「ああ、君のことは覚えていますよ」
冴祥が、アンディを見据えながら、穏やかに呼びかける。
優雅な笑み、友好的なようだが、どこか油断も隙も無い目の色だと、百合子たちは感じ取る。
「アンディくん、でしたね? 20年前くらいに、ソーリヤスタ様の神器をお納めする時にお会いしたじゃないですか。お呼びいただけたら、喜んで参上いたしましたのに。どうしてこんな物騒なことを……?」
いかにも困ったという風情の冴祥に言われ、アンディはくっきりした野性味のある顔に一瞬苦い色を浮かべる。
が、すぐそれは引っ込められ、太陽のような金色の目に、燃やし尽くすような威嚇が宿る。
「……覚えている。サエサカ……だったか。顔見知りのよしみで、こうして警告してやっているんだ。あまり手荒なことをしたくはない。だから、弟子とそっちのご婦人方も説得してくれ」
何かすぐには言えない決意を秘めている、と察した全員が、顔を見合わせる。
「待ってください、ナギちゃんは!? あのウミネコ姿の子です。無事なんですか!?」
百合子は、真正面のアンディ、並びに、隣の妖精族の青年に向けて声を張り上げる。
ナギがとにかく心配だ。
特に傷つける理由はないように思えるが、しかし、突然こんな訳の分からないことをしてくるのでは、安心などしようがない。
とにかく、何故彼らがナギを浚ったのか、理由が全くわからない。
何かしら理由があるにせよ、強引過ぎる。
「……無事だ、と言いたいところだが、あなた方の出方次第だな……」
妙に低く、それでいて耳に残る不思議な声で応じたのは、アンディの隣の妖精の青年である。
栗色の髪を長めにし、青みがかった灰色の目は、静かに凪いでいる。
細面の整った顔立ちもあってひんやりした印象だが、彼は既に、腰の剣に手を掛けている。
「そこの、サムライの奴」
妖精の目は、暁烏に注がれている。
暁烏が、すっと腰を落として身構える。
「……いつ刀を抜こうかと構えているんじゃない。食えない奴だ……」
声は、落ち着いて聞こえた。
しかし。
鋼が打ち合う、硬い音が響き渡る。
「えっ、暁烏さ……!!」
「おうおう、キタキタ」
「ふむ。好戦的な奴がもう一人いたな」
「あー、仕方ないなあ」
百合子が、真砂が、天名が、冴祥が、それぞれその事態を評する。
いつの間にか妖精が抜き放った輝くブロードソードが、暁烏の太刀に受け止められていたのだ。
「……俺はグレイディだ……」
妖精族のグレイディが、ぎりぎりと暁烏の太刀を押し込んだまま、押し出す息でそんな風に名乗る。
「……俺に勝ったら、お前たちの要求を聞いてやる……」
「もったいぶりだな!!」
暁烏が太刀を滑らせてグレイディのブロードソードを逸らすと、彼は素早く離れて間合いを取る。
「さあて。じゃあ行くか」
暁烏が、改めて太刀を構える。
太刀の付喪神でもある暁烏自身の名前の元となった、神秘の銘刀「暁烏」を。
「さあて、下がった下がった。邪魔しちゃ悪いよ」
ニヤニヤしながら、真砂が百合子を引っ張って背後に下がらせようとする。
「……こちらも、他の者を下がらせろ……。勝負は一対一だ……」
グレイディが、暁烏と向き合ったまま、相棒であろうアンディにそう要請する。
アンディは、百合子たちの背後の仲間たちに、手で下がるように合図する。
白昼の広い通り、元の世界の基準で言うなら、10m×8mほどの広さの空間ができる。
それぞれの端に、アンディと、百合子たち、加えて彼女らを見張るソーリヤスタの配下たち。
次第に近隣住人であろう様々な種族の者も集まって来るが、巻き込まれることを恐れて、誰も一定以上に近づいては来ない。
「……ツクモガミ……か。何者だろうと、お前に勝ち目はないぞ……」
輝く幅広のブロードソードを誘いかけるようにゆらゆらと揺らし、グレイディは静かに暁烏の油断を誘うよう。
いや、違う。
彼が剣を揺らすたび、暁烏の頭上や周囲の空間に、きらきら光る何かが現れる。
それは、小さくて美しい色合いの蝶のようにも見える煌めきである。
小さな翅が羽ばたくたび、光の粒のような粒子が、暁烏の体にも剣にも纏い付く。
光の蝶は、グレイディが剣を揺らすにつれ増えていき、いつしか、暁烏の全身が散乱する煌めきに埋もれて、見えなくなるほど。
「えっ、暁烏さん……!! どっ、どうしよう、助けた方が」
百合子が青ざめるが、真砂は首を振る。
「尋常勝負に、それは野暮ってもんだな。まあ、見てなよ」
すぐ隣で、天名もうなずく。
「百合子は、暁烏が戦うところは、見たことがなかったな。あの小僧は、こと戦いとなると間抜けとは言い難い」
百合子は冴祥を振り向く。
彼は、あの高貴で優雅な風貌に、面白そうな笑みを浮かべて、百合子を見返してにこりと笑みを深くする。
「凄いんですよ。刀の付喪神という存在は。あの妖精族の方も侮れないと思いますが、暁烏がこんな簡単なはずはないんですよ」
百合子は再び、暁烏とグレイディの戦いの場を注視する。
あの光の蝶に全身埋もれて、暁烏は道の石畳の上にうずくまっている。
それはさながら、熱帯の蝶が、濡れた朽木に集まるように。
「……この蝶は、その者の生命力を削る。『死の蝶』という術を知らないか……妖精族の秘術だ……」
グレイディは、煌めくステンドグラスのような翅を後光のように背負い、すでに動かない、蝶に埋もれた暁烏を見据える。
頭上に振りかざされる、輝く妖精の剣。
と。
朝の最初の曙光のような光が、いきなり空間を貫く。
グレイディが声もなく揺れる。
彼の右側の翅の先端が斬り飛ばされている。
「油断大敵だぜ」
その声は、グレイディの背後から聞こえたのだ。
彼は咄嗟に空中に逃れる。
鋼の打ち合う高い音が連続して響き渡る。
宙に浮いた暁烏とグレイディのそれぞれの剣が、真正面から打ち合わされていたのだった。