「莉央莉恵《りおりえ》~~~!!」
希亜世羅が悲痛な声を上げて、その女のむっちりした太ももに顔をうずめた。
「はいはい、どうされました、我が主」
豊かな肢体を、肌にかろうじて貼り付いている部分とそれを絶妙に覆う部分でできている衣装で覆った女が、不思議な力場のベンチに座ったまま、希亜世羅の頭を撫でた。
玲瓏とした美と色香を備えた美女の姿だが、その頭部にはパイライトめいた直方体の結晶を連ねたような角が生えている。その周りに同心円状の光が取り囲み、肌は見慣れた「人類」の基準からすると、不自然なくらいに白い。奇妙なことに、メタルフレームの眼鏡らしきものをかけているのが目につく。
そこは不思議な光に満ちていた。
周囲を見渡すと、確かにガラス質のもので造った巨大な繭の内部のような場所だと知れる。
移り変わる光は、繭の周囲を満たした液体めいた「何か」から発しており、その中に無数の泡が浮かんでは消えている。
分裂し、融合し、無限のバリエーションで形を変えるそれらの泡の乱舞の中に、その「繭」は存在している。
そんな「繭」の中にいるのが、希亜世羅、そして猫耳と尻尾、それに一角獣めいた角を生やした幼げな美少女、さらにもう一人、言うなれば女教師のようなインテリ風の雰囲気を醸し出す出で立ちの女性だった。
それぞれ、光る力場を細工したらしい、ベンチやソファめいたものに座っている。一見すると光る透明な「空間」そのものに腰かけている感じだ。
少し離れた場所にやはり光る大きな力場があり、その上に、希亜世羅の神使に変えられた冴が横たわっている。力場で造られたベッドは、そこここに突起の多い異形の肉体も無重力状態であるかのように支え、彼は穏やかな寝息を立てていた。
「莉央莉恵~~~、とうとう来ちゃったよう~~~……」
ぐじぐじと、埋めた太ももに顔をこすりつけながら、希亜世羅が嘆く。
「まあ、ご予定よりお早いお戻りは予想してはおりましたが……あの方のことは予想外でございましたねえ」
おハイソな奥様風の口調で、莉央莉恵と呼ばれた、その女性型の存在は、主と呼ぶ希亜世羅の頭を撫でる。彼女の突き出た王冠めいた角が、彼女のくびれた胴を挟んでいた。莉央莉恵の視線が、不思議な空間奥の冴に向かった。
「怒ってる? 許してくれる?」
希亜世羅は上目遣いで莉央莉恵の顔を仰ぎ見た。
「仕方ありませんわ。我が主の落ち度という訳ではありませんもの」
莉央莉恵と呼ばれたその存在は、ちょん、と希亜世羅のほっぺをつまむ。
「妙な『神』に目を付けられたのは、今の我が主では防ぎようがありませんものね。あの若者のことも、仕方ないでしょう。放っておいたら、どうであっても主の身が危なくなったはずですもの」
ぽんぽん、と子供にするように頭を叩くと、希亜世羅は甘えた鼻声で莉央莉恵の名を呼んで膝にすりついた。
「しかし、あやつは何者なのかが、気になるのにゃー。どうも、あの島の神ではなさそうなのにゃ」
あの伽々羅の声で呟いたのは、猫耳尻尾のツインテール美少女だ。猫耳と尻尾、それに額にちょこんと生えた角を除けば、地球で見かける可愛い中学生みたいな見た目である。
彼女は、姿こそ違えど、まさしく伽々羅。
幾つかある姿のうち、人間形態がこれというだけの話だ。
「主を脅迫するとは、いい度胸の奴だったにゃ。それどころか、あのにーちゃんを安易に神使化と凶暴化させて。お陰で主ともあろう方が散々に振り回されたにゃ。莉央莉恵、身元の調べはついているかにゃあ?」
まるで中学生が担任の教師に話しかけているような図だが、口ぶりは対等の同僚に対するようなそれだった。
「ええ。以前、あの宇宙に侵攻しかけた時に、あの宇宙のアカシックレコードから吸い出したデータの中に、断片があったわ」
莉央莉恵は、空中に見えないボタンでもあるかのように、ちょんと触れた。
