8-9 アジェクルジット家

「ようこそ、おいで下さいました、オディラギアス殿下……いえ、もう、陛下と申し上げた方が正確でしょうけど?」

 

 レルシェントとよく似た色っぽい、だが知性と意思、更には包容力も感じさせる声は、あけぼの色の大司祭、ミスラトネルシェラその人だった。

 

 呆気に取られるほど、趣向を凝らした、不思議な魔導具が「浮遊」するインテリアの中で。

 オディラギアスは、ほうっと溜息をついた。

 

 その食堂のインテリアは、地上種族のオディラギアスからすると、知的な美しさの魔導具を展示した、大魔導師の研究室か何かのようだった。

 しかし、星空を模して天井全体が輝くように見える細工の照明も、ひとりでにゆっくり回転する天球儀も、光学調整魔導力によって、メイダルの様々な場所を映すようになっている硝子の細工板も、特別というほどのものではなく、ごく一般的なメイダルの家屋のインテリアだという。

 いい加減慣れて来たオディラギアスだが、この大司祭の私邸というのは、並以上にマジカルに思える。

 同時に納得する。

 この環境が、レルシェントを育んだのだ。

 

 テーブルを挟んだ正面、豪奢な金色の地に青と紫の刺繍の布張りの椅子には、真ん中に大司祭家当主の『天を彩りし大司祭』ミスラトネルシェラ。

 その姿は、まさに天を染め上げるあけぼのの輝きのように、瑞々しくほれぼれするほど女らしい。

 宗教的理由から、肌を多く露出しているのが、またその印象を強める。

 それに加え、強烈な「母性」を感じる。

 あらゆることを委ねたくなる安心感。

 暖かな神聖さ。

 生命の根源に繋がっていると感じさせる、生命の奥底を刺激する何か。

 オディラギアスはちらと、隣のレルシェントを見る。

 彼女にも、自分の子供を産ませたら、更にどんどん子作りしたくなるようなこの雰囲気が出るのだろうか。いや、今でも見るからに男のそうした欲望を掻き立てる感じではあるが。

 

 その左隣に、彼女の夫、王立呪厭院(おうりつじゅえんいん)、筆頭呪厭師(ひっとうじゅえんし)である『悪夢に飾られし者』ナルセジャスルール。

 ちなみに、この呪厭師というのは、地上で言うなら一種の刑吏官で、魔法による特殊な懲罰を罪人に与える資格を認められた者のことだった。

 極端にいけば呪殺も行うが、そこまでいかぬ者――例えば、特定のものに触れられない呪いだとか、特定の行動を制限する呪いだとか、あらゆる行動にペナルティが付くような呪いといったものを、罪人の罪状に応じてかける職務だ。

 なかなか敵に回したくない――と、オディラギアスは生唾を呑んだ。

 

 そして、母親の右隣にいる、くらくらするような色っぽい美女が、レルシェントの姉にして、次なる大司祭に指名されているアミニアラジャートだ。

 額の宝珠は妖艶極まる紫霊石、そして、レルシェントと似た髪質のゆるやかな巻き毛も、陰影のある紫。瞳は、父親の色合いにとても似ている。

 薄く透けた布を多用した巫女服が、また彼女の雰囲気に合っている。

 それに加え、魔力にうといといわれる龍震族のオディラギアスでさえ、びりびりするほどの感じる魔力の持ち主。

 これで修行中なのか、と、オディラギアスは内心舌を巻く。

 

 更に左の椅子には、レルシェントの兄に当たる、銀翼石を額に戴いたカーリアラーンが座っている。

 凝った巻き方のターバンから銀色のまっすぐな長髪が垂れ、目も銀の鱗を放射状に並べたような色、顔半分に、魔除けと魔力増強のための、うねる炎か唐草めいた化粧をしている。

 オディラギアスの語彙にはない、不思議な魔力を感じる。

 どこか妖艶な刀を思わせる、鋭い美男だ。

 

 最後、向かって右の椅子にいるのは、碧虹石を額に戴いた、同じく碧虹色の髪をサイドをボブにし、後ろを長く伸ばした娘だった。髪に飾った、華麗な羽毛の飾りが艶麗な色合いを見せている。

 神使のような清らかさと、美しい魔物めいた華やかな蠱惑が同居し、どうにもどぎまぎさせる。

 その目の光の強さは、そのまま鼻っ柱の強さ。

 彼女の名前はドニアリラータ。

 兄弟姉妹と同じ、強大な魔力の放射を感じるその気配に、オディラギアスは何度目かの舌を巻く。

 

