5-7 運命の骰子

 誰もが、最初は「それ」のことを、人間族の幼い女の子だと思った。

 

 華奢な体つき、ほっそりした手足、人形かと思わせる、華やかな衣装。

 揃いのレースのスカートの裾と、帽子のつば部分が、繊細な影を落とし。

 さらりとした金髪が、入口から差し込む、わずかなガス灯の光できらきらと……

 

 いや。

「人形かと」ではない。

 

 つるりとした人工的なつやのある肌は、生身ではなく、釉薬をかけられて焼き上げられた、磁器のそれだった。

 ほっそりとした手足はまろやかな丸みを帯びているが、関節の部分は球体になっていて、それぞれ上下のパーツを連結している。

 顔は絶妙な配置とバランスで端正なパーツが並んでおり、思わず目を奪われる美しさだが、よく見ると肌は磁器だし、瑠璃色の目はガラスでできている。

 

 それが一歩歩くたびに、関節部分のパーツが触れ合って、磁器の鈴のようなちりちりした音を出しているのだ。

 目の前で目撃して、地下牢の中の四人は嫌でも認識せざるを得なくなる。

 

 まさに、「それ」は、人間の子供と同程度の大きさの、「人形そのもの」だった。

 

 

「こんにちは、皆さん」

 

 その「人形」の声自体は、銀の鈴を打ち振るような可憐なものだった。

 奇妙にも、どう見ても一体生成の磁器の人形の顔が、まるで生身のように柔らかく動いて、愛らしい口が開閉して言葉を紡ぐのだ。

 

「ひぇっ……まっ、魔物!? こんなところに何で!?」

 

 真っ先に悲鳴を上げたのは、不運にして(?)、最も至近距離でその「生きた人形」を目撃してしまったジーニックだった。

 あまりの衝撃に、一時悩みも忘れてのけぞっている。

 

 それは確かに、それなりのレベルの魔術師が無機物にかりそめの生命を付与して動かす、傀儡(くぐつ)型の人造魔物に似ていた。

 魔術師が自邸の警備に使っていたりするので、そういう者と交流があったり、あるいは魔術に関する書物を読んだりしたことがある者にとっては、珍しいというほどの魔物ではない。

 主である魔術師が何らかの事故などでいなくなったり、あるいはその主自身から廃棄されたりして、「野生化」する傀儡もそこそこいる。

 しかし。

 

「なっ、何だよ、こいつ……!! ここ、王宮の中なのに、こんなの飼ってるのか?」

 

 イティキラは目を白黒させた。

 

 一般に、「傀儡型魔物」は、人の出入りのあまりに多い場所で使うのは危険と言われていたはずだ。

 傀儡の対人認識能力は、造り上げた魔術師の手腕にもよるが、せいぜい数人が限度だと言われている。

 この王宮のように、少なく見積もって数百人が、昼夜分かたず出入りするような場所では、傀儡の対人認識能力――すなわち、「誰が敵で誰が味方か」の判断は、あっという間にショートしてしまうはずである。

 霊宝族が作り出すようなもの――機獣、古魔獣といったものだと、神聖六種族の平均と大差ないほど複雑な識別が可能であるらしいが、地上種族の魔法技術は、そこまで進んでいない。

 

 にも関わらず――この人形の形をした傀儡は、確かにここにいる。

 

「くっ……やべえぞ、俺たちを拷問でもしようってのか!?」

 

 一瞬、もう背にはないはずの太刀をまさぐってしまったゼーベルは、顔を青ざめさせた。

 

「……こいつ、かなり強いぞ……魔導武器なしじゃ、無理だ……!!」

 

 戦士の勘で、その傀儡の実力を感じ取った彼は、自らの現状を嘆いた。

 もし、この傀儡が、この鉄格子の扉を押し開けて襲い掛かってきたら、彼らになす術(すべ)はない。

 抵抗くらいはできるだろうが、ほぼ一方的に殴り殺される。

 それが、ゼーベルにはありありと分かったのだ。

 

「どっ、どうなってんの……? どうして上の見張りの人は誰も来ないの……?」

 

 ぽつんと傀儡だけがここに送り込まれている状況に、マイリーヤは一気に不安になった。

 地上種族の中では、比較的魔法に近しい妖精族になら分かる――傀儡がいるなら、それに指示を出す権限を持った者……造り上げた魔術師か、またはその魔術師から支配権を譲り受けた何者かが存在しなくてはおかしい。

 しかし、周りを見ても誰もいない。

 では、この人形は誰の指示で動いているのか?

