45 意外な事実

「只今戻りました、まぼろし大師様。例のものを持って参りました」

 

 その部屋の空中に鏡が出現し、そこから冴祥、そしてもう一つの鏡から暁烏が姿を現す。

 

 百合子は、冴祥の手の中を見てぎくりとする。

 真砂、そして天名がそれぞれ封じられた鏡を二面、抱えていたのだ。

 

「真砂さん!! 天名さん!!」

 

 百合子は息を呑み、悲鳴を上げる。

 鏡の中の二人は、何か言っているようだが聞こえない。

 あの真砂の雲をもってしても、冴祥の鏡と数霊に勝てなかったのか。

 正直、信じがたい思いだ。

 

「ほう、流石やりよるわい。そなたほどの人外を配下に加えられたのは僥倖よ。さて、早速そいつらをいたぶってみよ。この愚かな娘に見せつけるのじゃ」

 

 まぼろし大師がげらげら笑う。

 百合子は一気に血の気が引いて行くのを感じる。

 

「やめて!! やめて、冴祥さん!!」

 

 縛められたままで、百合子はあがく。

 どうしたらいいのだろう。

 傾空さえあったなら。

 

「冴祥さん!! あなた、この後どうなるかわかってるんでしょうねえ!? 天名さんのひいお祖母さんがどんな方だかご存知ですよねえ!?」

 

 ナギが鏡の中で、ニャアニャア鳴き騒ぐ。

 

「ええ、まぼろし大師様。しかし、その前に、やることがございます。もっとこれを効果的に使う方法がございますので」

 

 冴祥は妖しく微笑む。

 その指の長い手が、真砂と天名の入った鏡をつるりと撫でる、や否や。

 

「ぷはあ!! そういう訳じゃないんだろうけど、何か息苦しいような気がしたよねえ」

 

「冴祥。そして暁烏。作戦とはいえ、この私に無礼を働いた罪は重いぞ」

 

 真砂、そして天名が、あっさり鏡から解放される。

 あまりに予想と違う唐突な展開に、百合子は唖然とするばかりだ。

 

「なっ!! おい、冴祥、無傷で解放する馬鹿がどこに……!!」

 

 まぼろし大師も、いきなりのことに、うろたえまくっている。

 

「馬鹿なことなんかじゃありませんよ、まぼろし大師様。僕、最初からそのつもりでした」

 

 冴祥は笑みを崩さないまま、きっぱり宣言する。

 百合子はようやく吞み込める。

 冴祥は裏切ったふりをしていただけなのだ。

 恐らく、こうしてまぼろし大師の元に、全員で入り込むため。

 

「はい、百合子さん!! これも無事だから!!」

 

 縛めが自由になり、すぐに彼女の手に懐かしい感触が触れる。

 傾空を持ってきた暁烏が、自分もすぐに太刀を抜き放つ。

 

「はいっ、雑魚はこれね」

 

 真砂が、それぞれに武器を抜こうとした周囲のまぼろし大師配下の者たちを、雲で包んで昏倒させる。

 後には、ぽつんとまぼろし大師。

 そして、彼の背後に、「神封じの石」。

 

「やー!! こういうことでしたよねえ!! いや、最初からずっと、ワタクシこの瞬間が待ち遠しくて!!」

 

 ナギがニャアニャア叫びながら、鏡の中から飛び出る。

 どうも、最初から閉じ込められていた訳ではなさそうに見える。

 

「ふむ。これで形勢逆転だな」

 

 天名が、華麗な扇を舞いのように構える。

 

「……さて」

 

 真砂が、まるでまぼろし大師などいないかのように、彼の背後の神封じの石に目をやる。

 

「いやあ、久しぶりだな、君。その状態じゃあんまりよく聞こえていないかも知れないが」

 

 真砂は、まるで某かの人格がある存在に語り掛けるように、神封じの石に語り掛けている。

 襲い掛かろうとしたまぼろし大師も、どうにも奇妙な成り行きに、妙な姿勢のまま固まる。

 それは周囲の真砂の味方にしても同じことで、いずれも怪訝な顔だ。

 

「私の本体に封じられて、もうどのくらいだ。解放してくれるっていうんなら、ちょっとくらい削られてもって思ったんだろうが、もう少し上手くやる奴と組むべきだったねえ?」

 

 百合子は一瞬意味が取れない。

 真砂が、邪神を封じた「神封じの石」に、まるで知り合い――あまり友好的な雰囲気ではないが――のように語り掛けている。

「私の本体」?

 今ここにいる真砂は、本体ではない、もしくは、何かの分身のようなものが真砂という人物だということなんだろうか?

 

「何だと……貴様まさか……」

 

 まぼろし大師がわなわなと唇をわななかせている。

 百合子は思わず説明を求めて、天名を振り返るが、彼女も鋭い目で古くからの相棒を見据えている。

 何か、話しかけられない雰囲気だ。

 

「原初の時空の神……邪神を封じた……それが、貴様だというのか!?」

 

 まぼろし大師の悲鳴に応じたのは、真砂の軽快な笑い声。

 

「正確に言うと、ここにいる私、雲母妖の真砂は、そいつの分霊というやつだよ。奴さんは眠りにつく前、こんなこともあろうかと思って、分霊の私を現世に残したという訳だ」

 

 百合子は、その告白にぽかんとする。

 あの、どう考えても知られざる神話以外の何物でもない、原初の時空の神が、真砂の正体。

 彼女は、その名前すら知られぬ秘められた神の、分霊。

 すると、彼女はこの神封じの石を……

 

「だから、こんなこともできる」

 

 真砂は、神封じの石に向かって手をかざす。

 瞬間、まるで空間に消しゴムでもかけたかのように、神封じの石が綺麗に消え去っている。

 

「!? おい……!?」

 

 まぼろし大師は息を呑む。

 百合子も、いい加減度重なる唐突な展開に、もはや声も出ない。

 

「あれは『封印の島』に封印し直したよ。島自体も、人が近づけないように設定し直した。だから、もう二度と、君はあの神封じの石に近付けない、つまりお久しぶりの邪神くんの復活は不可能になったという訳だ」

 

 真砂はおどけたように口にして、軽く肩をすくめる。

 

 その時になって、百合子ははっと我に返る。

 すると、もう神封じの石の心配をすることはない。

 問題は、目の前のこのまぼろし大師。

 

「このっ!!」

 

 百合子は咄嗟に、傾空をまぼろし大師に投げつける。

 

 回転する刃に、まぼろし大師の首が刈り取られたと思った瞬間、視界の中に万色が炸裂したのだった。