6 ヘヴンリーフィールド

 ヘヴンリーフィールドの街は、人口6000人ほどのささやかな街である。

 

 その事前情報は、まず間違いあるまいという規模の街ではあったが、違和感を覚えるのは。

 

「……随分、人通りが活発だな。こんな田舎町なのに、都会みたいだ。……だが、風の匂いは妙だぜ」

 

 半ばおちゃらけた口調で、その街の繁華街を眺めたのは、ダイモンだった。

 軍服の前を開け、のんびりと田舎特有の薄暗い通りを眺めている。

 

「やはり、事前の情報通りだ。普通の人間が急に宵っ張りになった訳ではなさそうだぞ」

 

 そう応じたのは、珍しく前線に出てきたプリンス。

 こちらは着崩すことなく大佐の軍服を着こみ、数人のOracle出張組の真ん中にいる。

 あれから二時間と経っていない夜も浅い時間帯、食事を摂ってエネルギー補給したOracleの面々は、ヘヴンリーフィールドの街にいた。

 この素早すぎる移動には、プリンス自身の能力も関わっているのだが……それはさておき。

 

「この街の湖側は、東海岸の富裕層が別荘を構える場所になっている。多分、奴らはそこにいるのだろうな」

 

 メフィストフェレスが街の灯を透かして遠くを見た。

 この街の西側には湖があり、そこの岸辺は、彼の言う通り、富裕層の別荘地になっているというのは、軍部が調べるまでもなく有名な話だった。

 澄んだ湖、その周囲の瑞々しい丘陵と森。

 風光明媚な場所だ。

 こんなことがなければ、そしてこんな時間でなければ、それなりに楽しめただろう。

 

「とにかく、一刻も早く吸血鬼を粛清せねばならない」

 

 強張った声と表情で断言したのは、マカライトだった。

 怒りで目がきらめいている。

 

「吸血鬼なぞ、存在自体が神の定めたもうた法に背いているのだから」

 

「奴らがキリスト教徒もしくはユダヤ教徒だかは知らないけどね。そうであってもそうでなくても、なんとかしなけりゃならないのは同じよ。明らかにおかしいわよ」

 

 ムーンベルの見据える先に、ふらふら動く人影があった。

 酔っているのではない。

 D9とライトニングには見覚えのある、あの水流に揉まれる木の葉のような、重力を無視した不気味な動き。

 

「問題は、あたしたちだけで対処できる数なのかってことよね。街の住人が全部これなら、流石に厄介よ」

 

 難しい顔を暗がりに向けたのはナイトウィング。

 優雅に魅惑的なボディラインを強調する姿勢を取り、暗がりを見据えている。

 彼女も、闇夜に視界を妨げられている様子ではない。

 

「全部に追いつかれないうちに、街の西側に到達できればいいのですが。『親』になった吸血鬼さえ倒せば、サーヴァント段階の者なら、自動的に人間に戻るのでしょう?」

 

 細い月の薄明かりの下を、コウモリのようにひらひら飛び回るサーヴァントたちを見ていたのは、東洋系の黒髪の女性だった。

 はっとするような美人で、すらりと背が高く、月明かりに浮かび上がるような真っ白な肌を持っていた。

 だが、なよやかな印象の見た目に反して、眼光は鋭い。

 磨き上げた水晶の目。

 その繊手の中に、一瞬で不思議な文様の札が現れる。

 その筋に詳しければ、道教の呪文を描いた符だと察することができただろう。

 

「理論的にはその通りだよ、ヴォイド」

 

 ライトニングが、その仲間のコードネームを呼んだ。

 

「だが、そう一筋縄でいくかが問題だ。あいつらは、四百年の間、過酷な状況にもめげずに生き延びてきた吸血鬼だ。こんなふうに追い詰められるような状況だって、一度や二度ではないはずだ」

 

 あえてこうするのは、何か対抗策があるってことだよ。

 ライトニングはワイルドな美貌をひそめた。

 

「それでも」

 

 D9が、静かにその身に力を込めた。

 じわりと体の内側で何かが弾け、広がる感覚。

 

「いかない訳にはいかない。そうでしょう?」

 

