その2 妖魔転生法と神虫

「つまり、お前はその娘に惚れている、というのだな?」

 紫王の父、六臂の阿修羅は、あっさりそう突きつけた。

 紫王の顔に羞恥と無遠慮さへの怒りの朱が昇る。

「愚かな。幼稚な一時の情熱などで、こういったことは決められるものではない。よしんば妖怪として蘇生させたとして、人間から妖怪になった本人はどうなるか考えているのか!? まるで違う生き物として生きろというのだぞ!?」

 真面目な者であればあるほど、自分を受け入れられずにどうにかなってしまうぞ? と畳みかけられ、紫王は唇を噛んだ。

 

「お恐れながら、陀牟羅婆那《ダムラバナ》様、天椿姫様」

 筋骨隆々の野人めいた巨漢、蓮沼清美《はすぬまきよみ》が、丁寧に膝を折って礼を取った。麻の上下を着込んでいるが、それでも隠せないほどの野性味にあふれた男だ。

「紫王様は、すでに子供というほど幼くはいらっしゃいません。それに加え、このお嬢様を妖怪仲間に引き入れるのが、それほど不都合でありましょうか? 以前にも、何度かあったことではありますまいか?」

 その言葉を聞いて、案じるような溜息を落としたのは、紫王の母・天椿姫だ。

「承知しておる。何度も呪法を行ったのは、確かにわらわじゃ。しかるに……」

 天椿姫は痛ましい視線を倒れ伏す瑠璃に向けた。

「それは、大部分本人に覚悟があってのこと故。それに、昔は妖怪変化の類は、当たり前のように実在するという前提で、世の中が出来上がっておった。妖怪に転身する本人も、納得が早かった。周り中がそう思っていることに、誰もが引きずられるもの。しかし、この娘の場合は違うぞえ、紫王」

 天椿姫と紫王の視線がまっこうからぶつかり合う。

「今の世の中は、妖怪が存在する前提で出来上がってはおらぬのじゃ。居場所がない、とこの娘が感じるようになってしまうかも知れぬ。それにな、急に妖怪になどなったら、それなりの物事を身に着けなくては生きていくのに不都合。妖怪としてのこの娘を、丸ごと引き受けてくれる誰かが必要じゃ。立場というものも、与えてやらねばならん」

 懇々と諭す母に、紫王の金色の視線が突き刺さった。

 

「……なら、俺がこいつを丸ごと引き受ける」

 紫王は力を込めて断言した。

「こいつは、俺の、嫁にする!!」

 

 一瞬だけ、沈黙が落ちた。

 仁が、清美が、そして天椿姫に加え陀牟羅婆那が目を見開いた。

 

「ちょ……紫王!? マジ!?」

 仁が素っ頓狂な声を上げる。

「マジに決まってんだろ。こんな状況で、冗談なんか言えるか!!」

 吼えるように、紫王が叫ぶ。

「お前は正気か!? お前が嫁をもらうだと!?」

 流石に呆気に取られたような声は陀牟羅婆那だ。

「うるせーよ。もう決めたんだよ」

 紫王は憎々し気に唸る。

「お袋、早くしてくれ!! もう、細かいあれこれは後でどうにか辻褄合わせりゃいいだろ!!! 久慈が死んじまう!!!」

 掴みかからんばかりの息子に、真剣以外の色を感じ取れない天椿姫は、一瞬目を閉じ、次いできっぱりうなずいた。

「……お前が、そうまで申すなら」

 天椿姫は、瑠璃の傍にすいと歩み寄った。

「おい……」

 流石に陀牟羅婆那が止めようとしたが、紫王に「邪魔するな!!」と怒鳴られる。

 

