48 その理由

「さて、あやかし山伏さんにお伺いいたしますが」

 

 地獄の炎を無限に反射する、無数の鏡の照り返しに囲まれて、冴祥はあやかし山伏に問う。

 冴祥の宝石をちりばめたような角も、きらめく龍の尾も、禍々しい炎の揺らめきに照らされてひんやりと輝く。

 あやかし山伏の、異形の巨体が、ゆっくり冴祥に向けられる。

 

「あなたの目的は何なんですか? あなたの主であったまぼろし大師さんはもういないんですよ。あなたが勝利を捧げて、権勢を拡大するべき人物は、もう存在しない。何のためにこんな騒ぎを?」

 

 あやかし山伏がくぐもった声で笑う。

 手の中の錫杖が鳴らされる。

 

「まぼろし大師様がどうなろうと、結局のところ関係ありませぬな。大師様とて、結局あのお方の手足の一部」

 

 冴祥は、一瞬ちらっと暁烏と視線を見交わす。

 どういうことだろう。

 

「あのお方というのは? あなたは二重に主に仕えておられたと?」

 

 あやかし山伏は笑う。

 

「そういうことではありませんな。まぼろし大師様も、あのお方に仕えておいでということ。我らの頂点」

 

 冴祥の脳裏に、あの高月城下の一室での光景が蘇る。

 百合子の心を餌食にしようとしていた、あの邪神を封じた「神封じの石」。

 

「……あの邪神ですか? 残念ですが、あの邪神も完全に封じられましたよ。今までのように、少しずつ邪神に流れた血の生贄を捧げるなんていうことはできない」

 

 真砂の方針転換が、冴祥の脳裏にくっきり蘇る。

 原初の神の分霊たる彼女が、邪神を完全に隔絶された時空に封印し直した時点で、いかなる方法でも邪神に贄を捧げることはできなくなったはず。

 ここで行われた流血は、贄にもならない無駄な災いでしかない。

 

「……まだやりようはある」

 

 あやかし山伏の口調が変わる。

 

「あの原初の神の分霊たる奴を屈服させるのだ。奴自身をあのお方の贄にしてやる。さすれば、あのお方が奴の神格を奪える。あのお方が根源の神。あの……」

 

 続いて発音されたその邪神の名前は、冴祥の耳にも、暁烏の耳にも、そしてナギの耳にも入らなかったのだ。

 いや、聞こえたのかも知れないが、脳と魂が拒絶し、認識できない。

 その音が聞こえたはずの部分だけ、いきなり強力な耳栓でも詰め込まれたような状態になる。

 さしもの冴祥が慄然とする。

 早く決着を付けて、邪神の影響下にある存在を完全に排除せねば、あまりにこの世界が危険だ。

 

「できもしねえことを、ってのを別にしても、根源の神を倒したからって、そいつが根源の神になるなんてこたぁねえんじゃねえのか?」

 

 暁烏が、いかにも胡散臭そうに口を挟む。

 彼の手の中に、輝く太刀。

 地獄の炎を照り返し、戦いに備えている。

 

「根源の神倒したところで、そいつは『根源の神を倒した後発の神』ってやつになるだけなんじゃねえの? その根源の神様がやったこととかその栄誉とか、たまたま倒しただけの奴がやったってことにはならねえだろ」

 

 神様の事績ってのは、ボクシングのチャンピオンベルトじゃねえんだぞ。

 暁烏は呆れたように付け加える。

 と、あやかし山伏の錫杖が大きく振り鳴らされる。

 

「黙れ!! 貴様ら信仰なき野良人外風情に何がわかる!? あの方だけが、我らを救ってくださる!! 貴様らごときに邪魔はさせぬ!!」

 

 

 地獄の炎が爆ぜながら暁烏たちを取り囲もうとするが、冴祥の鏡がきらめき、素早くその炎も鏡に閉じ込められる。

 

「あー、出ましたね。邪教徒特有の理論の歪みですよコレ。こういうのに気を付けろって、主にも言われてました、ワタクシ」

 

 ナギがニャアニャア解説を突っ込む。

 

「邪神の教えって、結局、奪えないもの、奪ってはいけない尊いものを奪って私物化しろってことですからね。原初の神っていう看板が羨ましくて自分が掲げたいので、原初の神を倒して、事績その他を嘘で固めれば、自分たちの親玉が原初の神ってことなんですよ」

 

 かくして、この方たちの支配する場所では、虚偽と災難が加速度的に増えていく。

 でも信者は基本都合のいいことしか認識できない馬鹿なんで、おかしいとは認識しないし、万が一認識して指摘するような者は迫害するだけ。

 ナギは悲し気にニャアと鳴く。

 

「お前ら、もしかして、この街を邪神の支配地域にするってことか? それでこういう襲撃を!?」

 

 暁烏が太刀を構え、腰を落とす。

 

「まあ、ここは足がかりよ!! その栄誉を喜ぶが良いわ!!」

 

 いきなり、地面に亀裂が入る。

 赤々と輝く、溶岩の輝きと熱を認識した三人は、上空に飛び上がる。

 一瞬にして、繁華街の地面の一角に、火口が現れ、溶岩が溢れ始める。

 燃え上がる街路樹、溶ける街灯の柱。

 陽炎でゆらまく大気。

 

「……三。水。安定するもの。満たすもの。平静」

 

 冴祥が数霊を発動させる。

 一瞬にして、燃え盛る溶岩は、ひんやりとした水に覆われて盛大に水蒸気を上げ、次の瞬間、分厚い氷の下に、冷えて固まった地面が横たわるだけになる。

 気温の上がって来る時期に当たるのに、そこだけ真冬の冷気が支配する。

 

「わー!! 冴祥さん凄い!! ナイスです!! 演技力だけじゃなくて、霊力もたかーーーい!!!」

 

 ナギが賞賛の声を上げる。

 

「はっ!!」

 

 暁烏が、太刀を一閃させる。

 飛来した剣風は、もはや重力の刃である。

 あやかし山伏の巨大なヤスデ状の胴体に、巨大な溝を穿つ。

 その胴体から、黒っぽい体液が流れたように見えたその時。

 

「わー!! なんですかコレッ!!」

 

 ナギが叫ぶ。

 体液と見えたものは、空気に触れるや否や、平べったい掌くらいの人の形になる。

 まるで翅でもあるかのように、そいつらは冴祥たちに突撃してくる。

 焦げた樹木が塵の塊となって地面にぶちまけられ……

 

 しかし、冴祥の鏡が光る方が早い。

 鏡がきらめくと同時に、光に消し飛ばされたように、不気味な人影が消える。

 焦げた柱を塵に変えていた人影は、すでに一つも残っていない。

 

「はい、その錫杖を渡しなさーい!!」

 

 ナギが、異国の神のように、翼を広げる。

 まるで太陽が再現されたかのように、強烈な光が降り注ぎ、あやかし山伏の錫杖を溶かそうとする。

 

「貴様、おのれ、鳥ごときが」

 

 あやかし山伏が錫杖を庇おうとして、身体を丸めた時。

 

 目の前に、鏡。

 

「さようなら、あやかし山伏さん。この鏡、ある方にいただいた神器なんですよ」

 

 あの邪神さんよりおっかない方にね?

 冴祥がからかうように口にした時、あやかし山伏の肉体は、一瞬で朽ちて、無数の螢のような光の粒に変じて、鏡に吸い込まれたのだった。