6-5 ミニアとテレルズ

 どんどんどん、と、遠くで鈍い音が響いていた。

 

 夢の中でたゆといながら――レルシェントは何の音だろうと、ぼんやり思った。

 暖かい。

 幸せだ。

 起きたくない。

 寝ていたい……

 

 隣の暖かな感触を味わいながら、寝返りを打ちかけて……

 

「レルシェッ!! 起きて!! 太守さんも、ねえ!! 大変なんだよっ!!」

 

 どんどんどん。

 それが扉を小さな拳で乱打する音だと気付いたのは、ぼんやり意識が浮上してから。

 そして、その間に混じる声は――マイリーヤだ。

 

「なんだ……?」

 

 隣で身じろぎのする気配。

 オディラギアスが寝ぼけ眼で、半身を起こそうとしていた。

 

「何か、あったみたいですわね。とにかく、何が起こったのか聞きましょう」

 

 いつものようにそう受け答えて――でも、身を起こす時にオディラギアスの唇にちょんと触れて、レルシェントは寝床から起き上がった。

 

「ごめんなさい、今起きたわ、マイリーヤ!! ちょっと待ってて!!」

 

 声を張り上げると、ドアを乱打する音が止んだ。

 

「ごっ、ごめん……!! でも本当に大変なんだ。急いで!!」

 

 焦った声がした辺りで、レルシェントの目は完全に醒めた。

 

「……後朝(きぬぎぬ)の朝の余韻も何もないな……」

 

 ある程度甘い余韻を期待していたのであろうオディラギアスが、しぶしぶ起き上がった。

 

「仕方ありませんわ。こういう状況であれだけ乱暴に扉を叩くなど、本当にただ事ではないようですわよ、太守様」

 

 何となく気恥ずかしく感じながらも、手早く衣類を身に着けて、レルシェントはそう応じた。

 

「……その呼び名はやめてくれ、と昨夜言ったろう?」

 

 不意に低い声をかけられて、レルシェントは腰にベルト飾りを巻き付けながら振り返った。

 

「……そうでしたわね、オディラギアス様、失礼を……」

 

「『様』も必要ない。……昨夜みたいに呼んでくれ」

 

「……分かりましたわ……オディラギアス」

 

「それでいい」

 

 ほんのり照れているレルシェントに自分も何となく照れながらそう返すと、オディラギアスも身支度を整えた。

 

「……マイリーヤ、どうし……」

 

「あっ、二人とも!! うちのっ……!! うちの村の子が……!!」

 

 オディラギアスの部屋の扉を開けると、そこにいたマイリーヤが、レルシェントにかじりついた。

 

「落ち着いて、どうし……」

 

「レルシェ!! うちの村の子が、助けを求めて来たんだよっ!!」

 

 マイリーヤの悲鳴じみた声に、レルシェントもオディラギアスも目をぱちくりさせた。

 

「あなたの村の……どういうこと?」

 

「うちの村の子が、たった今、捕まってた場所からこの村に逃げ延びて来たんだ!! ズタボロで……今、イティキラが回復魔法をかけてやってるけど、この中に入れてやれなくてさ……!! レルシェ、入れてやって!!」

 

 この形態式家屋「ソウの庭園」は、持ち主が魔術的にこの魔導具に登録させた者でない限り、内部に侵入させない仕様になっている。

 つまり、ここに助けを求めて辿り着いた者がいたとしても、持ち主であるレルシェントが許可登録してやらない限り、決して内部に匿ってはやれないのだ。

 マイリーヤとしても、それでは当然、必死に扉を叩いて叩き起こそうとするというもの。

 

「今行くわ、待ってね」

 

 ちらとオディラギアスと目を見交わし、レルシェントは足早に「ソウの庭園」入口へと向かった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「この子たちは……!!」

 