 華麗な天椿姫が、手折られた花のような美しさの瑠璃の傍らに立つ。

「荒魂《あらみたま》、和魂《にぎみたま》、奇魂《くしみたま》、幸魂《さちみたま》を震わせ給いて」

 瑠璃の全身に、あでやかな虹色の光が走り、包み込む。ふわりとその体が宙に浮き、いけにえに捧げられた娘のように仰向けに浮かぶ。緩やかに巻いた優雅な長い髪が垂れた。

「天地《あまつち》、常盤の波に申して送らん、あやしの色、御魂《みたま》に咲き給いて申さく」

 まるで宙に浮いた瑠璃の体の中から湧き上がるように、虹色のあでやかな光は滔々とこぼれ、瑠璃の体を覆った。瑠璃自身の肉体の厚みに大分勝る光が、彼女の全身を包み込む。

「……この者、久慈瑠璃、あやしと昇らん!!!」

 光がぶわりと広がった。

 瑠璃の全身に入り込むように変じ、何か器官が生じていくようだった。

 背中に光る虹色の何かが広がり、腰の後ろから何かが伸びた。

 激しい明滅の後、そこに垂直に立っていたのは。

 

「久慈……?」

 紫王は息を呑んだ。

 

 瑠璃の姿は今までの花の色を隠した乙女とは、全く違っていた。

 まず目立つのは、背中に異国の花のように広がった、鮮やかな虫の翅だった。黄金の流れのような翅脈の間に、移り変わる赤虹色の翅が広がっている。それは二対存在した。

 同時に、豊かな腰の後ろからは、マジョーラカラーとも言うべき、目にもあやな光沢をたたえる、蠍の尾のようなものが長く伸びていた。先端には肉厚の刃物のような針がゆらゆらと揺れている。

 手足の先が構築的で華麗な甲殻に覆われているのが珍しい。髪は尾や手足と同じ虹色の艶麗な巻き毛だった。額から、優美なS字曲線を描く黄金の角が、王冠のように頭部を彩っている。

 豊満美麗な肉体を覆っているのは、特殊部隊服をセクシーにアレンジしたような、きわどい衣装だ。

 

「……神虫《しんちゅう》か」

 陀牟羅婆那がほう、と声を上げた。

「……何だよ、神虫って?」

 紫王は怪訝な顔をする。

「極め付けに珍しく、そして強力な妖怪じゃな。朝《あした》に三千、夕べに三百の鬼を食らうというほど、強力な辟邪《へきじゃ》の妖怪じゃ。この娘の魂、よもやこのような存在に転生するほど、高貴なものであったとは」

 夫の代わりに答えたのは、天椿姫だった。

 

 この「妖魔転生法」は、対象の人間の魂を、その魂の格や波長に見合った妖怪に転生させるというもの。

 内面的に貧しければつまらない、格の低い妖怪になるし、内面が豊かで高貴なら、神に匹敵するような格の高い妖怪になる。

 久慈瑠璃の場合は。

 

「神虫……名前は聞いたことがあったが……実在するとは」

 唸ったのは、清美。冷や汗が流れているのは、暑いからでは確実にない。

「……それって、確か世界に一匹しかいねえとかって……」

 仁は怪訝な顔を陀牟羅婆那と天椿姫に向けた。

「いや。確かにそう勘違いされてもおかしくないほど珍しくはあるが、必ずしもそうではない」

 陀牟羅婆那はあっさりそう応じた。

「あまりに強力であるし、本人たちも超然として世の栄華のことなどに興味がない故、そのように受け取られている。私も出くわしたことは今まで二度ほどしかない。三度目が、この娘だ」

 陀牟羅婆那の視線にも気付かぬように、空中に垂直に立った姿勢で、瑠璃は眠り続ける。

 

「……かっこいい種族じゃん。気に入った。ありがとうな、お袋」

 紫王が、瑠璃の下で手を差し伸べる。

 その腕の中にゆっくりと、瑠璃が降りてきて収まった。

「たった今死にかけたし、少し休ませた方がいいな。お袋、部屋、貸してやっていいだろ?」

 上機嫌で、紫王はそんな風に問いかけ。

 腕の中の許嫁に、優しい目を投げかけたのだった。