17 ソーリヤスタ

「はい。大変申し訳ないですわ、皆様。実は、今度は常世の国のあの方から詮議があると、誤解いたしました次第。早とちりでしたわ。申し訳なく……」

 

 ソーリヤスタは、豊かな響きの甘い、しかし、どこか妙に平伏させるようなカリスマのある声で、全員に詫びる。

 彼女の私室、ナギの乗せられたテーブルに、百合子も、真砂も、天名も、冴祥も、暁烏も着座している。

 彼らの目の前には、優雅な脚付きのガラスの器に盛られた、鮮やかな黄色の、甘い香りを放つ半固形の生菓子らしきものが盛られている。

 中に刻んだドライフルーツを戻したものが混ぜ込まれて、その香りもかぐわしい。

 真ん中に何かナッツ類のスライスされたものが上品に飾られ、インド的な色彩と香りを強調する。

 

 しかし、美味しそうなそのデザートも、この奇怪な状況では楽しむ気にならない。

 

「ふむ。常世の国のあの方から、相応に苛烈な詮議を疑ったということは、そうされかねない何事かがあったということだな? 『神封じの石』に関してのことか?」

 

 天名が、美しく光のい強い目を、ソーリヤスタに据える。

 答えはわかっているような響き、恐らく確認のつもりであろう。

 

「はい。この『風放の湊』は、『神封じの島』に通じる海域に近いのですわ」

 

 甘く鼻にかかった声で、ソーリヤスタは天名に応じる。

 指を形の良い顎に当てて、天名の方に体をやや傾ける。

 

「常世の国に類縁のあるあなた様に、もっと詳しいお話ができれば良かったのですが……わたくしにとっても、この件は寝耳に水でしたの。突然クヴェーラ様の側近の方々が、わざわざ須弥山からこの屋敷においでになって」

 

 百合子は、隣の真砂を振り返る。

 

「ここって……?」

 

「ここは須弥山の山裾に広がる海の只中、東方勝身州(しょうしんしゅう)の、南の端だ。クヴェーラさんは、夜叉族の王の、いわゆる毘沙門天さんだね。わざわざ王様が直々に、『神封じの石』について調べに来たと」

 

 真砂は小声で素早く囁く。

 なるほど、仏教的な世界という訳だ。

 百合子はふとソーリヤスタに視線を戻して、その背後でさっきから目に入る、曙色の美しいその武器を見上げる。

 

 それは、壁にかけられた、大きな薙刀に見えるものである。

 雲の隙間から見える曙の空のような色の光が、透明な刀身に満ちているように見える。

 灰色の雲のようなグラデーションの長い柄、曙色の房が飾られ、刃の色合いは、世界をどこかから覗き見たかのように、ゆっくりと移り変わっていく。

 

 この武器が、私の心を元に作り出されたものなんだろうか?

 

 百合子の疑問も知らぬ気に、ソーリヤスタの弁明は続く。

 

「南東海域の、『宙の渦(そらのうず)』に、最近誰か近づいた者はいないかと。そんな人はいないと申し上げたんですが、どうもそこから『封印の島』に渡って、『神封じの石』を持ち去った何者かがいたらしいとのことで」

 

 宙の渦?

 封印の島?

 

 聞いたことのない言葉に、百合子はきょとんとする。

 そういえば「神封じの石」が具体的にどんな形で保管されていたものかは知らなかったが、どうもどこかの島にあったようだ。

 そこから持ち出されたのか。

 しかし、宙の渦というのは何のことだろう?

 

「あー、よくわからない方のために、わたしが説明しますね」

 

 刺身もきゅもきゅしながら、いきなりナギが口にする。

 

「『封印の島』っていうのは、原初の時の神が邪神を『神封じの石』に変じさせた時に作り出した、あらゆる時空と異なる、特殊な性質のある空間です。実際に島っていうより、孤立した空間を表現した名称ですね」

 

 もきゅもきゅ。

 ナギは刺身を飲み込むと、しゅたっと翼を上げる。

 

「で、ですね。時折、誰かが様子を見て、変わったことがないか確認しないと、危ない訳ですよ。そのために、色々な世界のどこかに、『封印の島』に通じる、次元の渦が時々口を開ける仕組みになってるんですねェ。それが『宙の渦』」

 

 なるほど……。

 百合子は、ようやく納得いった顔をしている横で、ソーリヤスタがナギをひょい、と持ち上げる。

 顔の前に持って来て、つやつや羽毛に美麗な顔を埋める。

 

「ああっ、魚臭い……!! そしてつやつやふっさり……!! 海鳥可愛い……!!」

 

 うっとりソーリヤスタに、吸われているナギはドヤ顔である。

 

「ああ、でもねえ、ソーリヤスタ様。それだけじゃないんでしょう? 『神封じの石』が行方不明になってから、何か変事もあるってうかがいましたよ?」

 

 今まで黙っていた冴祥が、不意に問いかける。

 

 ソーリヤスタは、ふと真顔に戻ると、ふう、と溜息をついた。

 

「やはり冴祥は、耳が速いこと。恐らくここに限らないと思うのだけど、『神封じの石』がなくなってから、妙な奴らがうろついていてね……」

 

「えっ、なになに、ヤバイ奴?」

 

 暁烏が身を乗り出す。

 ソーリヤスタはふふっと微笑む。

 

「正体はわからないわ。この世界でも見たことのない生き物だった。でも、あなた方が追っていたっていう元人間の殺人鬼も、来たことがあったわよ。これのお陰で、追い払えたけどねえ」

 

 ソーリヤスタは、立ち上がって、背後の壁から、薙刀を取り上げる。

 その背後では、百合子たちがぎくりとした顔を見合わせている。

 

「えっ……もしかして……鵜殿なんですか?」

 

 百合子が思わず叫ぶと、ソーリヤスタは艶然と笑う。

 

「そんな名前だったわね。厄介な男だったわ」

 

 そして、ソーリヤスタは百合子をまじまじと見つめる。

 まばゆいばかりに艶やかな女性に正面から微笑みかけられ、平凡ストレートであるはずの百合子でもどぎまぎしてしまう。

 

「あなたを最初に見た時にわかったわ。この神器の元はあなたなのね? ありがとう、これのお陰で街を護れたの」

 

 百合子が何か口にしようとした時。

 

「ソーリヤスタ様!! 申し上げます!!」

 

 アンディが、扉を叩き開ける勢いで飛び込んでくる。

 

「また出ました!! あの生き物です!!」