56 邪神の最期

『いくら何でもデカ過ぎる相手だけど……行けるか!?』

 

 百合子は、祈るようにもう一方の傾空をも構え、先に邪神の化身に飛んでいく傾空の片割れに思念を送る。

 逆向きに夜空を駆け上がる彗星のような光を放つ傾空は、実際の直径の十倍以上はあろうかという、巨大な光の刃を生じ、邪神の化身の体を真一文字に駆け上がる。

 

「傾空でも駄目か。どうすりゃいいかね」

 

 真砂が唸る。

 百合子のレベルアップした傾空での攻撃は、しかし、邪神の体を割っても、すぐに回復されてしまう。

 傾空が断ち割った邪神の肉体は、泥の表面を棒で割ったかのように見えるが、まさに泥と同じように、すぐに流動するそれに塞がれてしまう。

 そもそも、天名の流星雨で間断なく打ち付けられているのに、表面が水面のように波立って終わりなのだ。

 

「削りまくるしかないっしょ!!!」

 

 暁烏が、宙を踏んで夜空に駆け上がる。

 そのまま、本体である太刀を振るって、まさしく夜明けを呼ぶような、光の刃を創り出す。

 十文字型の光の刃は、降りしきる流星雨に勢いづけられるように邪神の巨体に突進する。

 ちょうど、巨大な腹のあたりに、光の刃は刻印を穿つ。

 

 邪神は表面の発光器官を激しく明滅させ、形容しようのない絶叫を放つ。

 

「大丈夫です。聖なる太刀での攻撃が有効なら……!!」

 

 冴祥が、足元の砂を踏み、かすかに息を吐いて数霊を発動させる。

 

「砦の、四!!!」

 

 邪神の山のような巨躯の周囲に、連星のような二つの発光体が連なったものが二組、計四つの星が現れる。

 それが絡め取るように邪神の肢を止めさせる。

 邪神のにじり寄るような進撃が止まる。

 

「天名さん!!」

 

 冴祥が振り返る。

 

「僕が邪神の眷属どもの面倒は、まとめて見ます!! 天名さんは、大きいのを呼び出してください!! 天狗さんたちの奥の手って、あるんでしょう!?」

 

 言うなり、冴祥が、無数の聖なる鏡を創り出す。

 空間に満ちる煌めく鏡は、さながらダイヤモンドダストの輝きだ。

 それが回転しながら煌めくたびに、映し出された邪神の眷属の山が、まるで空間ごとかき消されたように消滅する。

 一瞬で、大きく泡立っていた海に静寂が訪れる。

 

「ふむ、よく知っているな」

 

 流星雨を収めた天名が、改めて動けなくなった邪神を前に、扇を天に差し上げる。

 

「妖霊星(ようれいぼし)よ……」

 

 空の一角が輝く。

 青白く燃えるような光が、高貴な鳳凰の鳴き声のような鋭い響きをたなびかせながら、まっすぐに邪神に降って来る。

 

 激突。

 轟音。

 

 天名の呼んだ妖霊星に貫かれた邪神の肉体が、まるで可燃性の固体であったかのように、青白い炎を上げて燃えていく。

 いや、それは炎よりも精妙な、星の気か。

 

「我ら天狗族を生み出した領域より下される、根源の気だ。邪神には毒であろうよ」

 

 天名の言葉も、苦痛に吼え猛る邪神には聞こえていないだろう。

 

「おっと。まずいぞ。邪神が自爆を選ぶかも知れない」

 

 真砂が、はたと背後を振り返る。

 夜中でも人々の安全のために立ち働く者たちのお陰で、平穏を取り戻しつつある刻窟市を。

 百合子も振り返る。

 次いで今にも爆発しそうに膨れ上がり続ける邪神を見上げる。

 

「ま、真砂さん……どっ、どうしよ……」

 

 百合子はパニックに陥って声も全身も震える。

 まさかこんなことになるとは。

 

「なに、私はこういう時のためにいるんじゃないか」

 

 真砂が、纏う雲を夏の積乱雲のように、一気に吹き上げる。

 それは邪神と、周囲の空間を囲み、そのまま巨大なドーム状に発達する。

 周囲の光度が変わる。

 夜明け前の薄明りのような光。

 天地ともに、極楽の一角になったかのように薄く光る雲に覆われている。

 

「さあ、みんな。邪神と私たちを、刻窟市から切り離して、別の空間に転送した。ここで邪神を片づけよう。封じてもいいが、引っ張り出そうとする奴がいても困るからね」

 

 真砂が、BBQの後片付けでもしようと促すように、そんな風に声をかける。

 

「燃え尽きるのを待つということはできないんですか……わっ!!」

 

 百合子が、咄嗟に飛びのいたのも道理。

 邪神が、燃えている最中の触手を伸ばして、百合子を捕まえようとする。

 

「こらー!! 大人しく燃えてなさい!!」

 

 ナギが、全身から聖なる光を放って触手を弾き飛ばそうとする。

 熱いものに手を触れたかのように、邪神の触手が引っ込む。

 

「百合子。邪神くんは、君の心が苦手だ。君に攻撃されて、撃破させられては困るんだとさ」

 

 真砂がくつくつ笑う。

 百合子は、全員の視線の中で、はたと考え込む。

 傾空を、両手に握り直す。

 

「百合子」

 

 真砂が、耳元で囁く。

 

「あの邪神から、君は何を護りたい? その思いを傾空に乗せてぶつけろ。安心しろ、君の方が強いのは保証する」

 

 百合子は、何かがカチッとはまる音が聞こえたような気がする。

 傾空と構えた腕が一体のような。

 思い描いた動きを、さながら魔法のように体が再現したように思える。

 百合子は、見事な動きで邪神に傾空を投げつける。

 傾空のプロミネンスのような刃から、数十倍の光の刃が伸びる。

 清冽であり霊妙な、真珠色を帯びた夜明けのような輝き。

 

「あんたなんかに、私の故郷をどうにもさせないから。何もない田舎かも知れないけど」

 

 百合子は、右手に続いて、左手の傾空も、絶妙のタイミングと角度で投げつける。

 宙に放たれたそれは、さながら霊妙な気配より生まれた聖なる鳥のように、巨大な光の刃を翼のように広げて宙を駆ける。

 

「何でも自分のために踏みつけにしようとしている薄汚い奴なんかに、私も友達もこの街も、全部の思い出も、この先のことも、好きになんかさせないから……!!」

 

 まるで華麗なダンスを踊るかのように、二本一組の傾空は、互いに呼応し合いながら、邪神を削っていく。

 星の炎で燃え上がる汚れた肉体が弾き飛ばされ、空中で微細な光の粒となって消えて行く。

 

 それは、一瞬のようにも長い時間のようにも思える。

 

 傾空が通り過ぎた後には、あの巨大な邪神の肉体が、嘘のように消え去っていたのである。