 次の瞬間、そこに現れていたのは、虹色に輝く、巨躯の九頭龍だった。

 闇の中で地上に降り立った星のように輝き、周囲をほのかな輝きで照らし出している。

 

 その途端に、通りの向こうにいた吸血鬼のサーヴァントたちの様子が変わった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 まるで水の満たされた容器の底に、穴が空いたかのように。

 かつては人間であった、サーヴァントたちが、D9に向けて殺到した。

 

「さあて、来たぞ!! 予定通りにな!!」

 

 プリンスが叫んだ。

 

 空中にふわふわと浮かび漂ってくる、小太りの男性、大人しめの格好の若い女性、小柄な老婦人、田舎では精一杯尖っているのだろう若者。

 年齢も見かけの性別も様々なサーヴァントたちは、闇夜にその蒼白すぎる肌を浮かび上がらせながら、通りの、建物の窓や扉から飛び出してきて、Oracleの面々に突っ込んでくる。

 

「さあ、そう簡単にいくと思うなよ!!」

 

 闇の中で、そのあかがね色の全身を輝かせる魔神は、ダイモンだ。

 禍々しい笑みがその顔に浮かび、背中の巨大な翼がはばたく。

 途端に竜巻めいてさえいる強風が、サーヴァントたちを襲った。

 彼らは風に翻弄されて、空中に糊付けされたように固まる。

 

「父なる主の聖名(みな)において!! 邪なるものを退けたまえ、アーメン!!」

 

 マカライトは、白い翼の天使の姿を露わにしていた。

 掲げた右手に呼応するように、天空から金色の光が降り注ぐ。

 夜が明けたのではないかと錯覚させるほどのその輝きは、漂い来るサーヴァントたちの肉体に直撃した。

 不意に風に見離された凧のように、一団のサーヴァントが動きを停止し、地面に落下する。

 ぴくりとも動かない。

 完全に気を失っているようだ。

 

「疾(チ)ッ!!」

 

 ヴォイドの手から、四方八方に符が飛んだ。

 風に邪魔されることなく、まるでそれぞれのサーヴァントの額に吸い寄せられるように貼り付いた。

 途端に、ねじの壊れたからくり人形のように、サーヴァントたちの動きが止まる。

 地面に不時着でもするように突っ込み、動かなくなった。

 ヴォイドは、今や仙人の正体を露わにしていた。

 古い時代の中国の貴婦人のような豪奢な衣装。

 きらめく冠、両の手に、武器のように符を構えている。

 それは、仙人の戦い方だった。

 

「さあって!! これでこの辺の奴は始末が付くかしら?」

 

 ナイトウィングが手招きするようになよやかな手を振った。

 うすぼんやりした霧がたちこめた。

 それに包まれた残りのサーヴァントが、ふらふら落下し動かなくなる。

 彼らはかっと目を見開いたまま、昏睡状態に陥っていた。

 魔女の空気を昏倒性の毒に変える術だ。

 

「ああーーー……今、私はアレですか? 害虫おびき寄せる餌的な何か?」

 

 しるしると舌をひらめかせながら、D9がぼやいた。

 

「安心しな、あたしも突っ立ってただけだから。だってなあ、殺しちゃいけないんだもんなあ……」

 

 同じく文句を垂れたのは、ライトニングだった。

 彼女は人間の姿のままだ。

 

「……この街の被害状況は把握できた。住人のほぼ全員サーヴァントにされている。無事である者を探し回るより、当初の作戦通り、西側の別荘地に向かった方がいい」

 

 プリンスが、すっかり静かになった街路を見ながらそう判定した。

 D9になどはよくわからない仕組みであるが、彼の魔力の網に、そういう情報がかかったのであろう。

 これが、魔法というものだろうかとひそかに感心するD9である。

 

「さて、このまま突撃するしかないだろうな?」

 

 ダイモンは恋人の首の一つをぽんぽんと叩いてやった。

 

「だが、これでは簡単すぎる。かつての奴らは、もっとしたたかだった。何か、隠し玉があるぞ。気を付けるんだぜ、特にD9。一番奴らに狙われているのは、君だろうからな」

 

「うん……わかってる。なんか、変だよね?」

 

 人間だったら、納得いかない表情でも浮かべそうな声で、D9はつぶやいた。

 この先に、何が待っているのだろうと訝しがりながら。