4 邪悪とその始末

 目の前に、血を流した人間が倒れている。

 

 男女三人。

 区切りでいうと、女性一人と、男女のカップルが一組。

 

 人間、死骸になると、顔の特徴がなくなるものだが、坂下大吾には、その男女の顔をはっきり見分けることができた。

 

 一人は、大学時代に付き合っていた彼女。

 半年ばかり付き合っていただろうか。

 

 そしてもう二人が、職場の飲み会で知り合った同期とその彼氏だったはずだ。

 彼女の方はモデルばりの美人だったが、彼氏の方は「イノシシ武者」という感じ、体育会系がそのままユニフォームをスーツに着替えたという雰囲気のいかつい男性だ。

 

 三人とも血を流していたが、流す場所が違う。

 

 彼女だった女の方は、胸の下、腹との境目あたりから、蛍光緑だったであろう柄物Tシャツが、べったり血に濡れていた。

 腹部を刺されたのであろうことは明らかだ。

 

 そして、男女の方。

 血を流しているのは、首からだ。

 見たくないような傷が、それぞれの首筋にある。

 

 大吾は額に手を当てた。

 

 そうだ、身に覚えがある。

 

 彼女を、殺そうと思ったのはいつか、思い出せない。

 思い出せないくらいに、咄嗟の殺意だったのだ。

 

 些細な喧嘩だった。

 彼女の束縛が鬱陶しかったが、彼女は大吾は自分が注文が多いくせして、自分のほうでは彼女の頼みを何一つ聞こうとしない、勝手だ、うんざりだ、と断言した。

 

『アホらし。あんたと付き合ったのなんて壮大な時間の無駄だったわ』

 

 吐き捨てるように言われた一言が、大吾の中の何かを壊した。

 足音荒く大吾の部屋から出ようとする彼女を、台所から包丁をひっつかんで追った。

 

 玄関で、刺した。

 ほぼ、即死に近かったはずだ。

 

 とにかく死骸をなんとかしないとと思い、免許を取り立て、親に買ってもらったワンボックスカーに死骸を積み込んで、奥多摩の山中に向かった。

 

 幸い、まだ、死骸は発見されていない。

 

 男女の方は、これより込み入っていた。

 

 突如彼女が蒸発した――周囲は、彼女の方が精神異常だったらしいという、大吾の流した噂を信じた――気の毒な大学生という時期を経て、晴れて就職した企業の、気が進まない同期の飲み会で、女の方と出会った。

 

 同期にこんな美人がいるとは知らなかったが、大吾が話しかけると、にこやかに対応してくれた。

 ――合コンではなく、同期の親睦を深めるための飲み会だということを忘れていた。

 常に用意している、ネットで不法に手に入れた睡眠導入剤を彼女のグラスにいれ、いわゆる「お持ち帰り」した。

 

 面倒なのはここからだ。

 彼女が強姦されたと朝になって騒ぎ出した。

 他の企業に勤めている、筋肉の塊みたいな彼氏を呼ばれた時には、一気に血の気が引いた。

 女性一人なら、なんならもう一人くらいこっそり殺してもと思ったが、猛獣みたいな彼氏を呼ばれた時は、自分が死を覚悟した。

 

 それでも、結局生身の人間には違いなかった。

 

 こっそり残りの睡眠導入剤を出した茶に混ぜた。

 最初に女が、間もなく男も昏倒した。

 

 首の下にビニールのゴミ袋とタオルを敷いて、二人の喉笛をかっさばいた。

 昏倒したまま、声を上げることもなく、二人とも絶命した。

 

 周囲に見とがめられないように、二人の死骸を車に積み込めたのは、奇蹟に思えた。

 

 最初の彼女の死骸とそんなに離れていない場所に、二人の死骸も埋めた。

 

 ……仕方ないじゃないか。

 好きで、こんなことをした訳じゃない。

 

 状況がそうなったんだ。

 人間は本能に逆らえない弱い動物だ。

 欲に流されたって、仕方ないじゃないか。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「呆れたわね。ナチュラルに狂ってるわ、この人」

 

 自分の術で、昏倒させた大吾を見下ろしながら、リュシエンヌは心底げんなりした目で彼を見下ろした。

 

 坂口大吾の部屋では、しんしんと時間だけが過ぎていく。

 リュシエンヌの術で、映画みたいに彼の記憶を確認した陵(みさざき)は、じろりとリュシエンヌを振り返った。

 

「……だから言ったであろう。『平凡な奴に見えても始末に負えないことがある』とな」

 

「あー、ごめん。だって、そんなことだなんて思わなかったんだもの」

 

 自分の見る目のなさにがっかりしたのか、リュシエンヌは天井を仰いだ。

 安アパートの白っぽい天井。

 

「で、どうするの?」

 

 リュシエンヌは、なんとなく答えを予想しながらも、そう尋ねた。

 

「こうする」

 

 陵は、白い手を、うつぶせに倒れた「凡人の顔をした連続殺人犯」の首の下あたりに突き込んだ。

 まるで水に手を突っ込むように、ごく自然に繊手が大吾の肉体に潜り込み。

 次に引き上げられた時は、その手に、もやもやと薄黒い、人影のようなものがひっつかまれていた。

 

 ……坂下大吾の魂だ。

 水から引き揚げられた魚のように、びちびちと跳ねている。

 

「ねえ、この後、話があるの」

 

 リュシエンヌは、そう切り出した。

 黄泉に続く巨大な空間の穴――奇怪な色彩の詰まった特大の花みたいに見える――に入り込もうとした陵が振り返る。

 

「時間ができたら、Kホテルの1202号室に来てくれない? 十日まではいるわ」

 

「……お前の用向きというのはわかっている。主が教えてくれた」

 

「あら」

 

 リュシエンヌの美貌が、更に華やかに輝いた。

 

「……一応返事はしに来るつもりだ」

 

 その一言を最後に、陵は黄泉の穴に入り込んで姿を消した。

 

 ばいばいと手を振りながら、ふと、リュシエンヌは足元に転がっている、たった今スイッチが切れたように生命活動を停止した、坂下大吾の死骸を見下ろした。

 

「……そういえば、コレどうしようかしら? 通報するわけにはいかないわよねえ?」

 

 もし警察がすぐに見つけて検死しても、原因不明の突然死、すなわち「変死」で片づけられるだけであろう。

 

「ま、どーでもいいわね。なーんか連続殺人犯にオゴッちゃったのはヤバイ気がするけど、そういう罪ってないわよね……」

 

 ごく大まかな日本の刑法の知識と、伯母や伯父、従兄弟をはじめとする日本の人外の倫理規定をひっくり返し、多分この程度は問題なかろうと判断する。

 

「……一応、伯母様には連絡しましょうっと」

 

 ふわりと一陣のいい匂いの風を残し、吸血娘リュシエンヌは、幾度となく惨劇の現場となったその部屋から姿を消した。