「う、うわわわわわ!!!」
「みんな、待ってくれ……!! 俺だ、グレイディだ……!!」
刻窟から、転移したその世界。
柔らかい勿忘草色の空の下、削り出したエメラルドのような森と草原が広がる一角。
かの有名な、ストーンサークルにそっくりな石造建造物と、刻窟は一瞬繋がったらしい。
通り抜けた飛空船は、そのストーンサークルの上空に出たのだ。
地上から見上げれば、今しも、ストーンサークルの真ん中に、飛空船が着陸しようとしているように見えたはず。
停止した、須弥山世界の中型飛空船に向け、輝く魔法の矢が、雨あられと飛んで来る。
矢といっても、ああいう形をしている訳ではなく、どちらかと言えば恐ろしく大きな針のような極端な流線型であったが、問題はその威力。
「こいつはきついな。流石、妖精の魔法」
真砂が、いち早く雲の防壁を展開して、船を覆い、魔法の矢を防ぎとめている。
船は、話に聞く空に浮く島のように渦巻く筋雲に覆われ、雲と気流で矢を防ぎとめているのだ。
が、芸術品のように美しい顔立ちをしかめているところからするに、彼女の幻力でも、妖精の魔法の攻撃は重いらしい。
「待て!! 待て!! 俺だ、グレイディだ、帰って来たんだ!! この人たちは、助けてくれた人たちだ!!」
グレイディは、飛空船の舳先に果敢に立って、いつもの静かな彼に似つかわしくない大声を上げている。
背後で身を縮めながら聞いていた百合子は、前から同様であったものの、何故かこの国の言葉が瞬時に理解できることに奇妙な感慨を覚える。
人外の能力らしいが、神器の所有者になっても同じことができるらしい。
「まずいな……。ティル・ナ・ノーグの方々は、成り立ちの性質上、あまり外部の者を歓迎しないと聞いていたけど、いきなりこれは」
アンディは、気づかわし気にグレイディを見やる。
「ふおお、まずいよなあ、反撃する訳にもいかないしさあ」
暁烏が一応太刀を構えつつも、苦い表情で攻撃に泡立つ雲を見上げる。
「港に停泊させてもらえば、もう少し穏やかだったんでしょうけど。これ、領土の真ん中に出ちゃったぽいですからねえ。そりゃ攻撃しますよね……」
防御する暇があっただけみっけもんかも知れませんね……と冴祥。
鏡は展開させているが、流石に格の高い人外だけあって、悠然と様子見の構えだ。
「ニャア!! どうしましょう、敵じゃないってわかってもらうには……!!」
冴祥の絹で包まれた腕の中に守ってもらっているナギがニャアニャア叫ぶ。
流石にあんな矢で四方八方から攻撃されたら、哀れな焼き鳥になるという予想がちらつくのだろう。
「まあ、ここはグレイディに任せるしかないな。あいつの顔を覚えている者が誰かいればいいが。そうでなくとも、妖精の同類なのは見た目でわかるはずだ。考慮はするだろう」
天名が、慌てた様子もなく、舳先のグレイディの背中を見た、その時。
「……あっ、攻撃が……止んだ……」
百合子は息を呑む。
グレイディの言葉から数瞬遅れたようなタイミングで、矢の雨が止む。
渦巻く雲の隙間から、少し離れた地上、なだらかな丘の陰から、何か昆虫の翅に似た輝く翅を伸ばす人影が、船に近付いて来るのが見える。
三人ほど。
蝶の翅が一人、蜻蛉の翅が二人。
「グレイディ!? お前、本当にお前だな!? 一緒だった奴らはどうした!?」
早口で、先頭の蜻蛉の翅の妖精の男性が、グレイディの肩を掴んだのがわかる。
「慈濫という男に殺された……。俺だけ、奴の術の余波で、須弥山世界まで飛ばされたんだ……。奴は倒したが、その時、重要なことがわかった……。アーヴィング様に取り次いでくれ……恐ろしい話だ、急がないと……」
グレイディを迎えに来た三人が、不穏な顔を見合わせたのが見える。
彼らは、船を覗き込み、百合子たちを見咎める。
「この船の者たちは? 異国の者たちのようだが?」
蝶の翅の男性が尋ねる。
百合子は、鋭い視線に緊張する。
「角のあるこいつは、須弥山世界で俺と同じ主に仕えていた同僚で、夜叉族のアンディ。残りは、常世の国のお使いの、天名様、真砂様、ナギ様、冴祥様、暁烏様、そして神器使いの百合子様。特に、天名様は、常世の国の主の神のご血縁だと聞いている」
グレイディが、背後の一人一人を示しながら紹介する。
真砂や冴祥はにこやかに手など振り、天名は優雅に一礼。
暁烏は太刀を収め、ナギはニャアと鳴く。
びしっと、三人の顔に緊張が走る。
あ、常世の国って、こっちの方々もご存知なんだ、とおかしなところに感心する百合子である。
「……わかった、とりあえずは、こちらのキャンプにおいでいただきたい。今、この国は妙なことになっていて……お客人の方々には、少しばかりお待ちいただくかも知れん……」
蜻蛉の翅の男性が、苦い表情で絞り出す。
グレイディは、怪訝な顔を見せる。
「……どうしたんだ……? 何があったんだ……?」
何か災害か? と尋ねると、蜻蛉の男性は大きくため息をつく。
「災害といえば災害なのかも知れん。だが、自然のものとは思えないのだ。この妖精郷の自然自体が、妖精に牙を剥くのはどうにもおかしい。あれは誰かが災害に相当するものを作り出している」
一瞬で、グレイディが青ざめる。
「……多分、そのことだ……。俺たちを襲った人形使いが、妖精郷内部に仲間がいると言っていた……多分、そいつが何かしてるんだ。……何が起こっている!?」
蜻蛉の男性が口を開きかけた時。
「伝令が!! すぐに森へと!!」
蜻蛉の翅の女性が、耳元で鳴く小鳥の言葉を翻訳する。
迎えの全員が愕然とする。
百合子たちは、互いに素早くうなずき合ったのだった。
◇ ◆ ◇
「うわあぁぁあああぁ!!! 何だこりゃあ!?」
アンディが悲鳴を上げたのも無理はない光景である。
人が腰かけられるほど大きなきのこ、というだけだったら、妖精郷的な光景だったかも知れない。
だが、その「きのこ」は、ただのでかい菌類ではない。
周囲の森一帯を飲み込むように菌糸を広げ、森の中の村の家々の屋根より高く大きく、かさを広げている。
そして、極めつけが。
「……来るぞ!!」
グレイディが呻く。
どんな大木よりも太いきのこの軸が乾いた音と共に破れ。
中から、赤黒い血の塊のような粘液に包まれた、筋肉質の獣としか思えない異様な何かが、吼え声と共に生れ出たのである。
そいつが初めて地面を蹴るなり、百合子たちに向けて飛び掛かって来たのと。
百合子の「傾空」が、唸りを上げて飛来したのは同時だった。