33 冴祥と暁烏とエイダ、ついでにナギ

「船でまとめて種菌を運ぶとは、考えましたね」

 

 冴祥は、夜の灯りの下で穏やかに微笑む。

 だが、その微笑みは、剣呑この上ないもの。

 彼の足下で、桟橋の板が鳴る。

 

「怪しまれたら、別の港に移動すればいい。王都の港にいるということは、怪しまれすらしなかったということでしょうか? 上手くやりましたね」

 

 冴祥があごをしゃくった船は中型の、屋根の付いた、泊りがけの漁に対応できるような船である。

 現実世界であったらクルーザーを連想したかも知れない。

 

「このっ!!」

 

 その船べりにいた若者の妖精が、手に何かを構える。

 弓である。

 白い未知の金属でできた弓は、弦を引かれるとかすかな声で歌う。

 矢はつがえていないように見えるが、しかし。

 

「うおっ……と!!」

 

 暁烏が咄嗟に太刀を振るって、飛来した白い幻の矢の奔流を弾き飛ばす。

 まさに流星雨のような一撃であったが、熟練の神器使いである暁烏の反撃はそれを上回る。

 うねる曙の雲のような光が、白い奔流を押し流し、弓を構えていた妖精を、船の舳先まで吹き飛ばす。

 蜻蛉の翅を持った彼の体は、舳先を超えて、夜の海へと……

 

「はい、捕獲成功ですね」

 

 冴祥の言葉に先んじて、海面近くで、鏡が光るのが見える。

 さながら金魚を金魚すくいの紙で掬い上げるように、冴祥が展開していた大型の鏡が海面近くで待ち構えていて、弓の妖精を鏡の内部へと収納したのだ。

 

「はいはい、騒がない。何をしても、私の鏡に囚われたら無駄ですよ」

 

 冴祥の目前に漂って来た大きな鏡は、まるできらめく檻のように、内側に弓の妖精を封じている。

 何事か叫ぶ弓の妖精は、鏡の表面に内側から取りすがり、動転して叩き続ける。

 

「一人確保―っと」

 

 暁烏は、鏡の表面をコンコン叩く。

 

 冴祥は、静まり返っている船に向け、ゆっくりと歩み出す。

 

「出てきてください。いることはわかってます。逃げられないのは、今のでわかりましたよね?」

 

 しん、としている船。

 しかし。

 

「おおい……!!」

 

 暁烏が叫ぶも道理、船が、いきなり帆も掲げないまま、まるでエンジンでも付いているかのように、海上を走り出したのだ。

 いや、波を蹴立てていたのは一瞬、次の瞬間には、ふわりと船全体が空中に浮き上がり、沖合に向けて風のような速さで遁走し始めたのだ。

 

「やっぱり逃げた!!!」

 

「大丈夫。……三。位置、計測、展開」

 

 冴祥が数霊を発動させる。

 瞬間、冴祥たちのいる桟橋と、北東に臨む妖精王の城、そして飛び去る船を、輝く三角形が結ぶ。

 

 ガチン!!

 と固い音が響いた気がする。

 

 船が、空中に糊付けされたかのように、海上の空間に停止している。

 内部から、誰か人影が首を出しているらしいのが、離れていても見て取れる。

 

「さて。行こうか?」

 

「前から思ってたけど、大将の数霊って、反則だよなあ。認識されたら、どうしようもねえもんな」

 

「ワタクシは今のところ、冴祥さんに抱えられているだけです。だって、出番がないんですもの」

 

 天名さんとグレイディさんに付いて行けばよかったですかねー、とのたまうナギを抱えたまま、冴祥はふわりと空中に浮きあがる。

 暁烏も続き、二人と一羽は、空中で固まった妖精の船に近付く。

 

 傾きかけている半月、照らされた船は、人外の感覚のお陰で、細部まで視認できる。

 一見、遠出漁用の漁船だという以外の不審な点は見当たらない。

 船体脇には「紺碧の星号」という船名が記されている。

 

 三人が、船の甲板に降り立った時。

 

「おい、中にいる奴……って、何だこれ!!」

 

 暁烏が警告を叫ぶや否や。

 船の屋根の下から、何か素早く飛び回るものが群れになって飛来する。

 一気に冴祥たちにたかり……

 

「わー!! 何ですかこれー!! あっちいけ、しっ!!」

 

 ナギが冴祥の腕から飛び出すと、翼を異国の神のように広げる。

 輝く太陽のような光線に照らされ、まるで今恐怖を思い出したかのように、その飛び回るものが遠くに散る。

 

「へえ……なるほど」

 

 冴祥は、自分の袖にかじりついていたその小さなものを、噛まれないように裏側を掴んで目の前に持って来る。

 形としては虫だ。

 大きな蜂に見える。

 ただ、よく見られる虫の殻でできてはいない。

 きらきら光る、黄金の針金だ。

 それをぐるぐると編み、大きな蜂の形にしてあるのだ。

 ご丁寧に、尻の針まで再現している。

 動きとしては蜂そのもので、細かく再現してあるがっちりした顎をかちかち鳴らしている。

 

「あんたら、さっさと行きなさい!!」

 

 女の声がし、一度は散った針金蜂が、再び集まって来る。

 針金を編んで紋様を浮き出させた翅で飛び回り、ぶんぶん大きな音をさせる。

 

「……六。安定、守護、天地」

 

 冴祥が再度数霊を発動させる。

 一瞬のことである。

 無数に見えた針金蜂が、輝く六角形の筒に見える空間に、一瞬で封じられる。

 それは、まさに蜂の作る巣の部屋に見えるがその一室に無数の針金蜂が収められて押し合いへし合いしている。

 

「この野郎!!」

 

 暁烏が甲板を奔る。

 身を乗り出していた、髪の長い影を捕まえ、引きずり出して甲板に押し倒す。

 伏せさせて、背後から足で押さえる。

 

「あれ、女の子ですねこの子」

 

 ナギがニャアと鳴く。

 そこに伏せられていたのは、確かに妖精の女性。

 薄い月明りの下でも、紺碧の髪から発するネオンブルーの艶が見て取れる。

 妖精らしい簡素で軽やかなドレス姿だが、それと似合わぬ燃える目で、冴祥たちを睨みつけている。

 

「お前ら……!! どこの人外とも知れないくせに、私たちに何の用よ!?」

 

 紺碧の妖精が叫ぶ。

 

「尋問したいところですけど、それは後ですね。とりあえず、封じますか」

 

 冴祥の言葉が終わらぬうちに、出現した大きな鏡が、その紺碧の妖精を映す。

 一瞬にして、彼女は、冴祥の鏡に封じられていたのだ。

 冴祥が手を振ると、それは一瞬にしてどこかへとしまわれる。

 

「……船の中に、種菌が……さて、どういう状態なんですかねえ」

 

 シイタケの栽培工場って見たことありますけど、あんな感じですかねえ。

 冴祥がのんびりそんな風に口にして、船の屋根の下、開口部をくぐる。

 

「えっ、大将、俺が先に、危ないから……わっ!!」

 

 暁烏が思わず船室内部を覗き込んで叫ぶ。

 そこには、壁一面に、まるで突起したできもののような、不気味な形状の、硬いキノコが、ぬめぬめと粘液を滴らせていたのだ。