10-2 オディラギアスとレルシェント

◎オディラギアスの場合

 

 朝の日課、街角のライブカメラを、オディラギアスは確認した。

 市場では、もうそろそろ人が引ける時刻だが、それでも映る人影は少なくない。

 龍震族が割合としては多いが、実際には様々な種族の姿が見られ、なかなか見ごたえがある。

 霊宝族も、彼らとの混血種族も目立つ。

 ぴょんぴょん跳ねる、真っ白な鱗の龍震族の子供を見付けて、オディラギアスは我知らず微笑んだ。

 その幼子が、親に連れられて幸せそうだったから。

 

 王の政務と言っても、すっかり文明化された今日(こんにち)では、随分と楽なものになる。

 

 ゼーベルが回してくれた資料を空中投射の画面上で開きながら、オディラギアスは予定していた通信チャンネルを開いた。

 

『朝早く申し訳ありません、オディラギアス王。ご配慮、感謝いたします』

 

 画面上に現れた姿と声は、メイダルの少女王アイルレーシャのものだった。

 

「いえ、私も早めにこの議題はお話しいたしたかったので。――ご要請の、香り小麦の輸出増の件ですが、これは問題ありません。多少、上乗せも可能かと」

 

 オディラギアスは即座に資料を送る。

 確認した少女王は、ほっとした様子で微笑んだ。

 

『ありがとうございます。まさか、ここまで香り小麦の消費量が増大するとは、わたしも思いませんでした。急なことなのに、ご対応下さる陛下には感謝しております。さて、そちら様ご要請の、教育技能を持った人材派遣の件ですが、人数は用意できそうです』

 

「おお、有り難い。なにせ、ルゼロスは教育インフラが壊滅的でしたからな、スフェイバはともかく、地方の教育機関の教師がやはり足りないのです」

 

 メイダルから導入した高度な文明の管理維持には、国民の教育程度の向上が欠かせないが、何せ言葉の通りに、かつてのルゼロスの教育程度は最悪に近かった。

 前王は、国民の教育になど、なにほどの価値も認めていなかったのだから。

 

『暗愚な統治者が、まず削るのが、民の教育だと申しますからね……御苦労、お察しいたします』

 

 少女王が同情交じりの苦笑を浮かべた。

 

『今回の教育技能保持者の若手の多くが、あなた様のファンですよ、オディラギアス陛下。TVとネットで教育技能保持者の募集をかけるのと同時に、あなた様のインタビュー番組の再放送もしたのですが、効果絶大でした』

 

 メイダルで「教育」というと、地上種族が少し前まで考えていた、紙とえんぴつでカリカリやる、ああいうレトロなものと、少し違う。

 基礎の基礎の部分は、比較的アナログな方法で訓練しなければならないが、それ以降、脳に「学習」の回路ができた後は、脳に魔力で直接知識を送り込む、という方法が採られる。

 これが可能になれば、今まで数百時間も費やしていた「教育」は、一時間程度に短縮できる。

 ただ、この前段階、「学習」の回路を脳に作り上げる基礎の部分からしてルゼロスは後退しており、その部分も補ってくれる「教育技能保持者」、つまり教師役が絶対的に不足していた。

 教育インフラの充実している隣国ニレッティアに、こういう部分では後れを取っている。

 

『龍震族の方々は、学習回路さえ確保してしまえば、むしろ学習はスムーズにいく種族でいらっしゃいますからね。ニレッティアとの差も、間もなくなくなるでしょう』

 

 オディラギアスの気持ちを読んだように、アイルレーシャは気楽に口にした。

 

『そう言えば、レルシェはどうしています?』

 

 その問いに、オディラギアスは満面の笑みで口を開き――

 

 

◎レルシェントの場合

 

「うーん、ここのシーンは大切なのだと思いますけど……複数視点からの描写が必要ですかしら……」

 

「そうね……やはり、フォーリューンの村長様に、インタビューを申し込んだ方がいいでしょう」

 

 王妃の執務室で、義母のスリュエルミシェルと顔を突き合わせ、レルシェントは呻いていた。

 

 王妃としての政務はいくつかある。

 メイダル、特に実家である大司祭家との連携確保などはその一つだが、この場合はまた勝手が違った。

 

 六英雄の冒険を、文章記録にしてまとめるという仕事は、ルゼロスの新政権発足時からの課題だった。

 

 これはルゼロスのみならず、六英雄に関わる全ての国――メイダル、ニレッティアにも待ち望まれている事業であり、単なる娯楽の提供などとは訳が違う。

 この記録を元に、各国で国史の一部が編纂され、そして教育機関で使われる教育用テキストになるのだ。

 

 特に、前王の悪政によって極限まで教育という機能が削られていたルゼロスでは、このテキストの公式発布は、教育現場で待ち望まれていた。

 こうした冒険ものとも言えるようなテキストは、冒険心旺盛なルゼロスの龍震族にとって、極めて効果的な教育用テキストになると目されており、肝心の基礎教育を拡充する上で欠かせない資料だったのだ。

 

 すでに前段階としてネット上に一部が公開されているが、アクセス数は膨大に上り、国民的、いや世界的な注目の高さがうかがえた。

 

「フォーリューン村の平素の様子も、補足的に説明を入れた方が……」

 

「そうね、マイリーヤちゃんとイティキラちゃんにもう少し詳しく話を聞かないと。多分、ルゼロスとメイダルの国民には、ぴんと来ないでしょうしねえ」

 

 割と興味深い題材だと思うのだけど、とスリュエルミシェルが口にする。

 

 レルシェントだけでなく、スリュエルミシェルまでこの六英雄の記録編纂に関わっているのは、ひとえに彼女の文官としての能力の高さと、文才の故だ。

 レルシェントだけでは見逃してしまいそうな、国家間の文化の差異などに関する解説、そして文章として構成した時の読みやすさなど、彼女の助けを受けて、レルシェントはその記録を構成していった。

 

「……レルシェ、大丈夫? いい加減、体に影響が出るころだから。午後まで少し休んだ方がいいわ」

 

 義母に促され、レルシェントは、普段とは違うゆったりしたドレスに包まれたお腹を見下ろした。

 少し、目立つようになったなと、思いながら。