7 真相

「は……ひぇっ!?」

 

 百合子は珍妙な声を上げてしまう。

 そこにいたのは、確かに、勤務先の市立図書館で姿を見かける、あの女性だったのだ。

 

「ほら、君があいつを見かけて変な顔をした時に、あいつに関わるなって忠告したじゃないか。私の人間としての仮の名前は、深石桃子。覚えてない?」

 

 不遜で面白そうな表情でにやにやしている深石桃子こと真砂を、百合子はまじまじと見つめてしまう。

 

「おっ、覚えてます……あの時の……えっ……人間にも、そうでない人にもなれるってことなんですか?」

 

 真砂はあっけらかんと笑う。

 

「そういうことじゃなくて、私たちみたいな人外は、大抵、人間の姿に化ける術も心得ているのが多いんだ。人間に化けて、人間社会に溶け込んで、その利益をちょっとわけてもらう訳さ。その代わりに某かの仕事をしていたり、加えて陰ながら人間様を護る活動をしたりね?」

 

 百合子は目をぱちぱちさせる。

 

「あ……だから私を守ってくれたんですね……あの……本当に……」

 

 真砂の人間の姿が、一瞬で雲に覆われ、次に雲が晴れた瞬間には、あの雲母妖の姿に戻っている。

 

「そういうことだけではないな。個人的に気になったからさ」

 

 真砂は、赤い目を細め、懐かしそうに。

 

「恐らく覚えていないと思うんだけど、私と、この天名は、二十年前君に会ってる。というか、君が気の毒な弟くんと違って鵜殿に殺害されなかったのは、たまたま奴の犯行に気付いた私たちが助けたからなんだ」

 

 百合子ははっとして、真砂、天名と交互に振り返る。

 

「あなた方が……私を……あいつから……」

 

 そうだ。

 何故自分だけは弟と違って鵜殿に殺されなかったのか。

 この人たちが守ってくれたのだ。

 

「すまんな。弟君も助けられれば良かったのだが、間に合わなかった。助けられたのは、お前だけだ」

 

 苦い声と表情で詫びたのは、天名である。

 彼女にしても、幼子を救えなかったのは、忸怩たる思いなのだと、表情だけでも理解できる。

 

「いえ……自分が助かっただけでも、有難いです。本当にありがとうございました。きっと、あなた方も危なかったのに」

 

 百合子は、膝の上の「傾空」をぎゅっと握る。

 

「あ、あの……あの鵜殿という人って、何なんですか……? あなた方と同じような生き物なんですか? だから、歳も取らないんですか?」

 

 百合子は気になってどうにも気色悪かったことを、真砂と天名に投げる。

 真砂や天名のように、人間を守ってくれる人外がいるというのなら、逆に人間を害する人外だっている可能性はあるだろう。

 伝承では、そういうタイプの人外の話は多い。

 神仏の使いとして人間を護る人外だって同じくらいに多いが。

 

「あいつかあ。ちょっと複雑でねえ」

 

 真砂がふう、と溜息。

 

「あいつね。元は人間なんだよ」

 

 百合子はぎょっとする。

 思い浮かぶのは、皮膚が溶けて中身丸出しになったあのおぞましい姿。

 あんな姿になって、動ける人間なんかいるだろうか?

 

「人間と言っても、元からおかしかったのは確かなようだ。我らが調べたところによると、幼い頃から暴力傾向があった。かなり凄惨な動物虐待事件を何件も起こし、ある程度成長すると、人間にも危害を加えるようになった。人間のままでも、そのうち収監されたタイプだろう」

 

 天名が説明の後を受ける。

 百合子は混乱する。

 いや、人間にしては奇妙過ぎないだろうか?

 

「人間にしては、おかしいと思っている顔だな? その通り、奴は途中で、人間とは言えなくなった」

 

 天名が光の強い目を細める。

 百合子は、はっとして息を呑む。

 

「人間とは言えなくなったって……」

 

「奴は『神器』を手に入れた。お前が持っているその『傾空』と、基本は似ているが、いささか厄介な性質が付いているタイプのものだ」

 

 百合子は、はっとして膝の上に二振り重ねた大型手裏剣を見つめる。

 

「こ、こちらと同じ……? 神器……?」

 

 真砂は、ああ、と笑って、百合子の肩を叩く。

 

「そう怯えなくていい。神器っていうのは、通常、装備する人間や人外に呼応して、特殊な力を発揮する特別な武器っていう性質のもので、別段、悪いことは起こらないよ。奴が持っている『朽崖(くちがけ)』が、いささか異常過ぎてね」

 

 百合子は、あのしらじらした日本刀の輝きが脳裏に蘇るのを感じる。

 

「朽崖……あの日本刀って、そういう名前なんですね」

 

「そう。しかも、あれはかなりヤバくてね。血を欲する神器なんだよ」

 

 真砂が流石に表情を曇らせる。

 百合子は、自分の心臓が重い音を立てるのを聞く。

 どういうことなんだろう。

 

「妖刀とかなんですか? 一回抜いてしまったら、人の血を吸わせるまで、再び鞘に収めることはできないって……」

 

 こういう不気味な武器の伝承は、書物でも読んだし、家にあるゲームの中にも、リスクのある武器として転がっている。

 

「近いものはあるな」

 

 天名が、形の良い顎をつまむ。

 

「そうした妖刀の伝説というのは、朽崖の噂が、どこからともなく伝わったものだろう。朽崖を作ったのが誰かはわからない。だが、わかっているのは、朽崖が、持ち主に強烈な殺人衝動を引き起こさせる性質があるというものだ」

 

 百合子は天名の白い頬を見つめながら、体温が急降下していくような感覚を覚える。

 ものの本で、妖刀などと呼ばれる村正の悪名は、幾つかの偶然が重なっただけの濡れ衣のようなものだと記されていたが、「朽崖」の場合は、まず間違いなく事実。

 危うく、自分の身で確かめるところだったのだ。

 

「しかもまずいことに、朽崖は誰かを殺害すればするだけ、その恐怖や苦痛、そして流した血を吸って、強大になっていく」

 

 真砂が再度大きなため息をつく。

 

「神器というのは、生きた武器というべきものだ。生き物というからには、なにがしかの意志があるんだよ。そして、朽崖の意志は、なるべく多くの死を引き起こし、犠牲者の生命と苦痛を啜って、より強大になっていく、ただそれだけなんだ」

 

 天名がちらと鵜殿の血や肉片の痕跡があった場所を見やる。

 どういう仕組みになっているものか、そこには既に何もない。

 まるで全部がドライアイスでできていたかのように、宙に溶けてしまったのだ。

 それを目の当たりにした時の百合子は目を白黒させてしまっていたが。

 

「『朽崖』は、誰の手にも触れられないように、封印されていたはずだった」

 

 天名が、ふと海と空を仰ぐ。

 まばゆい輝きを映しているはずの、彼女の目は暗い。

 

「だが、どうした経緯か、鵜殿は朽崖を手に入れた。生まれつき自制心に欠け、暴力衝動を持つサイコパスと、持ち主に殺人衝動と、それを完遂するだけの力を与える武器。最悪のコンビが、成立してしまった訳だ」

 

 真砂が、ふと付け加える。

 

「もはや、惨劇を引き起こすのは、鵜殿の意志なのか、それとも朽崖の意志なのか。あの両名は融合していると言っていい。そしてそれゆえ、鵜殿は『神器に侵蝕された』状態になっている。人間ではなく、奴はもう、殺人のための道具そのものなんだよ」