途端に、彼女の目の前の空間に、見覚えのあるあの姿が浮かび上がる。ホログラフフィのようだが、地上で見かけるようなそれより明瞭だ。まさに、対象がそこにいるかと勘違いさせかねない。
「地球では未観測の星系……そこの知的生命体からはシエオと呼ばれている惑星の、元・神ですわ」
シエオ、という発音は、どうも地球の言葉では表現しづらいような発音だったが、何となくそんな風に聞こえる。
立体映像の中の骨蝕大神は、下半身の七頭の大蛇をうねらせて不敵に笑う。いや、それは大蛇なのか。未知の軟体動物と爬虫類を掛け合わせたようにも見える。
莉央莉恵の膝に相変わらず顔を埋めたまま、希亜世羅が、むー、と呻いた。
宇宙の女王のような美麗で威厳ある容姿にも関わらず、その仕草は寝起きの子供のようだ。
「ほら、我が主。大事な情報にゃん。ちゃんと見るにゃん」
猫そのままの仕草で、伽々羅が希亜世羅をちょんとつつく。
「んー」
「ほりゃー」
続けて促され、希亜世羅はしぶしぶ体を起こして、その映像を見た。
途端に不機嫌になる。
艶麗な美貌が、汚穢なものを見た時のように歪められる。
「コイツ嫌い。設楽くんを苛めたから」
「我が主も苛められるところでしたよ。お返ししてやるには、きちんとこいつの情報を掴んでおかねば」
まさに教師めいた口調で、莉央莉恵が希亜世羅を促す。
ぶー、と言いながら、希亜世羅が骨蝕の映像に改めて目を走らせた。細部が見かけたあの姿と違う。
「……こいつ、地球の神じゃないの? なら何で地球にいて、しかも設楽くんの式神なんてのになっていたの?」
希亜世羅が根本的な疑問を投げかけた。
起きているのもだるいのか、視線は骨蝕の映像に固定したまま、頭をまたもや莉央莉恵の膝に投げかける。
仕方ないですにゃあと、手を伸ばした伽々羅が希亜世羅の喉下をくすぐる。
異なる混沌を支配し、無数の宇宙を主宰する女神は、側近に思いっきり甘やかされていた。
「こやつは、我らがあの宇宙の神々と戦った時には、封じられていたのですよ」
莉央莉恵は淡々と言葉を紡いだ。
「地球で言うなら邪神のカテゴリに入るでしょうね。その星系の神々の秩序に反乱を起こして、あまりに質が悪かったので、無人の惑星の一つに封じられていたのです」
「あー、分かった」
ポン、と希亜世羅は手を打った。地球での生活で身に着けた仕草だが、一応伽々羅にも莉央莉恵にも通じたようだ。
「私らがあの宇宙に攻め込んだ混乱に乗じて封印から抜け出したとか、そういうヤツだ!!!」
「正解です、我が主。ただし、封印を破られただけでは、その星系で活動するにも困難がありますからね。逃げ出して地球まで渡ってきたという訳です」
ごろんと転がった希亜世羅、そして側近たちの目の前で、立体映像の様子が変わった。
星々の間に異形の神々が飛び交う。
輝く人影のようなもの、二頭連なった龍のようなもの、闇を凝縮した翼を持つもの。
それらが輝く翼の群れと、小型の恒星そのものにも見える巨大なエネルギー体と戦っている。
その隙間を縫うように、ある昏い星から、何かが抜け出した。
滑るように星の海を縫って、どこかへ向かう。
その大写しになった顔は、昆虫に似ていて人間のそれではなかったが、それであっても、どこか「あの」骨蝕を連想させた。
「あの戦いの余波はこんなところにも、ですにゅう。あのごたごたに乗じて地球に紛れ込んだ、他の星系の神を、あの設楽というにーちゃんは下級の神と勘違いしていた――誤魔化されていたのですにゃあ」
希亜世羅の官能的な腹をさすさすしながら、伽々羅が呟く。
当の希亜世羅本人は、半ば眠い、半ば悩ましい顔で、じっと繭の天井近くを眺めていた。その様子はきっぱり、甘やかされる子供である。
「それは、本当か?」
不意に、低い響きの声が聞こえた。
希亜世羅、そして伽々羅も莉央莉恵もはっとする。
「……今の話は、本当なのか……?」
「虚空の繭」の中央。
本来なら希亜世羅が眠る力場の寝台の上で、神使となった冴が、たくましい体を起こそうとしていた。