「始めたのは、ある船の所有者だ。ここまではいいね?」
真砂が、教員みたいな口調で解説を始める。
彼女と、百合子、アンディの前には、壁を成して迫るキノコ人間の群れ。
「こんのぉっ!!」
百合子が「傾空」をキノコ人間の群れに投げつける。
日が中天する時のようなしらじらとした光を放つその一組の手裏剣は、左右から大きく弧を描いて、キノコ人間たちをなぎ倒す。
草が刈られるように、キノコ人間たちは真っ二つになって折り重なる。
無残な光景のようだが、しょせんキノコなので、裂けたエリンギみたいな中身が見えるだけ。
それも煙を上げて、見る間に宙に溶けていく。
「グレイディがそもそも乗っていた船の所有者? 妖精郷の有力者のトレヴァー? なんでそいつは?」
アンディが、ぐいと拳を構える。
なぎ倒された同類を踏みつけにして、じりじりと進んでくる後続のキノコ人間に、拳から放たれた、輝くプラズマの弾幕が叩きつけられる。
一瞬のまばゆさが通り過ぎた後、そこにはキノコの欠片も残っていない。
「百合子は見てたよね。トレヴァーは、妖精郷の外へと航海できる飛空船の所有者で、何度かの航行の間に、恐らくは『神封じの石』を手にした者たちと接触していた。その中には、慈濫もいた」
真砂は、淡々と事実を述べる。
連れの二人が掃除した通路に、雲で浮きながら足を踏み入れる。
「……グレイディくんが乗ってた船が襲われたのも、グレイディくんと一緒に航海していた乗組員が殺されたのも、最初から仕組まれていたってこと……ひどい……」
百合子は、真砂と並んで前に進みながら、ぎゅっと眉をひそめる。
「でも、何でそんなことしなくちゃいけなかったんでしょうね? 慈濫に神器を使わせるためだけに、そんなことをしたの? 高い飛空船が船員の命ごとなくなるのに?」
納得がいかず首を振る百合子に、真砂は悲し気に溜息を落として見せる。
「身も蓋もない表現をするなら、『被害者ぶるため』だね。もっと踏み込んだ表現をするなら、『事件の容疑者から外れるため』さ。真っ先に被害者ってことにして、その後から起こり始める一連のキノコ獣事件の容疑者候補から外れたのさ」
そうか、とアンディはうなずく。
「それなら、船と船員まるごと失っても、そんなに惜しくねえよな。その間にどんどん妖精追い出し計画を進めて行ける」
「そういうこと。グレイディみたいに、万が一の生き残りがいたとしても、自分は疑われない立ち位置にいる。大損をした船主、実際に襲撃した仲間との関係は、生き残ったグレイディが知ってる訳もない。絶対に安全だ」
真砂は、実際に「天地の星宿り」を使うまで、まるで見当が付かなかったよ、とぼやく。
「しかも、屋敷に出向いたら、トレヴァーはいなかった。おろおろしている使用人に尋ねると、数日前から急に姿を消したという。まあ、私らの噂が耳に入ったんだろう。自分の悪事は暴かれるとね。部外者だからこその岡目八目が役に立ったみたいだね」
百合子はごくりと生唾を飲み込む。
「トレヴァーが使っていたアジトが、間違いなく沖合の『白波島』にある……妖精王のお城と通路で繋がっていて、いずれ城に直接危害を加える予定だったと……でも」
百合子は、わからないというように首を振る。
「トレヴァーって、何でそんなことしようと思ってたんでしょうね? 妖精郷や人間界に何の恨みが? 『神封じの石』を使った危険な神器なんか使って何をしようと」
平和で不自由なく暮らせる妖精郷なのに、と百合子が首を捻ると、アンディが大きくため息をつく。
「多分、慈濫と同じようなもんじゃねえのかな。大それた計画を立てていたんだ。神器の力で、世界を一つ征服しようと。その目標になっちまったのが妖精郷で、実際住んでた妖精たちは邪魔だったんじゃねえか? だから追い出すんだ」
慈濫を尋問した時に何言ってんだこいつと思ったけど、そのトレヴァーも同じじゃねえかな。
アンディは、そこまで口にして、ふと立ち止まる。
「なあ。何か変な音がしねえか?」
真砂、百合子も立ち止まる。
ぐぐぐ、と、地下通路全体が揺れている。
何かを引きずるような重い音と振動。
「あ……!!」
百合子が、息を呑む。
やや上向きになった通路の向こうから顔を出していたのは、まるで大地そのものに命が吹き込まれたかのような、巨躯の生き物である。
切り出した巨岩が、四角い、ある種のカメの頭のように、通路いっぱいに広がっている。
それが単なる岩の塊ではないとわかるのは、やはりそいつも粘液で濡れそぼって、巨大なキノコに侵蝕されているからだ。
いや、岩のようなキノコなのだろう。
あのキノコが傷んだ時のツンとした匂いにかぶさる、動物の死骸みたいな猛烈な悪臭。
「このっ!!」
アンディは「百億」でプラズマ弾を叩きつける。
一気にカメの首が消えた……ように思えたのだが。
「うぇえっ!?」
アンディは喉を鳴らす。
砕かれ消えたように思えたカメの首が、まるで逆戻しみたいに再生してきたのだ。
数瞬で巨大カメは元に戻る。
「これなら!!」
百合子が、「傾空」を縦にして投げつける。
カメの頭からその背後の胴体と甲羅らしき部分まで、縦真っ二つに……
「えっうそっ!!!」
百合子は目を剥く。
確かに真っ二つになり、切り口から光に還ろうとしていたキノコ亀は、見る間に汚らしい粘液を分泌してまた元に戻る。
キノコ亀が、大きく息を吸い込み、何かを吐き出そうと……
「はい、終わり」
真砂が、指を鳴らしたのはその時。
まるで幻のように、目の前の巨大キノコ亀が消える。
いや、消えたのではない。
無数のきらめく宝石の砂利となって、一面に麗しい色彩をぶちまけたのだ。
あの汚らしい呪われたキノコの気配はまるでない。
丸ごと、宝石でできた砂礫に変換されていて、地下通路の魔法の灯りにきらきらと澄んだ光を返しているのだ。
「ま、真砂さん!?」
百合子が思わず振り返る。
「これも雲母妖の特殊能力。相手を石に変えるってね」
真砂はけろけろ笑う。
「本物の宝石だけど、拾ってく? このへん瑪瑙で、こっちが月長石……ペリドットなんか百合子に似合うんじゃないかなあ?」
「元がアレだと思うと……ちょっと……」
百合子は、正直緊張でそれどころでない。
「あ、島側の出口じゃねえか?」
アンディは宝石の砂利を無造作に踏みつけて、その向こうの出口を指さす。
妖精郷の、満天の星空が、出口向こうに瞬く。
「……誰かいる?」
百合子が声をひそめると、アンディは静かに外を伺う。
「いや。何の気配も……」
「誰もいないよ」
真砂が、不意にそんなことを口にする。
「この島には、今は誰もいないみたいだね。おかしいね、有事の際に王様が避難してくる場所なのに」