1 氷晶龍は都市にいる

「さ、逃げて!! 早く!!!」

 

 僕がドスを効かせた声で促すと、その女の子は返事をする余裕もなく、転がるように路地の出口に走って行った。

 

 残されたのは、僕とその小太りの男。

 そしてわずかに表通りの街灯の明かりが差し込む、路地の暗がりだけ。

 

「ちっきしょう、こンガキ、痛い目に遭わせてやるぞオラァ!!」

 

 すっかり頭に血が昇っているのだろう、その男の手の中には、さっきまで女の子を脅すために使われていた、アウトドア用のナイフが握られていた。

 田舎のホームセンターで普通に売っているような安物だが、もちろん普通の人間からすれば殺傷力はある。

 

 ま、僕からそれば楊枝ほどの脅威もないものなんだけど。

 

「痛い目、ね。さっき、あんたが遭ったような目か?」

 

 僕は興奮で恐怖も忘れているのだろうその男を、鼻先でせせら笑った。

 

 通りすがりの女の子を刃物で脅して、路地裏に連れ込もうとしていた。

 手慣れた手口だ。

 初犯ではないだろう。

 

 と、いうことで、発見した僕は、女の子との間に割り込んで、腹に一撃膝蹴りを叩きこんでやった。

 さっきまで体を折って苦しんでいた暴漢は、ようよう立ち上がってナイフを握りなおし、僕に立ち向かってきた訳だ。

 僕が本気で蹴ったら内臓破裂どころの騒ぎではなかったのだが、まあ、襲われていた女の子が逃げるだけの時間稼ぎができれば良かっただけである。

 

「もうすぐ警察が呼ばれるだろうな。ということで、早めにけりをつけることにするよ」

 

 そういうなり、僕は「自分」を解放した。

 

 暴漢の血走った目が、力を失い虚ろなものになる。

 

 僕は数mの高みからそいつを見下ろしていた。

 きらきらした鱗の輝きが、僕の目に入る。

 そいつの目からすれば、上半身が人間で、下半身がダイヤモンドのようなきらめきの鱗の大蛇、そして背中には同じようにきらきらした羽毛の翼のある人外の姿が見えているはずだ。

 多分、最もそいつが恐怖を感じるのは、手指の先から60cmほども伸びた、カッティングされた宝石みたいな長い爪だろうが。

 

「さよならだ。少しばかり『寒い』けど、まあ、あんたの場合は自業自得だな」

 

 言うなり、僕は翼をはためかせた。

 凄まじい冷気の嵐が、ダイヤモンドダストを伴って、暴漢に襲い掛かる。

 数瞬ののち、そこに転がっていたのは、全身氷の塊をまといつかせ、死人のような顔色になった暴漢だった。

 

「やれやれ、終わったか」

 

 僕は本来の姿から、いつもかぶっている人間の姿に戻った。

 ポケットからスマホを取り出す。

 SNSのアプリを起動し、アイコンを確かめてから、慎重に裏アカでツイートする。

 

『業務連絡。〇〇通り近辺に最近出没していた暴漢を押さえた。かなりのダメージを与えたので、当分活動不能のはず』

 

 アイコンの、きらめく青ダイヤみたいな異形の人外が、そのセリフをつぶやいているみたいに見える。

 無論、この裏アカを知っているなら、それがどういう意味かは分かっているはずだ。

 

『よう。相変らずだな。誰か来ないうちに凍死体を置いて逃げろよ?』

 

 黒い翼を持った、ゴシック風美形人外のアイコンが、フランス語でリプを返してくる。

 向こうではちょうど昼休みくらいの時間だろうか?

 

『ありがと。さっさと退散することにする』

 

 それだけ返すと、僕はさっさと踵を返して、路地の反対側の出口から裏通りへと抜けた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

Céleste@Vouivre

 アキ、お疲れ様。夕飯できてるわよ。それと、警察のタカノさんから連絡があったわ。詳しくはシノブから聞いて。

 

龍口忍@龍神

 晶美(あけみ)、ご苦労だった。

 今、高野から連絡があって、お前が押さえた男は生きてはいるそうだ。

 ただし、全身かなり重症の凍傷らしいので、後遺症が残りそうだと。

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龍口忍@龍神

 まあ、その程度痛めつけないと大人しくさせるのは無理のような奴ではあるらしい。

 余罪がかなりありそうだ。

 その辺については調査中だが、男の意識が戻り次第事情聴取にも入るとか。

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龍口忍@龍神

 それと、愛宕山の九郎坊天狗から、感謝の言葉があったぞ。

 あやつに褒められるようになるとは、お前もなかなかだ。

 