 

「しーっ!! 静かに!!」

 

 不意に、その人形は、妙に人間的な仕草で、唇に指を当てて、四人をぐるり見回した。

 一瞬、人形ではなく、本当にローティーンくらいの人間族の少女なのではないかと思い込んでしまいそうなまでに、活き活きとした生命感にあふれた仕草だった。

 

 本当なら、一部が碧い硝子の球体であろう目がくりりっと動いて、全員を見回す。

 関節のパーツが剥き出しでなければ、そして肌の質感が違わなければ、本当に人間族少女としか――

 そこまで認識して、マイリーヤがはっと気付く。

 果たして、こんなに「滑らかな」傀儡って、地上種族に作れるものだろうか。

 一度だけ見たことのある傀儡は、もっと機械的なカクカクした仕草でしか動けなかった。

 なら、ここにいる、この傀儡は何だろう?

 まさかレルシェ。

 いや、こんなものを所持しているなんて聞いたことがないし、ここに送り込んでくる意味がよく分からない。

 まさか。

 

「しーっ、しーっ、静かにですよ、しーっ!」

 

 わざとらしく抑えた声音で、人形少女は、全員に沈黙を促した。

 まるで敵意らしきものを感じない、そのあまりに愛らしい仕草に、彼らの敵愾心の矛先がふにょんと鈍る。

 まだ完全に収める訳にはいかないが、とりあえず一行は落ち着いた。

 

「大丈夫。ワタシは敵じゃないですヨ? それ以前に、魔物みたいな下等なものなんかじゃないですからね?」

 

 うふふっと楽し気に笑う人形少女に、一同はそれぞれ怪訝な表情を浮かべた。互いに姿を見ることができる位置にいたなら、顔を見合せていたであろう。

 

「魔物じゃないっておめえ。んじゃ、一体、何なんだよ?」

 

 ゼーベルが思わずといった調子で突っ込んだ。

 

「よくぞ訊いてくれましたっ!!」

 

 子供らしい溌剌とした仕草で、その人形少女はぴょんと背筋を伸ばした。

 

「ワタシは、ナリュラ。この世界を主宰する、遊戯神ピリエミニエ様のお使い、でーす!!」

 

 ピシッと軍人の敬礼らしきものを真似るナリュラに、一行は思わず呆気に取られた。

 

「ピリエミニエ様のお使いって、えええ!?」

 

 思わず声が跳ね上がったマイリーヤは、またナリュラに「しーっ」とたしなめられた。

 

「神使(しんし)様でやすかい!? なんでこんなところに!?」

 

 どうにか声を抑えたジーニックだが、それでも興奮を抑えきれない。

 

 神話や昔話の中に、割と沢山「神使」は登場する。

 今でも、それなりに徳の高い聖職者や熱心な信者の前に、それぞれの種族の神からの神使が現れて、ちょっとした奇蹟を起こしてくれるのは、極端に珍しいというほどではない。

 しかし。

 この世界の主宰神、ピリエミニエから直々に、というのは、かなり珍しい――もはや、神話レベルの話の中でしか聞いたことがない。

 

「ちょっと待てよ!? なんでそんな奴がここにいるんだよ!?」

 

 ゼーベルはにわかに信じられないという顔をしたが、

 

「しーっ。折角眠らせた見張りが起きますよ。静かに静かに……」

 

 と唇に指を当てられ、はっとした顔になる。

 

「そういや……あのスフェイバの遺跡のあれ、ピリエミニエ神からって……」

 

 イティキラはふとあることを思い出した。

 

「……なあ。ピリエミニエさんって何のつもりなんだ!? 説明しなよ。お使いだろ!?」

 

 低い声で迫るイティキラに、ナリュラはにっこり微笑みかけた。

 

「さて、注目ー」

 

 声は低めているのに、しっかり耳に届くという器用な芸当をやってのけ、ナリュラは手を打ち合わせた。

 ぱんぱん、という音ではなく、ちゃりちゃり、という金属的な澄んだ音がしたが。

 

「ここで、ピリエミニエ様から、選ばれた皆さんに、特別なプレゼントー!!」

 

 一行は思わず声を失う。

 

「……って、ええ?」

 

「あっしら、選ばれていたんでやんすか!? 初耳でやす!!」

 

「えっ、なにそれ、いつからそういう話になってたの!?」

 

「……何か、風向きおかしくねえか……?」

 

 ざわざわ。

 思わず戸惑いの声を上げる一同に、ナリュラはにやにや微笑んだ。

 

