「聞いておりますぞえ? そしてのう、他人事とは、到底思えなんだ」
アンネリーゼは、不意に華やかな顔立ちの両脇に垂れる深紅の巻き毛を持ち上げた。
「この髪を見てたもれ。『邪神の紅(あか)』と呼ばれるこの色を帯びて生まれたばかりに、わらわは身内から虐げられながら育たねばならなかったのじゃ。のう、オディラギアス殿下。殿下と同じなのじゃ、わらわは」
その言葉に、オディラギアスははっとする。
その哀切な声に嘘は感じられないし、そもそも前もって入ってきていた情報とも矛盾しない。
確かにこの「紅の女帝」と呼ばれるアンネリーゼ帝の即位前、人間族中心のこのニレッティア帝国は、赤毛の人間族に極端に厳しかった。
偏見だ。
それも、理由のない――というか、迷信に基づく、殊更に暗愚な偏見だ。
しかし、そういう偏見というものは、根絶が難しい。
何故なら、明確な理由なき偏見というものは、それをなくす理由をも明確にならぬ。
つまり――解決策のないまま、ずるずると続くことが多いのだ。
しかし。
アンネリーゼは、その偏見を、自らが帝位に就き、そして誰も文句が言えぬほどに帝国を繁栄させることで打ち破ってきた。
人前に出る時は、その赤毛を隠すことなく、むしろ強調するような髪型、そして髪色と合わせた華やかな紅いドレス。
その美貌とカリスマ性、そして政治手腕も相まって、短期間で「赤毛」のイメージは塗り替えられた。
華やか、聡明、明敏、魅力、色気、物事の中心。
政治的舵取りだって難事だが、文化の奥底深くに食い込んだ偏見を除去するのは、ある意味でそれを上回る難易度だったはず。
アンネリーゼはそれを実行した。
生まれてこの方、延々と自分を苦しめた偏見を、肯定的価値観で上書きすることにより、打ち破ったのだ。
完全に、そうした偏見が消滅した訳ではないという。
特に、首都ルフィーニルから離れた地方では、まだ赤毛に対する恐怖心は残っている。
しかし、少なくとも人前でそうした偏見を大っぴらに語ることは、人格や知能程度を疑われるような雰囲気があるのは確かだという。
そして、女帝のお膝元、ルフィーニルでは、赤毛には今や肯定的な意味しかない。
帝都の住人が、女帝の姿を実際に見る機会が多いからということと、そして女帝の赤毛と才覚を受け継いだ、美男でお洒落な皇太子の魅力もあるだろう。
そんな業績を聞き知っていたからこそ、オディラギアスはアンネリーゼに否定的になりきれない。
こんな無礼な扱いを受け、そして確実にこの女帝の承認の元で、自分への監視及びスパイ行為が行われていたと知ってもなお、彼女を否定する気になれないどころか、親愛の情すら湧いてくる。
「のう、オディラギアス殿下。わらわは殿下のお気持ち、痛いほど、まこと痛いほどによく分かりますぞえ」
切々と、アンネリーゼは訴えた。
「だからこそ、殿下にはわらわと同じように、偏見を打ち破る君主になっていただきたいのじゃ。……こういうことは申し上げにくいのじゃが、残念ながら、ご父君やご兄弟の方々では、そういったことを期待できぬゆえ……」
ふう、とアンネリーゼが嘆息すると、じっとオディラギアスは彼女を見据えた。
「……なるほど、私ばかりではなく、父や兄弟たちの元にもスパイを」
自分でも、驚くほどの冷たい声が出る。
まあ、それはそうだろう、とオディラギアスも思う。
ニレッティア帝国は、ルゼロス王国と海を挟んだ隣国、かつ、互いに勢力を競い合う、地上種族の両雄という側面がある。
建国に近い時代には、二度ほど戦火を交えていると歴史は伝える。
そういう国が、互いに何の諜報活動もしていなかったら、逆に奇妙だ。
一見分かりやすい「雄々しさ」で何でも判断してしまう単細胞な龍震族の典型である父王自身は、本格的な諜報活動と言えるほどのことはしていなかったようだ。だが、それでも隣国の情勢には、一応気を付けてはいたと記憶している。
ちら、と、気づかわし気なレルシェントの視線とオディラギアスの視線が絡み合う。
大丈夫、とうなずいて。
「アンネリーゼ陛下、あなたは私に何を期待して、私を監視するようなことをなさったのだ? 部下の方は、私のような者の方が、体制をひっくり返すものだというようなことを仰っておられたが、本当にそれを期待しておいでか」
確かに――
ルゼロス王国を大改革し、自分が苦しんだような愚昧さにもはや悩まされるようなことのない、新しい国を創りたい。そのために、王となりたい、という野望は持っている。
しかし、それを他国に利用されるようなことは――
「のう、オディラギアス殿下」
アンネリーゼが、いよいよ身を乗り出した。
「わらわが国を挙げて支援するゆえ、ルゼロス王国の新しい王になられるおつもりはないかえ?」
まるで肚を見透かされたようなその問いかけに、オディラギアスは驚愕が顔に浮かび上がるのを止められなかった。