パパの素敵な嘘

 肉の焼けるいい匂いが立ち込める。

 青々した芝生の上にででんと設置されたバーベキューグリルは、数か月ぶりに役目を果たしていた。

 

 ひょいひょいと調子よく肉をひっくり返すのは、ジョージ・ピットマン中尉。

 褐色の肉体はたくましく、顔立ちも精悍なのだが、勤務の時以外は人懐こい笑みを浮かべていることが多い。

 彼の妻、ジャネット・ピットマンは、そのことをいつも好ましく思っている。

 ジョージのそういう朗らかさが好きで結婚したといっても、過言ではない。

 

 彼がテロリスト討伐の危険な任務に向かったのが一か月前。

 ここ横須賀海軍施設も、まだまだ寒さが残る時期だった。

 

 帰ってきたら、もうあったかくなってるだろう。

 家族でバーベキューをしよう。

 

 妻のジャネットと六歳の息子キースに笑顔で言い残し、掃海艇「マクキャンベル」に乗り込んで旅だった彼は、一か月後のおととい、ほとんど傷らしい傷もなく、笑顔で帰還した。

 木彫の女神像のような顔立ちを、心配の涙で何度となく濡らしたジャネットは、にこやかに家のドアをくぐった彼に、思わず飛びついてキスの嵐を降らせたものだ。

 

 そして、今日はエイプリルフールにして休日、快晴の暖かい天気。

 ジャネットも、そしてもちろんジョージも休暇で、キースの学校も当然休み。

 約束通り、冬の間ガレージにしまい込んでいたバーベキューグリルを引っ張り出し、ピットマン一家はバーベキューとしゃれ込んだ。

 

「キース。パパが今度の任務で運んだものを知ってるかい?」

 

 まるで秘密を打ち明けるかのように声をひそめ、ジョージは息子のキースに向かって囁いた。

 ジャネットをちらりと見てにやり。

 彼女は苦笑する。

 ジョージは罪のない悪ふざけは好きな方だ。

 せっかくのエイプリルフール、どんなネタを仕込んでくるのかと思ったら。

 

「運んだ?」

 

 キースは大きな目できょとんと父親を見上げる。

 まだ親の言うことを疑うことを知らない年ごろ。

 

「パパは海の上で悪いことをしてるテロリストを退治しに行ったんじゃないの?」

 

 ジョージのにやにや笑いが深くなる。

 

「違う。実はこれは極秘事項なんだけど、パパがいない間、よいこでいたキースにだけは教えてあげよう。実は、パパは……日本で捕まえた、ドラゴンをアメリカに運んでいたんだよ!!」

 

 キースが目を見開いた。

 

「ドラゴン!? 日本のドラゴン!? 蛇みたいに長くて、鹿みたいな角のあるやつ!?」

 

 ……最近連れて行った、ラーメンの店のどんぶりに描いてあるのを、キースは覚えていたらしい。

 

「いやいや。それは新しいドラゴンだ。パパが運んだのは、神様と同じくらいに昔からいる、頭がたくさんある蛇みたいな特別なドラゴンなんだ。証拠を見せてあげよう、ほら」

 

 ジョージはスマホの画面を操作して、息子に向けた。

 

「すごい!! レインボーのドラゴンだぁ!!!」

 

 悲鳴のように叫ぶキースが危うく皿を取り落としそうになったので、支えてやったジャネットは、どれどれとスマホを覗き込み――苦笑した。

 

 そこに映し出されているのは、海上の日差しにぎらぎらしく輝く、確かにインドのあの蛇の神に似ていなくもない、虹色の巨大龍蛇だった。

 さながら、CDの表面みたいに鱗が輝いている。

 画面の左側で、夫が何か船の工具らしい細長いものを、ドラゴンスレイヤーの槍に見立てて構え、わざとらしいしかめ面を作っている。

 

 ジャネットは、すぐにわかった。

 このCGを作ったのは、夫の同僚にして友人のマーティン・アシュトンだ。

 こういうフザけた合成CGを創ることを趣味にし、よく仲間内に配って面白がっている。

 

 しかし、今回のCGは実に会心の出来だ。

 虹色の鱗に光が当たって輝く様子の自然さといい、本当に毒蛇が鎌首を曲げている微妙な角度といい、本当にこういう怪物が海軍の船に乗っていたとしか思えない臨場感がある。

 多分、どこかで撮影したかネットで拾った本物の蛇の写真を加工したのだろうと、ジャネットは見当を付けた。

 

 ――無論、ジャネットは、この世に本物のドラゴンだの悪魔だの妖精だのがいるなんてことを、まるで知らない善良な一般人だ。

 

 ジョージは、スマホの画像を次々と繰っていった。

 

 まるでギリシャ神話の黄金のリンゴを守る蛇のようにとぐろを巻いたレインボードラゴンの巨体によりかかるにこやかなジョージ、笑っているように口を開いた龍蛇の頭を肩を組むように抱えたジョージ、龍蛇に頭をくわえられて、滑稽なしぐさで仰天するふりをするジョージ――顔は見えないが体つきでジョージとわかる――などなど。

 

「すっごぉい!! パパ、ドラゴンと友達になったの!?」

 

 目をまんまるにするキースに、ジョージは、ああ、いいドラゴンもいるんだよ、と笑って返した。

 

 ジャネットは、息子がこの罪のない嘘を信じているのはどのくらい先までだろうと予測しながら、それでも、自分の家族に陽気な笑いをくれたCGのドラゴンに、感謝したいくらいだった。