ぶわん!!
唸りを上げて「傾空」が、直前まで真砂がいた空間を薙ぎ払う。
「おっとっとっ……!!」
「ええい、何とかならんのか!! 百合子の動きを止めろ真砂!!」
真砂が纏う雲で傾空を逸らし、天名がぎりぎりで避けながら、真砂に指示を飛ばす。
戻ってきた傾空に追われ、冴祥と暁烏は、雲の上で左右に飛び離れる。
「あああー!! 百合子さーーーん!! どうしたんですかぁ!!!」
ナギがニャアニャア騒ぎながらも避けるのは、流石常世の神だ。
「うわあああああ!!!!! いやぁあああああああ!!!!!」
いつの間にか、砂浜に落下していた百合子が、滂沱と涙を流し、耐え難いと言わんばかりの悲鳴を上げながら、傾空で、周囲にいた真砂たちを追い始めたのだ。
傾空の攻撃に、全く容赦はなく、恐らく百合子は何故か仲間たちを敵と取り違えているとしか思えなかったが、何故いきなりそんなことになったのか、誰もが困惑するしかなかったのだ。
「死なない程度の攻撃をして、動きを止めるしかない、か……」
「やめときなって。天名の風じゃ、百合子が粉々になるか蒸発する」
真砂があらぬことを言い出した相棒をたしなめる。
「強すぎるのも考え物だね、天狗のお姫様」
「ならどうする……っと」
天名がまたもや、傾空を避ける。
間一髪で、袖の先が持っていかれる。
流石私の現時点での最高傑作、と天名は内心感嘆したが、状況が良くなる訳ではない。
「真砂さん。とりあえず、雲で百合子さんを押さえてください」
数霊の「二」で、しょっちゅう傾空と自分の位置を入れ替えて避けながら、冴祥が叫ぶ。
「百合子さんと傾空さえ押さえていただけたら、私が数霊で何とかしますから」
真砂は、返事をすることもできない。
冴祥をすり抜けた傾空が、まっすぐ向かって来たのだ。
「はっ!!」
真砂の気合で、子供のように泣きわめく百合子が、大きな雲に埋もれる。
クリームが餅生地に包まれるように、ふわふわした白い雲が、百合子をすっかり埋め隠す。
しかし、傾空は飛び道具。
「くっ!!」
真砂が、飛来する二本の傾空に、それぞれ雲を纏い付かせようとするが。
左の傾空は、まるで割りばしに綿飴が纏い付くように、雲に巻かれてそのまま落下する。
しかし。
右の傾空は、一瞬雲を巻き込んだ後。
「!!!」
弾き飛ばされた雲が四散した直後、避けるタイミングのずれた真砂の右腕を、傾空は斬り飛ばす。
赤い血が、撒き散らされる。
「真砂!!」
天名がぎょっとする。
「砦の、四!!」
冴祥がままよと数霊を飛ばす。
二組の軌道を描く「二」に囲まれて、傾空は完全に停止する。
空中に磔になったように動かない。
「おい!! 真砂!!」
空中でふらふらする真砂を、真紅の翼の天名が支える。
「止血を……!!」
「ああ、大丈夫」
真砂は、にっと笑って雲を傷口に集中させる。
どこからか戻ってきた右腕が元のように継ぎ合わされ、金継のように雲が傷口に染み込むと、一瞬で真砂の腕は元通りになっている。
傷跡も見えない、見事な回復術である。
「うわあああああ!! 真砂さん!! 大将、今のうちに……!!」
暁烏が、有名なキャラクターのような見た目になっている百合子を覆う雲を指して、主を促す。
冴祥は、角に掲げられた鏡をきらめかせて、数霊を発動させる。
「虚空の、零!!」
と。
いきなり、雲が剥がれて、中から眠った百合子が転げ出る。
完全に気絶しているようで、砂浜にころりと倒れて、動く気配もない。
彼女のすぐそばに、空中に残っていた方の傾空が落下して、砂に突き刺さる。
動くものの立てる、恐ろしい音はもうしない。
海辺の風と、陽光を反射する波の音だけが、ただ周囲に響いている。
「これで百合子は大丈夫だけど……と」
右手が動くのを確認しながら、真砂は空中で周囲を見下ろす。
「うむ。慈濫はどこだ。今の騒動で逃げられたか」
天名は、天狗の鋭い目で、周囲を確認する。
「ああ」
雲の上で、冴祥が軽く笑うのが聞こえる。
「まだ話は、終わりではないですよ」
◇ ◆ ◇
慈濫は、遠く街を見下ろす。
ここまで来れば、大丈夫なはず。
皆、街中と海辺の騒動にかまけて、ここに気付いていない。
さきほどの戦場から、少し離れた場所にある、海に突き出した岩山。
空中に木製の桟橋が突き出すように作られていて、それぞれに浮かぶ船が係留されている。
慈濫が取り着いたのは、その中の一隻。
特に目立たない、木製のやや小ぶりな帆船。
それに乗り込もうとした時。
「お前だな」
若い男の、怒りを含んだ低い声。
ぎょっとして、慈濫は振り返る。
桟橋の上に、三つの人影。
どういうことか。
さっきまで、誰もいなかったはずなのに。
一番目立つのは、翡翠色の肌の夜叉女である。
曙色に輝く、長柄の武器を携えている。
もう一人は、褐色の若者夜叉。
手に、雷を纏う炎の塊を構える。
そしてもう一人、きらきらした蝶の幻を従える、妖精らしき若者。
妖精の若者が、まっすぐ、慈濫を指さしたのだ。
「……お前だな……覚えているぞ……」
慈濫は、こんな時なのに、思わず怪訝な顔をしたかも知れない。
「……俺と身内の乗った船を攻撃した。そして、俺は、いつの間にか、遠く離れたこの街にいた……」
そういえば。
慈濫の脳裏に、数年前に、妖精郷ティル・ナ・ノーグの傍まで出向いて行った盗賊仕事が思い出される。
流石に犠牲者全員の顔を記憶している訳ではないが、見たことがあるかも知れない妖精だ。
「……仲間の仇は……討つ……」
いきなり目の前に広がった目もくらむ輝きの洪水に、慈濫の目は一瞬で眩んだのだった。