7-2 バウリ

「んー……落ち着いた、街並みでやすね」

 

 それが、初めてルゼロス王国王都バウリを目にした、ジーニックの感想だった。

 

「良いのだぞ、ジーニック。薄汚れているなと、正直に申しても」

 

 御用列車から煤けたホームに降り立ちながら、オディラギアスは盛大に溜息をついた。

 

「あのきらびやかで麗しいルフィーニルで生まれ育ったそなたからすると、バウリの荒れようは解せぬことだろうな。同じ一国の首都だというのに、全く」

 

 周囲には、威儀を正すように、儀仗兵が整列して御用列車を迎えた。

 しかし、オディラギアスはすぐに気付いた。

 これは、自分に王族に相応しい対応を与えようという性質のものではない。

 これは「威嚇であり防護」だ。

 オディラギアスは尊重されているのではなく、何やら得体の知れぬ勢力と接触した王族の切れ端として、警戒されているのである。

 

 それが証拠に、マディーラウスを始めとするオディラギアスの、子飼いの家臣を連れてくることは禁じられた。

 オディラギアスは、旅の仲間五人だけを連れて、次兄グールスデルゼスの差し向けた衛兵に周囲を固められた状態で、バウリ行きの御用列車に詰め込まれた。

 一応、王族用の御用列車を使われてはいるが、実際には罪人として連行されるのと変わらない。

 手錠の類をかけられなかったのは、せめてもの慈悲というよりは、王家としての外聞を慮っただけのことだろう。父王ローワラクトゥンは、そういったことには極めて神経質である。

 

「なんか、雰囲気暗いねえ……」

 

 マイリーヤが、声を落として、イティキラに囁いた。

 

「この辺、王都の顔だろうに、建物薄汚れてるし、何か活気ないしね……王子様が帰って来るから厳戒態勢で人がいないっていうのとも違うよね、きっと……」

 

 林立する石の柱の間から、それなりに豪勢な造りであろうに、手入れが行き届いていない様子のさびれた建造物群を見上げて、マイリーヤはぞわりとする。

 空気には饐えた異臭が混じっている。不潔な街路に特有の匂い。ごみと動物の死骸と汚物と、その他もろもろ。

 

「この匂い……ルフィーニルだったら、あれだよ。スラム街の匂い。こんな中心街だろうに、こういう匂いするって……」

 

 可愛い鼻をひくつかせたイティキラは、えずきが来るような異臭に、思わず顔をしかめた。

 

 と。

 後ろで、わざとらしく荒っぽい咳払いの音が聞こえた。

 

 マイリーヤとイティキラが振り向くと、刀を携えた衛兵の一人が、凄い目で睨んでいる。

 二人は思わず顔を見合せ首をすくめた。

 

「おい、おめえら」

 

 ゼーベルが、殊更大きな動作で、マイリーヤとイティキラを庇うように、その衛兵との間に割り込んできた。

 

「そんな無礼な態度があるのか。こちらの妖精族のお嬢さんは、大戦の英雄カルカランの直系の御子孫だ。もうお一方の獣佳族の方は、平民だが、何度もオディラギアス様をお助けした有り難い方なんだぞ!! それなりの礼儀があるだろうが!!」

 

 その衛兵はじろりとゼーベルを睨んだが、立場的に強く出られないのか、それとも彼の言葉に正当性を認めてしまって反論できないのか、目を伏せて引き下がった。

 

「これは……何と申しますか、想像以上ですわね……」

 

 空間に漂う魔力の波長を読み取ることで、通常の五感による情報の何倍もの情報を取得できるレルシェントは、周囲を見回して顔を曇らせた。

 

「そうであろう? 事実上、王宮と一部貴族街以外の街路はほぼ全部、スラム街のようなものだ。かなりの地位にあるような国民さえ、危険で一人では屋敷の外に出られぬ、という体たらくでな。全く、恥ずかしい限りだ……」

 

