10 どちらが誠也?

「くっ……ああ……ッ!!」

 

 誠也は不気味な触手にぐるぐる巻きにされながら呻く。

 脳内は混乱の極みである。

 この怪物化した「元人間」は、誠也に「自分の体を返せ」と言ってきている。

 どういう意味だろう?

 何故、こいつと親でも子でもない誠也の体が、こいつの体だというのか。

 

「何でお前は図々しくもわしの体を使っておる? 元の持ち主に返すべきじゃろう? お前は元居たところへ帰るが良いわ」

 

 双炎坊が口にすると、ぎりぎりと触手が誠也を締め上げ始める。

 息も詰まりそうになりながら、それでも誠也は声を絞り出す。

 

「あなたは、何を言っているんだ? どうして僕の体があなたの体なんだ……?」

 

 誠也の悲痛な問いに、双炎坊は空虚な顔から、息が漏れるような笑い声を響かせる。

 どういう仕組みなんだろうと、一瞬自分の状況も忘れて誠也はぞわぞわした疑問に囚われる。

 

「覚えておらぬか。なら教えてやろう。そなたは、大道誠也と今名乗っておるそなたは、その魂をその体に入れて生まれてくるはずではなかったのじゃ。その体は、わしがわしの器として用意した体じゃからの」

 

 誠也は一瞬意味が取れず。

 次いで、じわじわ理解が追いつくにつれ、足元が崩れ去るような恐怖心に縛り上げられる。

 

「そんな……そんな嘘だ!! 僕は大道誠也だ!! あの両親の元に生まれた大道誠也だ、あんたとなんか関係ない!!」

 

 この極悪カルト坊主が邪気を集めて実体化したらしいという説明は受けたが、新しい肉体を用意していたなんて初耳だ。

 しかも、自分の肉体がそうだった?

 あまりにも馬鹿げている。

 唐突過ぎ、現実離れし過ぎて、到底信じることなどできない。

 

「そなたはのう、ただの浮遊霊だったのじゃ。それが、わしが用意した肉体に、わしが入り込む直前にたまたま吸い込まれてしまっただけのことよ。そなたの体の、本来の持ち主はわしじゃて」

 

 誠也は動転する。

 自分が自分、「大道誠也」と思っているこの自我、この魂は、たまたま偶然の事故でこの肉体に宿っただけの浮遊霊で……本来の「大路誠也」は、この双炎坊だったというのだろうか?

 

 誠也の内心に、猛然と反抗の炎が燃え上がる。

 自分は自分だ。

 16年間、大道誠也として、この体と魂とで生きてきた。

 欠点を挙げたらきりがないかも知れないが、それでも、あの両親の一人息子で、現在県立城子高校オカルト研究部の部員の大道誠也は自分なのだ。

 なんで、こんな得体の知れない化け物に、自分自身を根底から否定されなければならないのだ。

 

「その話のどこに証拠があるんだ!? いい加減なことを言うな!! この体で今日まで生きてきたのはこの僕だ、お前なんか幽霊ですらなくなった化け物じゃないか!!」

 

 だが、温和な誠也が珍しくも放った鋭い言葉に、双炎坊はまるで動じない。

 相変わらず、息が漏れるような奇妙な笑い声を響かせる。

 

「そなたごときがどう思おうと、事実は一つよ。どれ、体をいい加減に返してもらおうかい」

 

 双炎坊が、座った姿勢のまま、床をすうっと滑り来る。

 誠也自身に突っ込んで来るかのように……

 

「わああああああああああ!!!!」

 

 誠也は絶叫し。

 そして、咄嗟に少し前に筒沢池の龍神に、千恵理の遠い祖父に聞かされたことを思い出す。

 

『そなたは、ありとあらゆる心と魂のありようを操れる。自分と大事な者を守るためだったら、その無敵の精神の鉾を使うのだ』

 

