「ふむ、この方もシロですね」
いきなり、そんな声が聞こえてきて、レイモンドは意識が急激に浮上していくのを感じる。
「え……?」
目を開ける。
自分が、いた。
寝ぼけ眼の自分が。
見覚えのある、緑色の目に、暗めの金髪が乱れている。
どこかに横たわっているのか、しわくちゃなシーツにくるまって……
「えっ……あっ……!!」
レイモンドは起き上がろうとする。
目の前の「自分」が遠ざかって行く。
「先生、申し訳ありません、この人たちは大丈夫ですから……!!」
いきなり聞き覚えのある声で告げられ、レイモンドは今度こそはっきり目覚める。
呆然と、レイモンドはベッドの上に起き上がる。
見覚えのある、滞在していた「月夜が原」の、領主の城だ。
高い天井に壁にタペストリー、がっちりした暖炉。
レイモンドの横たわっているベッドの周囲に、きらきら輝く、大きめの「鏡」が浮いている。
いや、本当に鏡だ。
呆気にとられた、いかにも学究の徒らしいと言われるレイモンドの顔が幾つにも増殖している。
「失礼、レイモンド博士。どうしても、お休みの間に確認しておきたかったものですから」
滑らかな深い響きの男の声に、レイモンドははっと顔を上げる。
鏡の向こうに、不思議ないで立ちの男がいる。
瑠璃色の絹に、銀糸で複雑な紋様を縫い取った、ゆったりした異国的な装束の男。
涼し気でありながら色気もある、アジア系の顔立ちだ。
頭部には、鏡を掲げた、煌めくサンゴのような角がそびえ、腰の後ろの竜のような、長くたなびく宝石の鱗の尾が伸びる。
彼の横に、見慣れた助手兼弟子の愛らしい顔が見えるが、なんだかとても気づかわし気だ。
どういう訳だか、両腕の中にカモメみたいな海鳥を抱えている。
「レイモンド博士!! 良かった、私たちへの疑いが晴れましたよ!!」
助手が、ドーリーンが口にすると、その腕の中で、カモメ?がニャアと鳴く。
何だこのカモメ。
「うーん、この学者さんでも、助手さんでも、さっき確認した護衛の兵隊さんでもないんだろ? 犯人って、もうこの辺にいないのかな」
ドーリーンの後ろで腕組みしているのは、これも異国風の長い刀を持った、若く見える男だ。
こちらもアジア系に見える。
サムライだろうか?
レイモンドは、ベッドから降りる。
「ドーリーン!? これはどういう……この人たちは何者なんだ!?」
「博士。この人たちが、キノコ獣を退治した人たちです。領主様のご依頼で、この人たちも、キノコ獣を創り出している犯人を捜してくれることに」
レイモンドははっとして彼らを見回す。
「……僕も疑われていたということだったのですね。今回は妖精郷の外の人間が怪しいと踏みましたが、あなた方も遠くから来た方ですね?」
冴祥が、代表してうなずく。
「ええ。恐らく、あなたが調べているものの正体を、我らは追っているのです。レイモンド博士。封印された邪神の話を、聞いたことはありませんか?」
レイモンドは目を見開く。
それは、遠いところで起こった恐ろしい話のはずだったのだ。
ある神が封じた邪神。
それが、まさかこの妖精郷にあるという話だろうか。
「レイモンド博士、よくよくご説明申し上げなければなりません。お疲れのところ申し訳ございませんが、起きてきていただけますか」
鏡の男が、丁寧に要請し、レイモンドは覚悟を決めたのだった。
◇ ◆ ◇
「あっ、グレイディ!? 久しぶり!! 良かった、なんかどっかで船が遭難してって聞いてさ……無事だったんだ!!」
そのパン屋の店番をしている妖精娘に、グレイディは安堵の笑みを見せる。
濃い緑色の蜻蛉の翅を持つその娘は、花を連ねた腕輪を纏い、短くした麦わら色の髪から、暖かい日向の花園の香りをさせる。
「……久しぶりだ、シーラ。顔を見られて安心した。確かに船が難破して、俺だけ生き残ってな……」
グレイディは、背後のアンディを示す。
「……このアンディのお陰で、こいつの上役だった人に拾ってもらって、今まで生き延びたんだ……」
「シーラさん? グレイディの幼馴染の人に会えてうれしいよ。俺は夜叉族のアンディ、よろしくな」
アンディは、暗い艶が走る滑らかな波のような造形の籠手を着けた手で、シーラの手を握る。
「ヤクシャ族って、どこの人? 須弥山? でも、運が悪いわね、あなた。今妖精郷ってちょっとまずいことに……のんびり観光って雰囲気じゃないわよ」
キノコ獣って知ってる?
シーラが口にすると、アンディはうなずく。
「俺らが前に戦ったんだ。こちらの領主様から、犯人の捜索を頼まれてさ。仲間で色々できる奴がいるんだけど、そいつが、もう犯人もわかったかも知れないって」
「えっ!! 本当!? 誰!?」
シーラはカウンターから身を乗り出す。
「まだ詳しく言えないけど、少なくとももうこの辺ではキノコ獣は出ないよ。グレイディのこれがあるから」
アンディは、グレイディが腰に帯びているレイピアを指し示す。
「この武器は、あらゆる呪いを解く効果があるんだ。この辺の呪いは解いたし、これ以上の呪いはかけられないから、キノコ獣は二度とここには入れない」
グレイディもうなずく。
「……そういうことだ。安心しろ、シーラ。良かったら、この店に来た人たちにだけでも、もう大丈夫だと伝えてくれないか……」
シーラは目を輝かせる。
店の奥に向け、声を張り上げる。
「お母さん!! ちょっと店番代わって!! ホリーに教えに行かないと!!」
ふわりと蜻蛉の翅で街の中心部に向け飛んでいくシーラを、グレイディとアンディは見送る。
「……これですぐ噂は広まるな……」
「よし、じゃあ、次は隣町だっけ?」
グレイディとアンディは、買い込んだ妖精のパンを抱えたまま、ふわりと浮かんで、隣町のある丘の向こうへと飛び立ったのだった。