6 二人の人外

 地上に降りて来た太陽のようなその大型手裏剣は、剝き出しの怪物となった鵜殿に襲い掛かる。

 

 輝きながら視界を切り裂くかのような手裏剣「傾空」に追われ、鵜殿は百合子から飛び離れて逃げる。

 どういう原理になっているものか、傾空は一旦は鵜殿に避けられながらも、また急激な軌道を描いて戻り、再び鵜殿を追撃する。

 さながら独立した生き物のようだ。

 

 鵜殿は、逃げる、逃げる。

 疾風のような速度の傾空に執拗に狙われ、時には地面に伏せ、時には立木の陰に隠れ、とにかく避けるしかできないようだ。

 とてもではないが、百合子を襲う時間などなくなったのだ。

 一瞬にして、百合子と鵜殿の形勢は逆転している。

 しかも、百合子の左手には、まだ対のもう一方である傾空が残っている。

 

「ふん、小僧、予想外か。お前如き愚か者の思い込みが、そうそういつも実現する訳なかろう」

 

 腕組みして、逃げ回る鵜殿を眺める翼の女が、形の良い鼻を鳴らす。

 

「ごく普通の人間だと思って、彼女を侮っていただろう? そう馬鹿にしたもんでもないよ。人間には、こんな風に化ける可能性は常にあるんだよ、勉強になったね?」

 

 人間には、じゃなくて彼女には、というべきかな?

 そんな風に嘯いて、雲の女は腕をかざす。

 一瞬にして、湧き上がった雲の塊が、長い布よろしく、逃げる鵜殿の足に絡みつく。

 鵜殿は、今しも駆け下りようしていた神社の石段の手前で、派手に転倒し。

 

 悲鳴と血飛沫。

 

 もがいた拍子に振り上げた、鵜殿の左腕が、飛来した傾空に根本から切断される。

 丘の上の神社の境内、砂色の地面の上に、赤黒い血が撒き散らされるのは、今更ながら悪夢の上塗りである。

 鵜殿はサイレンのような悲鳴と悪罵を交互に喚き、残った右腕で自分の体を石段の下に転がす。

 

 百合子は小さくあっと叫び、確認したい衝動に駆られたが、いや待て、慎重にと自分に言い聞かせる。

 

 と、傾空が空中でぐるんと大きく軌道を描いて戻って来る気配がし、百合子は誰に教えられるでもなく、右腕を伸ばす。

 不思議なことに、周囲に刃を巡らせたはずの大型手裏剣は、百合子の腕に傷の一つもつけることなく、真ん中に渡された柄を、まるで精密に計算していたかのように、ぴったり百合子の手に収める。

 軽い衝撃だけで、百合子は両方の「傾空」を再び手に収めたのだ。

 

「ああ、また逃げられたな」

 

 雲の女が、少し高めに浮きながら、やれやれと溜息をついたのが聞こえる。

 百合子は、彼女を振り仰ぎ、自らも思い切って石段の下を覗き込む。

 ずるずると血色の帯が引かれたその下、石段の途中で、血の跡が消えている。

 ちょうど、百合子が覗き込んだ時に、空間の中の傷のような痕跡が、すうっと消えていくところだ。

 さっきみたいに、空間に切れ目を入れてどこか遠くに逃げたのだろうと、百合子は見当をつける。

 

「やれやれ、災難だったけど、面白いものが君の物になっただろう?」

 

 ふと、雲の女が近づいて来る。

 いい匂いがする。

 

「思いのほか、『傾空』を使いこなしているな。流石だ。やはり只者ではない」

 

 またちょっと違った種類のいい香りを纏う翼の女が、百合子のすぐ脇に降り立ち、しげしげと彼女を見据える。

 

「あ、あの……」

 

 百合子は、命の危険が遠ざかったと認識すると同時に、今の今まで棚上げしてきた疑問が勢いを増して噴出するのを感じる。

 

「これは……一体……あなた方は……この武器……」

 

 何から訊いていいのかわからず、あわあわした口調になっている百合子に、雲の女と翼の女は、同情の目を向けてから顔を見合わせる。

 

「……とりあえず、説明してやる。そこに座れ」

 

 翼の女が、境内の一角、長い石のベンチ状のものが置かれた場所を指し示す。

 

「まあ、そもそもどこから説明したものやらだなあ、これ」

 

 雲の女が、頭上の本物の雲を見上げる。

 

 百合子は、改めて不思議な二人の人外に、何か重要な意味を見出した気がしたのだった。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「私は、神巫天名(かんなぎあまな)という。天狗だ。その『傾空』を作ったのは、この私だ」

 

 ちょっと横柄だが、何故か板についているように思えて嫌味に感じない口調で、その天狗だという天名は名乗る。

 百合子を挟んで、石のベンチの左側に、天名は座っている。

 まばゆいばかりの深紅の翼は、まるで宗教画の天使みたいな荘厳さだなと、百合子は内心思う。

 

「あ、御園生百合子です。神巫さん、ありがとうございます。あの……これって……凄いですね……一体」

 

 百合子は膝の上に置いた「傾空」に視線をやる。

 

「おっと、その前に私の名乗りも聞いてくれ」

 

 そう口を挟んだのは、雲の女。

 白瑪瑙のような指で、百合子のほおをつつく。

 

「私は、真砂(まさご)という。雲母妖(きららのあやかし)という、人外種族なんだ。鉱物と天空を司る、割と珍しい種族なんだよ?」

 

 くすくす笑う真砂を、百合子はまじまじと見つめる。

 こうして近くで見ると、鉱物めいた肌や髪の質感と雲の輝きの対比で、得も言われぬ神秘性、そして深遠な美しさである。

 

「人外……妖怪とか、魔性の者とか、そういう……実在するなんて」

 

 百合子は目をぱちぱち。

 

「まあ、人間とはちょっと違った原理の元に存在している知的生命体だから、人外としか言いようがない訳さ。妖怪とか魔性って、ちょっと否定的な意味があるから、失礼とは思わない? 要するに『お前は怪しい奴だ』ってさ」

 

 真砂は、けろけろ笑いながら腕を広げて見せる。

 ふわりと、巻き付いた雲がたなびく。

 

「あ……そうですね、すみません」

 

 百合子がぺこりと頭を下げると、真砂はニンマリする。

 

「相変わらず素直な子だな。前に会った時に受けた印象の通りだよ」

 

 急にそんなことを言われ、百合子は怪訝な顔をするしかない。

 こんな印象的な人と、以前に会っている?

 

「ほら、君の職場で、さ。私、結構常連だと思うんだよねえ?」

 

 ぶわりと、真砂の全身が雲で覆われる。

 ぎょっとした百合子が、次に見たもの。

 そこにいたのは、あの時、市立図書館で警告してくれた、女性利用者。

 美人だが、地味目ないでたちの、眼鏡の女性。

 深石桃子とか、そんな名前だったはず。

 あの女性が、そこに、面白そうに座っていたのだ。