輝く超高温の衝撃波が通り過ぎる。
一瞬、この夜しかない世界に、昼間が訪れたと錯覚しそうになる光。
轟音と、烈風。
太陽がその燃えるプロミネンスを一筋この世界に送り込んだと思えるような熱風の吹き過ぎた後は、そこには何も残っていない。
「ヒュウ。相変わらず強烈だね」
真砂が軽口を叩く余裕もあろうというもの。
ゆらゆらした陽炎が、月の光に溶けた後は、今までと変わらぬ静謐。
敵の姿は、まとめて蒸発している。
「この程度の雑魚など、話にならぬ」
天名は、高慢だが高潔な目鼻に、涼しい表情を浮かべて断ずる。
「そんなことより、百合子とナギはどこだ。この城のどこかにいるはずなのだ」
せっつかれ、真砂は渋い表情を浮かべる。
「それなんだけどね。どうも一筋縄ではいかないようだよ」
真砂は、形の良い顎を撫でる。
「この城にいるのには違いない。だが、この城は生きているんだよね。刻一刻と変化している。それに加え……冴祥がね。あいつ、どういうつもりなんだろうな?」
「ふむ」
天名は鼻を鳴らす。
「銭金と、この世界での権勢にかけた訳ではないのか?」
「あの御仁、そんな単純だと思う? さらっていった二人のうち、百合子はまだしも、ナギは君のひいおばあさまのお使いだろう? あの神々の母を、あいつが敵に回すかなあ?」
それがどういうことかわからないほど、馬鹿ではないだろ、あいつ?
だとすると……
真砂は宝石を磨いた目を細める。
「……確かに。あの術で見たことは、そういうことではなかったがな」
天名はじっと眼下を見下ろす。
月に照らされた、城の一角を。
「来たぞ」
天名の言葉が終わらぬうちに、その大柄な人影は、彼女らと言葉を交わせる範囲に入る。
そいつは、翼も何もなく、見えない糸で吊られるように、彼女らの目の前の空中に浮かび上がる。
「貴様。あやかし山伏だったな」
天名が鋭く誰何する。
「ええ、ええ、ご存知でいて下さったとは、何とも光栄なことで。これも、我が主、まぼろし大師の力、でしょうかね?」
顔の前に紙垂を垂らし、完全に表情を覆い隠したその不気味な山伏は、低く笑う。
「天狗姫の天名様。並びに、雲母妖の真砂様。我が主、まぼろし大師が、あなた方にも、城に来てほしいと。臣下に加えたいとの仰せです」
途端に、天名が笑い出す。
「三下妖魔が、ずいぶん大きく出たな。まぼろし大師風情が、この三貴子が孫、天名を従えるだと!?」
「そうした方がようございますよ。神々の末孫、天狗の姫君。あなたも、今までのような何かあるたびに駆り出される人生はお嫌なのでは? お友達もねえ……」
あやかし山伏が、噛んで含めるようなねっとりした声で説得にかかる。
と、今度は真砂が鼻を鳴らす。
「ああ、どういうつもりかわかったよ。天名を人質に取ろうっていうんだろう? 神々の母、並びに三貴子の関係者を人質として臣下に加えれば、神々が滅多に攻めてこられなくなるっていう算段か」
真砂は大仰に両手を広げる。
ふわりと、雲がたなびく。
「そんな浅はかな計算を、この伊邪那美命と同じくらいにおっかない天狗姫が承知すると思う? ついでに、この天の岩から生まれた聖なる雲母妖として、私も承服しかねるね?」
真砂が、身体の周囲に雲の帳を展開し始める。
周囲一帯の空間を、雲が圧して行こうと……
「しかし、あなた方はそうせざるを得なくなりますとも。まぼろし大師より授けられた、このあやかし山伏の力を御覧じろ」
いきなり、真砂と天名の視界に、鮮烈な色彩が花開く。
一瞬のことである。
天名と真砂の周囲は、奇妙な色彩が充満した空間に変じている。
まるで、水中にカラーインクを垂らしたかのように、様々な色彩が展開する。
まるでその空間一帯がパソコンのモニターにでもなったようである。
緻密なCGのように、うねる色彩が、真砂と天名を絡め取る。
『そこは、まぼろし大師様の力が充満した空間にございますよ』
いつの間にか姿が消えているのに、あやかし山伏の声だけが、天名と真砂の耳に届く。
『まぼろしに溶けて、この世界に撒き散らされる前に、まぼろし大師様に臣従なさった方が賢明ですよ?』
どういうことだと、真砂と天名が怪訝に思う時間はない。
「おい……!!」
天名が息を呑む。
彼女も、そしてすぐ傍の真砂も、その雲も。
酔いつぶれそうになる色彩のうねりに、手足の先が溶けているように、透明になりつつあったのだ。
「ああ~~~、なるほど……」
真砂は失笑するような声。
「この世界は、まぼろし大師の意識が作り上げた世界。つまり、この世界に入るってことは、奴に丸呑みされたようなもの、と」
丸呑みされたなら、消化されるが道理ってね。
真砂の苦笑に、天名がぎくりとする。
「おのれ!!」
消えかけている手で、天名は周囲の蠢く色彩に向けて、衝撃波を放つ。
しかし、その空間はまるで揺るがず、衝撃波はどこかに吸い込まれたよう。
天名の手が消え、ぽろりと華やかな扇が落ち、彼女の姿は薄れていく。
そして、彼女の後を追うように、真砂の雲もその本体も、吹き散らされるように消え薄れて行ったのだった。
◇ ◆ ◇
「ナギちゃん……?」
両手を手枷に繋がれた状態で、広い城内の廊下を進む百合子は、鏡の中に封じられたままの、ナギを気にしている。
ナギの鏡を持っているのは、百合子が逃げないように彼女のすぐ背後を進む、冴祥である。
「大丈夫です、百合子さんが大人しくしてくれれば、何もしませんから」
鏡の中のナギから答えはなく、代わりに冴祥が、同情するような調子で、百合子に応じる。
「あー、百合子さんさあ。前見ないと危ないよ。ほら、まっすぐ歩いて」
暁烏が、これもやりづらそうに、百合子の肩に手をかけて前を向かせる。
先頭には、まぼろし大師。
臣下らしき人外が数人。
そして、彼らに取り囲まれるように、百合子と冴祥、暁烏が進んでいる。
いくつ廊下をまがったのか。
階段も上がったような。
ついに一行は、大きな仰々しい扉の前に出る。
上部にしめ縄がかけられており、通常の扉でないとわかる。
まぼろし大師の臣下たちが、両側からその観音開きの扉を開く。
その部屋の、奥の祭壇に祀られているもの。
「なにこれ……」
百合子は、自分の声が震えているのを感じる。
毒々しい色彩の渦を放つ、その中心。
人間よりも大きいくらいの、石があったのだ。
「これ……『神封じの石』……」
百合子は、わななく唇で、ようやくそれだけ呟くことができたのだった。