 多分、この中の誰一人として、一対一で戦ったら勝てないだろうな。

 そんな風に、オディラギアスは思ったのだが。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「神聖なる大司祭家、アジェクルジット家の皆さま。お招きいただきましたことを、心より感謝申しあげます……」

 

 オディラギアスが立ち上がって一礼した。

 手土産に持ってきた、本島の名店の菓子を差し出す。

 

「まあ、水臭いですわ、オディラギアスさん。わたくしたち、もう、家族になりますのよ? そんな余所行きの態度では疲れてしまうでしょう?」

 

 ミスラトネルシェラが、にっこり微笑んだ。

 はた、と、一気に許された気になって、オディラギアスの緊張がゆるむ。

 

「そうだとも、無礼講で行こうじゃないか。面倒くさいのは王宮(職場)で十分だ。君は愛する女の家族に挨拶に来た青年――ついでにちょっと不穏な話、といったところかな?」

 

 ニヤリ、とナルセジャスルールが笑いかける。

 人が悪そうなのに、何故か妙に安心できる笑顔。

 オディラギアスの緊張は、更に解けた。

 

「酒は後の方がいい……そうだろう? ま、とっておきがあるから、楽しみにしているように」

 

 レルシェントが、くいくいとオディラギアスの腕を引っ張る。

 

「ごめんなさいね。父って、変な人でしょう? でも、悪気はないのよ」

 

「いや」

 

 オディラギアスは微笑む。

 

「人間的な魅力に溢れた方だ。流石、大司祭様の夫であらせられる方だな」

 

 それは本心からの言葉だった。

 

 ナルセジャスルールの職業、呪厭師というのは、社会の暗部に関わる。

 そうした性質上、輝かしく神の光を一心に受ける大司祭の夫に相応しくないのではないかという意見も、彼らの結婚当時、出たそうだ。

 しかし、ミスラトネルシェラは、そんな言葉に耳を傾けずに、彼を選んで堂々とし、そして四人の子を成した。

 その子供たちのいずれも、極めつけに高い魔力を持ち、若くして実績を残していることから、今や彼女の選択に疑問を挟む声は皆無だ。

 

 そういう「前例」が、まさに実母にあるのなら。

 レルシェントが地上種族である自分を選ぶハードルも低いのではないか。

 そんな希望を、オディラギアスは抱く。

 

「ふふふ、君は実際、この俺の、自慢の種だよ、真面目な弟くん」

 

 銀色のカーリアラーンがウィンクする。

 

「なんたって、弟が地上の国の王様なんだから。このおかしなものをこの世界に持ってきたらしい妹に感謝しなきゃならない……ああ、その点ではあなたも同じだったか。その辺の話も聞きたいな。ついでに王様の君の前で兄貴面させてくれない?」

 

 調子よくぽんぽん口に出す、彼の言葉のさりげない暖かさに、オディラギアスは微笑みが顔に上るのを感じた。

 

「何か、意地悪なことを言われると思われてしまっていたのですかしら? そうならば、母と妹が、説明不足で申し訳ございません」

 

 妖艶にして同時にこの上なく上品でもあるアミニアラジャートが、くすりと微笑んだ。

 

「何も緊張することはないのです。だって、あなたは妹が選んだ人。妹が愚かな娘でないことぐらい、わたくしどもには分かっておりますわ。それに、あなたは妹が前にいた世界で、この子の命の恩人でいらしたとか?」

 

 そう水を向けられて、オディラギアスは微かに苦笑する。

 

「結果としてそうなりはしましたが、レルシェには深い心の傷を与えてしまいました、姉上。もう少し上手くやれていたら良かったのですが」

 

 その答えを聞いて、アミニアラジャートは感嘆の溜息をつく。

 

「誠になんと高潔な……あなたのお陰で、地上の、殊に龍震族の方々への見方を改めねばならないと確信いたしましたわ」

 

「それで!! 兄上、いつ、ルゼロスでクーデターを起こすの!?」

 

 わくわくした口調で割り込んできたのは、レルシェントの妹に当たるドニアリラータ。

 

「あ、もちろん、わたしも、混ぜてくれるんでしょう? 嫌だといっても、勝手に義勇軍に参加して、色々シメるからね!!」

 

 当たり前のように放たれたその言葉に、オディラギアスは苦笑を浮かべながらも感謝する。

 レルシェントの話によれば、彼女は見掛けによらず、凄まじい魔法の使い手だという。異世界から何かこの世界にないものまで召喚できるのだと。

 彼女の力は必要かも知れない。

 

