49 市庁舎にて

 「おう、やっぱりこの非常事態では、緊急対策本部が市庁舎に置かれた、と、そういう訳だね」

 

 真砂が、古びたビルのはす向かい、暗い路地から首を出している。

 ちなみに、雲母妖の姿のまま。

 なかなか無謀である。

 

 彼女が見つめる先、刻窟市の中心街に近い一角にある古びた五階建てのビルは、煌々と灯りが点いている。

 本来ならこの時間に人気(ひとけ)があるはずのない、そのビルの門前には「刻窟市役所」の名称が掲げられている。

 

「繁華街中心に、市内の十数か所で、不審火及び謎の『何か』による破壊工作。非常事態として、市長を中心に非常事態対策本部が市役所に設置された。当然の流れ、ではあるが」

 

 真砂の後ろからその夜闇に照明の光を投げかける市庁舎を見上げていた天名が、言葉にやや含みを持たせる。

 彼女も天狗の姿のままだ。

 それが何かを物語る。

 

「……あの、窓から見えるものって何ですかね、あのぐねぐね……」

 

 百合子が、二人の隙間から、元の職場からも近い市庁舎を見上げ、薄気味悪そうに「それ」を見据える。

 一見、内部で立ち働いている人間が多くいそうな、照明がまばゆい市庁舎である。

 しかし、その二階の窓から見える奇妙なものが、百合子の背筋を寒くさせているのだ。

 

「人でない何かなのは確かだな。触手に見える」

 

 天名が淡々と応じる。

 窓にべったりと貼り付き、ずるずる蠢くそれは、どう見ても人間より大きな生き物の触手にしか思えない。

 遠目に見た印象では内部にぎっちりいそうな、市役所勤めの公務員、つまり、人間の姿は全く見えず、何か所かの窓に、その触手がへばりつき、うぞうぞと動く。

 

「……中の人たちは? 市役所の人たち、市長さんとかも当然市役所に詰めていたはずですよね?」

 

 百合子は、自分の声がわずかに震えているのを感じ取る。

 元の職場への通勤退勤時、よく見ていた市庁舎。

 それが今や、どうにも異様な場所になり果てている。

 このような状況でありながら、いや、このような状況だからこそか、人の出入りも見られない。

 対策本部が機能しているなら、ひっきりなしに人の出入りがありそうなものなのに。

 

「やられたねえ。多分、これがあやかし山伏の本当の目的だ。この街の頭が集まったところで制圧する。街中の騒ぎは陽動だよ」

 

 真砂がやれやれと溜息をこぼす。

 

「街を乗っ取る……?」

 

 百合子の視線は揺れている。

 

「乗っ取ってどうするの……?」

 

「何かの勢力を広めたいなら、どこかに拠点、足がかりが必要なのだ」

 

 天名がちょっと聞くと冷たく感じられるような声音で呟く。

 

「あの邪神の信仰を広げるための足掛かりとして、この街を乗っ取るのはいい方法かも知れんな。何せ、この街にはあの『刻窟』がある。異界にも自由に行き来できる」

 

 勢力を広める拠点として、この上ない条件が揃っている。

 天名が断言する前に、百合子の顔色がみるみる青ざめる。

 

「この街の住人を抑え込みたいから、市の行政の中枢を乗っ取った……?」

 

「そういうことだ。さて、中に入るしかないみたいだね?」

 

 真砂が軽い調子で口にし、そのままふわりと市庁舎の敷地の方へ漂っていく。

 天名が仕方あるまいといわんばかりに後を追い、百合子も真砂にもらった雲の羽衣を纏って後を追う。

 

 がらんとした駐車場を横切り、市庁舎の正面玄関に辿り着く。

 人影はない。

 明るく照らされたエントランスの灯りが、正面の強化ガラスのドア越しに、扇型の空間を創り出している。

 

「さあて……おや、普通に開くね? 拍子抜けだなあ」

 

 真砂が、開いた自動ドアをあっさりくぐる。

 

「おい。何の対策もなくだな……」

 

 天名が文句を言いかけたその時。

 

『こちら市民課です。どういったご用件でしょうか? 申請用紙に記入の上……』

 

『こちら危機管理課です。現在非常事態警報が発令されており、市民の皆様に置かれましては、各避難所へ……』

 

 口々にウグイス嬢のようなやけに聞き取りやすい声で言葉をぶつけてきたのは、ウグイス嬢とは似ても似つかぬ代物。

 様々な大きさの円柱を出鱈目につなぎ合わせた、奇怪な何かだ。

 もしかして、頂点近くにある丸っこいものが頭なのか。

 つるっとした質感の表面には、まるで幼児が描き込んだような大小様々な目がぱちぱち瞬きを繰り返す。

 

「!! おい、いきなりだな!!」

 

 天名がエントランスの高い天井に舞い上がる。

 その奇怪な「何か」の目は瞬きのたびに、異様な光を放っていたのだ。

 まるで砲弾かと思うような光は、市庁舎の石材が貼られた壁に、市民に対応するためのカウンターに、大穴を穿つ。

 まるでゲリラが市街戦を仕掛けてくるような有様に、百合子たちはそれぞれのやり方で身を隠し、衝撃の視線を避ける。

 

『こちら地域福祉課!! お怪我しましたァ!? 我らは優秀なので、障害が残った市民の皆様のケアもバッチリです!!』

 

 円柱を鉄線で繋いだような、幼児向けのおもちゃを彷彿とさせる何かが狂ったようにピコピコ言いながら走り回り、更に衝撃の視線を撒き散らして市庁舎を破壊する。

 

『こちら人事部!! 我らが優秀なる職員はまだまだいますよぉ』

 

 それぞれの課のカウンターの奥から、不格好な目をぴかぴか光らせた「何か」が、けたたましい音と共に走り出して来る。

 

「ええい、いい加減にしろ!! 雑魚どもが!!」

 

 天名が叫ぶと同時に、扇を一閃。

 轟音と共に衝撃波が通り過ぎ、一階の窓という窓が破裂する。

 衝撃波で洗われた内部には、既に動くものは残っていない。

 内戦の跡のような残骸の中に、あの奇怪な何かの欠片が転がり、それもじくじくと空気と化学反応するように消えて行く。

 

「……何……今の……」

 

 百合子が、思わず呻く。

 真砂が大きく溜息。

 

「まずいことになったねえ。市庁舎に邪神勢力が食い込んでしまったみたいだね」