 途端に、誠也と突っ込んで来る双炎坊の間の空間に、銀色に輝く鉄格子のようなものが出現する。

 それが流れ来るゴミを引っかけるように双炎坊を引っかけ、そのまま誠也から引き離して床の間の壁際へと放り出す。

 

「なんじゃ!? なんじゃこれは!?」

 

 双炎坊が悲鳴を上げている。

 誠也ははっと目を見開き、すうっと消えていきつつある銀の格子を見据える。

 いつの間にか、自分を巻き取っていた触手も格子に触れて消えている。

 

 そうだ、尾澤さんのおじいさんが仰っていた通りのことが起きた。

 あの格子は僕の「拒否」が形になったもの。

 僕は精神と魂を操れるのだ。

 

「おのれ小僧、いつの間にそんなことを……!!」

 

 双炎坊の肉体が風を送り込まれた炎のように膨れ上がり……

 

 その時。

 

「双炎坊!!」

 

 声の後から、暗い大気を震わせる大音声が轟く。

 誠也には聞き覚えがある。

 あの大筒の銃声。

 

 部屋のふすまを蹴破ったのか、見覚えのある銀髪が誠也の隣に降り立つ。

 その反対側に、輝く太刀を掲げた角のある人影。

 

「尾澤さん!? 羽倉くんも!?」

 

 誠也の両脇を守る形になった二人は、右腕を吹き飛ばされた姿の双炎坊に相対する。

 

「そういうことか。読めたぜ生臭坊主。てめえの目当ては最初からこの大道だろう」

 

 元喜が、抱え大筒を構えたままで歯を剥き出す。

 

「てめえは、この大道の特殊な才能が欲しくてたまらなかったんだな。こいつの肉体を乗っ取れば、また人間の若者として人生やり直せる。今度こそ、天下が取れるってな」

 

 元喜の言葉に、誠也はきょとんとすると同時に、心のどこかで妙に腑に落ちる。

 この能力を目当てに、この化け物は適当なことを言っていたのか。

 

「羽倉くんから聞いて、大体わかったわ」

 

 千恵理が深い憤りと共に吐き出す。

 

「首かじりだかに大道くんを襲わせたのも、結局大道くんの精神と魂を操る特殊能力が欲しかったのね。その能力は大道くんの脳みそに組み込まれている。だから大道くんの魂を追い出して、体を乗っ取ろうとしたんでしょ?」

 

 その言葉を聞いた誠也は今度こそ確信する。

 双炎坊の言っていた、自分が用意した体云々は出鱈目。

 恐らくどうやってか、誠也の特殊能力の本質を本人よりも的確にかぎつけて狙って来たのだ。

 まさか、そもそもこの街に舞い戻って来たというのも、自分の能力を目当てに……?

 

 双炎坊は吹っ飛ばされた右腕を抑えながら呻く。

 

「そなたら、その小僧を助けるつもりらしいがそれで良いのか?」

 

 元喜が目を細め、千恵理が叫ぶ。

 

「どういう意味よ!!」

 

「その小僧、このまま成長を続ければ、かつてのわしどころではない災厄の種になるぞ? それでも良いのか?」

 

 双炎坊の言葉に、誠也の背中がぞくっと寒くなる。

 だが、千恵理も、元喜も、まるで動じていない。

 

「大道くんを、あんたみたいな欲得だけの化け物と一緒にすんじゃないわよ!!」

 

「愚問だな。昔はこういうことができる種族なんてのもいたそうだが、必ずしも悪用した訳じゃねえって話だぜ」

 

 全く、我欲しかねえ奴ってのは、他人も同じだと思うからな。

 

 元喜が大筒を構える前に、千恵理が飛び出す。

 

「さっさと消えなさい化け物!!」

 

 一瞬。

 

 そこに、双炎坊はいない。

 だが、代わりに出現した、半身が蛭にそっくりな獣というべき異様な怪物の群れが、千恵理に元喜に、そして誠也に襲い掛かったのだった。