 いつの間にか、テーブルの上には、人型魔法生物サーヴァントが運んできた料理が並べられている。

 元の世界で言うならオムライスに似たもの、薫り高い香草入り肉詰めのスープ、水菜と豆と淡水魚のサラダ。

 

 メイダルの常のように食事は美味で、どんどん進んだ。

 聞けばこのメイダルでは、人として生まれた者は、生活のためというより、第一に己が追求したいことを追求するために、特定の職業に就くのだという。

 それはあるカテゴリの魔法であったり、あるいは何らかの技術であったりする。

 中には、美食を追求する料理人タイプのメイダル人もいるため、料理の技術、そしてバリエーションも発達していた。

 聞けば、彼らは地上の料理に興味があり、メイダルと地上、ルゼロスの交流が開始されるのを今か今かと待ち望んでいるという。

 

「本当に……私とレルシェの結婚を認めていただけるのですか?」

 

 あまりにあっさりしていたので。

 オディラギアスはつい訊き直してしまった。

 

「……実は、レルシェにも言っていなかったことなのですが」

 

 食後の茶をたしなみながら、ミスラトネルシェラが呟いた。

 

「この子には、生まれつき、我がオルストゥーラ女神より、預言が下されていたのです。その預言により、今日のこの日は予見されておりました」

 

 オディラギアスばかりか、レルシェントまで言葉を失った。

 

「えっ……母さん? 初耳だわ、本当なの!? どういうこと?」

 

「ええ。本当もいいところよ。この預言をあなた自身にすら明かさなかったのは、あなたの行動を制限しないため」

 

 言葉を失ったレルシェントの代わりに、オディラギアスが身を乗り出した。

 

「その預言とは……」

 

「『この者は、やがてメイダルと地上の間の、閉ざされた扉を開くであろう。そしてその扉の向こうの誰かの手を取るであろう』。こういう、預言なのですわ」

 

 思わず、レルシェントとオディラギアスは見つめ合った。

 

「ですから。オディラギアスさん。あなたとわたくしどもが家族になれるのは、定められたことであったのです。具体的にどんな方かと、分かった訳ではありません。しかし、レルシェにあなたのことを聞かされた時、驚きはなかったのですよ」

 

 来るべき方が来られた。

 それだけのことです。

 

 その言葉に、オディラギアスは改めて腹を括った。

 

「母上、父上、姉上、兄上、そして妹よ。どうか、我が故郷にレルシェントを連れ帰り、我が妃にする同意をいただきたい」

 

 オディラギアスは、真剣に彼らに訴えかけた。

 

「最初から、何もかもうまくはいかないかも知れません。この楽園のメイダルにさえ、狭量な方がおいでのように、我が故郷でレルシェに冷たい目を向ける者が皆無とはいかないかも知れません。しかし、それでも」

 

 一拍おいて、息を吸い込み。

 

「私は、すでに、レルシェ抜きの人生など、考えられないのです」

 

 レルシェの頬が染まり、目が潤んでいるのに、オディラギアスは気付いているだろうか。

 

「心無い者の魔手、そしてあらゆる危害から、私はレルシェを全力で守ります。どうか……」

 

 オディラギアスは、一家を見回し、そして最後にミスラトネルシェラに目を据えた。

 

「答えはすでに出ております。この子が生まれた時から。そしてレルシェントがあなたを選んだ時から」

 

 それは、このメイダルの最高司祭の、文句抜きの肯定だった。

 

「やあ、国王陛下。そんなことでは下手な奴に舐められるぞ」

 

 嬉し気に笑いながら、ナルセジャスルールが言葉を放った。

 

「一国の国王なのだ。自分の妃くらい、例え彼女の家族の同意がなかろうと、奪い取るくらいの気概がなくては。それとも、なにか、地上の龍震族は、わたしが知らない間に、我らを追い払ったのとは別物の腰抜けになったのかね?」

 

 わざとらしい挑発に、オディラギアスは嬉しくて破顔した。

 

「確かに今の龍震族は多くが堕落しておりますが、私自身は、堕落した龍震族ではありません。そういうことなら、遠慮なく。父上、母上、子供ができたら、写真をお送りいたします」

 

 こちらもわざとらしく傲岸に言い渡すと、レルシェントは頬を赤らめ、メイダルの誰もが恐れるとされる呪厭師は、声を立てて笑った。