 レルシェントは、そこに倒れているボロボロの少年少女を見てはっとした。

 一見、白い狼の下半身を持つ獣佳族の少年と、カゲロウの翅を持つ妖精族の少女だ。

 元はと言えば、御伽噺の絵本に登場するような美しい二人組であったろう。

 しかし、今はこれっきり薄汚れ、ボロ雑巾じみた姿になっている。

 元の色がほとんど分からなくなった衣服と肉体そのものからは、饐えた匂いが放たれ、全身の肉はげっそりとこけ、皮膚はカサカサだ。

 死骸みたいな生気のない姿ではあるが、微かに胸が上下しているのと、妖精族少女の方がうなされているように動いているのとで、何とか生きているのが確認できるくらいである。

 

 仲間たちは、その少年少女と、彼らをどうにか癒そうとしているイティキラを、護るように取り囲んでいた。

「ソウの庭園」の出入り口のすぐ表側、フォーリューン村の「魔力の大樹」の朝日差す木陰に、彼らは陣取っている。

 

「レルシェ!! どうしよう!!」

 

「ソウの庭園」すぐ表に出て来たレルシェントを見て、その二人の少年少女に付き添っていたイティキラが悲鳴を上げた。

 

「……回復魔法はかけて、体力を回復させたはずなんだけど、何故か目を覚まさないんだ!! これってどうなってるの!? レルシェ!!」

 

 レルシェントは、すぐにそのイティキラたちと同年代であろう二人の上に屈みこんだ。

 

「……呪いが、かけられてるわね」

 

 レルシェントの目が珍しく険しくなる。

 

「呪い……」

 

「ええ。どうも行動制限と衰弱の呪いを複合させたものみたいよ。多分、これをかけた魔物から逃げ出したら、どんどん衰弱する、といったタイプの呪いね。えげつないわ……」

 

 レルシェントは、そっと汚れた少女の体に触れた。

 

「でも、安心して。あたくしは、解呪の類は大得意なの。司祭の家の娘ですからね。これくらいの呪いはなんでもないわ」

 

 ぱっと、イティキラそして背後のマイリーヤの顔が輝いた。

 

「じゃあ……!!」

 

「ええ。今解呪するから、終わったら改めて回復魔法をかけてあげて。それで全回復するはずよ」

 

 レルシェントは、改めて妖精族少女の体に手を当てた。

 口の中で静かに素早く、解呪魔法を詠唱する。

 レルシェントのレベルなら、特に詠唱の必要すらない魔法だが、念には念を入れたかった。

 

 妖精族少女の呼吸が安らかなものになった。

 イティキラが息を呑む。

 素早く回復魔法を注ぎ込むと、更に大きな安堵のような溜息が漏れ出した。

 

「ミニア!! しっかり!!」

 

 マイリーヤが叫ぶのが聞こえた。ミニアというのが、その少女の名前なのだろう。

 

 その間にも、レルシェントは流れるように、獣佳族少年の解呪に取り掛かった。

 地上種族の魔力の平均からするに、かなり強力な呪いの部類に入るのだろうが、霊宝族、それも最高司祭の家系に生まれ付いた娘であるレルシェントからすると、呆気ないもいいところだ。

 レルシェントが解呪し終えてすぐ、イティキラが回復魔法を唱える。

 少年の方もすぐ、寝息が安らかなものになった。

 

「テレルズ……!!」

 

 イティキラが、少年をゆすると、微かな声と共に少年が目を開けた。

 

「ふいー!! よかったでやすね、一安心でやすよ!!」

 

 息を詰めて見守っていたジーニックが、汗をぬぐう仕草をした。

 

「うむ。だが、明らかに飢えているようだ。きちんとした食事をしてからでないと、事情を聴くこともままならぬだろう、これは」

 

 あばらが浮き上がりかけているテレルズの脇腹辺りに目を落とし、オディラギアスがそう判断する。

 

「それと、風呂にも入って汚れを流した方がいいと思うぜ。いくら頑丈な獣佳族と、魔力で守られた妖精族ったって、こんな状態をそのままにしておいたら、病気になるぞ?」

 

 これきり汚れてしまっている少年少女に、気の毒そうに眼をやりながら、ゼーベルが付け加える。

 

「……とにかく、中に入ってもらいましょう。ミニアさんにテレルズさん、でしたかしら? 歩けます?」

 

 何があったのか把握しきれず、きょとんとしているミニアとテレルズに、レルシェントは笑って手を差し伸べた。