57 ある日刻窟市で

「わーい!! ウニ!! 雲丹!! うにーーー!!!」

 

「はいはい、ナギちゃん、お寿司は逃げないから、落ち着いて食べるのよ」

 

 重厚な座卓の上で寿司桶をつついているウミネコを、百合子はナデナデしてやる。

 ナギは夏毛になってシュッとしており、百合子はTシャツにデニムのキュロットスカート。

 

 断熱サッシと障子戸越しでも、日差しはまぶしくなりはじめている時期。

 落ち着きを取り戻した刻窟市の、真砂の邸宅。

 梅雨の晴れ間、昨日まで降り続いた雨が上がり、庭の紫陽花の青紫が鮮やか。

 庭の池で鯉が跳ねる。

 クーラーの効いた室内には、あの事件を経た、六人の姿。

 

「はい、ようやくあの件の打ち上げなんですから、皆さん沢山お召し上がりくださいね」

 

 冴祥が、市内で一番老舗の寿司店に特注した最上級の寿司を詰め込んだ大桶を、百合子に真砂、天名にナギ、もちろん暁烏にも勧めている。

 今日は、あの狩衣姿ではなく、上等のサマースーツ姿だ。

 邪神の企みを追って、世界を幾つも渡り歩いた六人は、ようやく何事もない日常を取り戻す。

 刻窟市は災害からの復旧が本格化、そのシンボル、聖なる刻窟はいくつもの世界の中心のまま、今日も初夏の日差しに影を落とし、とんでもない騒ぎだった市役所だって今や通常業務。

 

 百合子は恐る恐る家族に電話してみたが、全員無事なのが判明して、安堵のあまりくらくらしたものだ。

 

「しかし、こうしてみると、冴祥に買収されているような気がするな」

 

 真砂が紅白の色調もくっきりな、大きな車エビの寿司を頬張りながら、そんなことを口にする。

 今は人間の姿で、紫陽花色のブラウスに白の薄い布地を重ねたスカート。

 

「まあ、あれはナイスプレイだったけどさ、寿命が百年くらい縮まったのは事実だぞ」

 

 思わず、暁烏がコハダの寿司をもぐもぐしながら振り返る。

 今は半そでのサマーニットにカーゴパンツ。

 

「え、真砂さんって寿命、あんの? 真砂さんって確か、原初の時空の神の分霊さんだよね?」

 

 寿命とかなくね? と突っ込んだ暁烏に、真砂はけろけろ笑う。

 気分的にね。

 この世界が続いてくれれば、私も死なずに済むから、若い君らが頑張ってくれよ。

 

「しかしだな、事件の報告を曾祖母に報告しに出向いた常世の国で、冴祥に出くわしたのはぎょっとしたぞ」

 

 キスの寿司を口に放り込んだ天名は、いつものように巫女装束。

 薄物の千早が夏向きだ。

 

「え? 冴祥さんって常世の国ともご商売なさってるんですか?」

 

 百合子が思わず冴祥を振り返ると、彼は含みを持たせて妖艶に微笑む。

 

「常世の国由来のものは、商売にはしてはいけないんです。常世の国のものは、贈り物として相応しい人に受け渡されなければならない。世知辛い商売なんかしてますとね、こういう世界に出入りして、バランスを取っているんですよ」

 

 そんな冴祥を、天名は横目の胡乱な視線。

 

「それだけなら、なんで曾祖母と旧知の仲だというのを、私にも黙っていた。曾祖母に『あなたのことは、冴祥にも頼んであるから』などと言われて腰を抜かしたぞ」

 

 ん? と百合子は何かに気付く。

 

「もしかしてナギちゃんて、冴祥さんと前から知り合いだったりした?」

 

「あ、バレました?」

 

 今度はタコをもきゅもきゅしているナギが、あっさり認める。

 

「冴祥さんは実に優秀な止まり木なので、今や懐かしいまぼろし大師さんのところで一芝居打つのも、まあ、この人なら上手くやるかなって」

 

「鳥としての止まり心地が基準か。まあ、いいけど」

 

 ハモの吸い物を口に運ぶ真砂と、あくまで含み笑いで何も言わない冴祥を見ながら、あれ、もしかして私、凄いことに関わってない?

 非正規社畜が何でこうなった?

 と、内心状況に突っ込む百合子である。

 

「まあ、この街は平和になったけどさ」

 

 真砂が、不意にどこか遠くを見るように。

 

「刻窟に繋がってる幾つもの世界では、何かが起こっている。あの邪神はとりあえず押さえたけど、あいつ由来の神器って、まだどっかにあるはずなんだよね」

 

 百合子は心臓が跳ね上がる。

 

「それって……?」

 

「まあ、大体は、その世界の有力者が封じたりしてるみたいだけど。でもいつ、その状態が変わるかわからないからね」

 

 真砂が、百合子をいたずらっぽく見つめる。

 

「私というより、多分百合子にお呼びがかかるかもね」

 

 えええ……

 百合子は困惑しきり。

 

「あっ、そうだ、百合子さん、真砂さん、天名さん。百合子さんが邪神から世界を救ってほっとした心から生まれた『刻ノ石』で神器を作られたと伺ったのですが」

 

 ずいずいと、冴祥が三人に迫る。

 

「それ、僕に託してくれませんか? 次世代のヒーロー、見つけて来ますよ!!!」

 

「あ、俺も見たい。その神器見せて」

 

 更に暁烏も加わってずいずい。

 

 百合子は、真砂と天名と顔を見合わせる。

 

「どうします? 売るんですか?」

 

「うーむ。持ち主を探すべきなのは事実なんだけどねえ」

 

「何か起こるような予感はするな」

 

 悩む三人が唸っている隙に、ナギがアマダイの寿司を盗んでいったのであった。

 

 

 

刻窟の通行証書 【完】