉質で大柄、色黒で、鼻の潰れた大きな顔、薄汚れたジャージ。
「そこの三年生!! お前何部だ!!」
怒鳴られても、礼司は平然とした態度を崩さなかった。
「あ、どうも、オカルト研究部の部長です。新学期最初の活動ということで、学校の七不思議を調べていたんです。でも、運動部の部室棟って、あんまりそういうのはないみたいですね」
礼司は咄嗟に嘘をついた。
自分を守るためであるが、自分に情報提供してくれた、陸上部の女子生徒たちを守るためでもある。
ちょっとおぞましいが、佐藤にも魅惑の視線を飛ばして敵愾心を折っておく。
「ふん……つまらんことを。他を当たれ」
魅了が効いたらしく、思いのほか穏やかに、佐藤は礼司を追い払いにかかった。
しっしっ、と手で払う。
「はい、失礼しました。みんなも、ごめんね、つまらないこと訊いて」
目顔で合図し、口裏合わせの了解を取り付けて、礼司は優雅に一礼すると、颯爽と立ち去ったのだった。