 立場上、遠慮もいらないと判断したのか、オディラギアスは衛兵に気遣うことなく、ずけずけと辛辣に故郷を批判した。

 

「なにそれ……ヤバくない?」

 

 流石に驚いて、イティキラが声を高める。

 平穏な田舎出身の彼女にしてみれば、街全体がそんな風な都市で生活するなど、想像もできない。

 

「ああ。ヤバイな。誰かが何とかせねばならぬのだが……」

 

 はぁあ、と大きな溜息を、オディラギアスは洩らした。

 

「……あのさ、警察権を取り仕切ってるお兄さんて人、何とかしようとかしてくれないの、太守さん?」

 

 ひそりと声をひそめて、マイリーヤが尋ねる。

 

「あの方が、もう少し一般の治安にも興味を持って下さっていたならな……。基本方針は、王族を脅かさない限り、下々は勝手にしろということらしい……」

 

 再度溜息をついたオディラギアスを、マイリーヤばかりか、イティキラ、ジーニック、レルシェントまで、同情と呆れの入り交じった顔で眺めた。

 そんな無能な――それでも今の王族ではマシな方である――兄に、頭を押さえつけられている、有能な王子の苦悩たるや、いかばかりか。

 

「オディラギアス王子、竜車(りゅうしゃ)の準備ができております」

 

 つかつかと、黒い鱗の長身の龍震族が、オディラギアスの元に近付いてきた。

 兄王子グールスデルゼスの配下の一人だと、オディラギアスは知っている。

 

「お連れの方も、こちらへどうぞ」

 

 鋭い目で一行を一瞥し、先に立って歩き出した黒い鱗の男に促され、一行は小型の乗用竜に引かせる車に向けて、歩き出したのだった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「グールスデルゼス様、という方は、どんな方ですの?」

 

 元の世界で言うなら、中型の恐竜に、びっしり盾のような鱗を生やしたようなドラゴンに引かれた車に揺られながら、レルシェントは、同じ車に同乗しているオディラギアスに尋ねた。

 

「私の兄弟の中ではマシな方だが、それでも、兄が担当している治安はご覧の通りの体たらく。頭は悪くないのだが、判断基準が、何にせよおかしい。あの王宮の環境で育ったら、当然のごとく出来上がるであろう龍震族の中の一人だな……」

 

 頭にあるのは権力のこと。

 治安に気を配るのはついでであり、一種のお恵みだ。

 下々は自分のために「治安」を差し出すのであり、「治安が悪い」のは下々の自己責任であるばかりか、王族に対する不敬であるというのが、その思想。

 

「その……何と申しますか、どこから手をつけて説得してよろしいのか、さっぱりわからない……方、ですわね……」

 

 オディラギアスの憂鬱が乗り移ったように、レルシェントも溜息をついた。

 

「道理を説いて、考えを翻させるなど、千年かけても無駄というものだ。それでも、まだ多少はマシというのが、この王国の病んだところでな……」

 

 腕組みし、流れる薄汚れて暗鬱な街を眺めながら、彼は続けた。

 

「……恐らく、父や長兄を見たら、そなたは相当ショックを受けよう。申し訳ないが、今から覚悟しておいてほしい。そなたの話から察することのできる霊宝族の社会では、恐らく存在を許されないレベルの愚か者だ……」

 

 ふう、と。

 どこか悲し気に、レルシェントは溜息を継いだ。

 

「……そちらはもう、どうしようもないとして。お母様の身柄の安全確保と、我らの行動の自由を確保する算段を取り付けねばなりませんわね」

 

 少なくとも、ルゼロス王国に、どの程度ニレッティアの手の者が食い込んでいるのか、あたりくらいは付けて対策を。

 そう付け加えたレルシェントに、オディラギアスはうなずいた。

 

「父は私を詰問しよう。打ち合わせ通りに受け答えるが、さて……」

 

 すっと、金色の目をすがめたオディラギアスに、レルシェントはどこか不安の影を見て取った。