 ――それが、「TRPG(テーブルトークアールピージー)で、GM(ゲームマスター)の仕掛けにまんまとハマるPL(プレイヤー)の反応ににんまりするGM」の顔だと、ふと気付いたのはマイリーヤだけ。

 

「はい。これ、あげます」

 

 すいっと、ジーニックの目の前に、鉄格子の隙間から差し込まれた磁器の腕があった。

 その白い手指の中にあるのは――何か革製の巾着袋のようなものと、底にフェルトのようなものが張ってある、浅くて丸い、木製の皿のようなものだった。フェルトには、見覚えのある紋章が染め抜かれている――装飾的な車輪を思わせる、それは人間の守護神アーティニフルの聖紋だった。

 ジーニックが巾着をまさぐると、中から10個ばかりの、色とりどりのガラス製の多面体が出て来た。

 

「――何でやすか、これ? 数字が書いてあるけど……サイコロ???」

 

 ジーニックは、それをしげしげと見下ろした。

 それぞれの本体の色とは補色の関係になるような色合いの数字が、それには刻み付けられている。

 よくよく観察すると、それは綺麗な十面体で、それぞれの面には1~9までの数字と、最後の一つにはアーティニフルの聖紋が描かれていた。

 

「じゃーん!! それは、『運命の骰子(ダイス)』、でーす!!」

 

 きゃっきゃっと嬉しそうな声で、ナリュラは解説を始める。

 

「それは超特別、神々の秘宝!! 振ると『奇跡判定』ができまーす!!」

 

「えっ、えっ……」

 

 ジーニックは戸惑うばかりだ。

 

「とにかくやってミマショー。まずは、その10個の骰子のうち、好きな一個を選んで」

 

 ジーニックは、言われるままに、骰子を選んだ――セクメトを思い出したので、赤い骰子を。

 

「で、選んだら、そのダイストレー……浅い木のお皿みたいなものを床に置いて、その中で骰子を振ってみてくださーい」

 

 促されるまま、ジーニックはその木皿の中に骰子を落とした。

 手錠が邪魔だが、仕方あるまい。

 

 ころん、と鈍い音がして。

 転がって出た目は――聖紋の絵、だった。

 

「おっめでとうー!! クーリーティーカールー!!!」

 

 自分が静かにしろと言ったことも忘れたように、ナリュラは騒いだ。跳ねまわり手足を振り回すたびに、ちりんちりんと澄んだ音がする。

 

「え? あの、えーと、クリティカル、ってどうなるでや――わっ!!」

 

 質問しかけたジーニックの目の前に、どさどさっ!! と何かが落ちて来た。

 見ると、それは、確かにあのラグゼイ遺跡で奪われたはずの自分の魔導武器、そしてそれ以外の荷物だった。

 ちょっと遅れて、また何か。

 どどんと落ちて来たのは、見間違いでなければ、オディラギアスの槍。そして彼の荷物。

 それに加えて、レルシェントの双刀と、彼女の荷物一式。

 ふと見ると――両手首を連結していた手錠がない。

 

「あラー、焦げちゃう」

 

 ちょいちょいとナリュラが飛びのいた気配に、ジーニックは顔を上げた。

 ぎくっと、する。

 そこにいたのは、炎を纏う魔神、セクメトだった。

 彼女は、無造作にジーニックの閉じ込められた鉄格子の扉に手を置く。

 獅子の爪の生えた手に触れられると、その部分がどろりと解けた。

 蝶番(ちょうつがい)、そして鍵の部分を溶かしてしまうと、セクメトは紙か何かのように、鉄の扉をひっぺがし、放り出した。

 

「あっ、セクメト先生!! みんなも解放してくだせえ、お願いするでやす!!」

 

 咄嗟に叫ぶと、セクメトは面倒だという顔をしながらも、三人の牢の前に向かった。

 まず、マイリーヤの扉が引っぺがされ、次にゼーベル。

 最後に、イティキラがあっさり解放された。

 

「はい、『奇跡判定』って、こういうことを起こす判定なんですねー。つまり、その骰子を振っていい目が出ると、とっても都合の良いことに、気軽に奇跡が起こせてしまうのですっ!!」

 

 ナリュラはハイテンションで微笑み、その手の中に、また一つの巾着袋とダイストレーを取り出した。

 

「皆さんの分もありますから。全員、奇跡判定して、装備を取り返して下さいー」

 

 みなそれぞれに骰子入り巾着袋とダイストレーを受け取って。

 地下牢の薄暗い通路で顔を見合せ、うなずき合ったのだった。