九郎坊@愛宕山の天狗

 氷晶龍(ひょうしょうりゅう)の坊ちゃん、迅速な事件対応、誠に感謝に堪えぬ。

 前から我らも何とかせねばと思っていたが、なかなか尻尾を出さずにいたゆえ、困っていたところであった。

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九郎坊@愛宕山の天狗

 もしかの暴漢が亡き者となったとしても、坊ちゃんがお気になさる必要はない。

 どうせ我ら天狗連の誰かがそうする予定であったのだ。

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九郎坊@愛宕山の天狗

 ただ、周囲の人間に不審を抱かれることだけには、重々お気をつけなされよ。

 一番厄介なのは、人間であるからな。

 

AKEMI@龍神とヴィーヴルの混血

 みんなありがとう。

 なんかこの辺もすっかり物騒になったなあ。

 暑さのせいかな。

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AKEMI@龍神とヴィーヴルの混血

 まだちょっと気にかかる事件があるんだよね。

 今回襲われた女の子、うちの学校の子っぽいんだけど、同じようなことがないかしばらく近所を重点的に見回るよ。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 どんどんどん、と、荒い足音が近づいてくる。

 薄黄色のカーテンが引かれた昼休みの教室は、そこそこクーラーが効いていて涼しい。

 だれも表に出たがらぬせいで、図書室にこもる一団以外はみな昼休みの教室に居残っていた……のだが。

 

「龍口晶美(たつぐちあけみ)くん。ちょっといい?」

 

 名前をフルネームで呼ばれた僕がスマホの画面から顔を上げると、そこにずずんと立っていたのは、同じクラスの女の子だった。

 

 鹿島景都(かしまけいと)。

 薙刀部に所属する、すらりと背の高い、結構美人系の女の子だ。

 気が強く、はっきり自分の意見を言うが、裏表がない率直な明るい性格のせいで、男女どちらからも信頼され、好かれている。

 くるんとした柔らかいポニーテールを揺らし、彼女はなにやら決意の表情で僕の席の前に立ちはだかった。

 

「君さ、昨日、二組の岩崎さんを助けたわよね?」

 

 そう詰め寄られ、記憶をたどる。

 そう言えば、昨日助けた女の子は、そんな名前だったのではないか。

 

「ああ……そんなこともあったようななかったような。買い物のついでだったからね」

 

 なんてことない風にそう応じた僕の目の前に、彼女の薄紅色のスマホが突きつけられた。

 画面に表示されていたのは、ツイッターの画面。

 

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AKEMI@龍神とヴィーヴルの混血

 業務連絡。〇〇通り近辺に最近出没していた暴漢を押さえた。かなりのダメージを与えたので、当分活動不能のはず。

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「これさ、君の裏アカでしょ?」

 

 僕はさも初めてみたかのように、自分の裏アカをしげしげ覗き込んだ。

 

「いや……知らないけど」

 

 我ながら、完璧な演技だった。

 思いっ切り怪訝そうな顔と声。

 なんでそんなこと言うんだ、馬鹿馬鹿しい、と言わんばかり。

 

「今朝、ニュースでやってたけど。岩崎さんを襲った暴漢、この炎天下で全身凍傷を負った状態で発見されたんだってね?」

 

 やや低くなった声で、鹿島さんは僕に詰め寄る。

 スマホの画面がスリープになった。

 

「どうしてそんなことになったのか謎で、警察が調べてるらしいわね。あなたなら、知ってるんじゃない? 何があったの?」

 

 鹿島さんは一拍置き、そして更に決定的なことを続けた。

 

「いえ――『何をしたの?』」

 

 いつの間にか、周囲のクラスメイトたちがこちらにちらちら注目していた。

 僕は思い切りため息をつく。

 

「あのさ。岩崎さんに訊けばわかると思うけど、相手は刃物を持ってたんだよ。岩崎さんを逃がしたあと、僕もすぐに逃げたに決まってるだろ」

 

「あなた、武術の心得があるんですってね。確か入学したての時、難癖つけてきた六人まとめてのしたって伝説」

 

 僕の外見は目立つ。

 目や髪の色もだけど、目鼻立ちや体つきもなかなかのものだと思う。

 あの両親から不細工に生まれようがないので、理の当然だが、それが面白くない奴はいた訳で。

 

「あれは、相手が得物を持っていない場合ね。武術を教えてくれた父も、相手が武器を持っていた場合はまず逃げろってよくよく教えてくれたよ」

 

「じゃあ、いいわ。あなたが見たものをそのまま教えて。どうやって押さえたの?」

 

 鹿島さんは食い下がる。

 僕は再度ため息をついた。

 

「だからぁ。それは僕の裏アカじゃないって言ってるだろ」

 

「ヴィーヴルって、調べてみたけど、フランスの精霊みたいな存在なんですってね? そして、あなたのお母さん、確かフランス出身だったわよね?」

 

「……あのさ。暑さでどうにかなってる? 想像力豊かすぎないか? いっそ漫画にでもしろよ」

 

 適当にあしらうと、鹿島さんは憤然と腰に手を当てた。

 

「わかった。じゃあ、勝手に調べさせてもらうから」

 

 相変わらず、ダンダンと足音荒く、鹿島さんは席に戻った。

 ……どうも、困ったことになったな。