1 我々は掃海艇マクキャンベルに乗り込んだ

「いやぁ、こんな大きな船に乗るの、初めてだなあ」

 

 D9は、目の前に限りなく広がる碧と蒼を眺め渡しながら、そんな風につぶやいた。

 鮮やかな昼日中の光に、果てしない青海原が輝いている。

 水平線でそれに接した蒼穹は、ごく淡い雲を掃いて、更に深い蒼を見せる。

 

 軽快に海原を突っ切って進む米軍の掃海艇「マクキャンベル」の甲板で、D9は虹色に輝く髪を風になびかせていた。

 海上の澄んだ光に、その鏡のような髪が鮮やかな乱反射を起こす。

 D9は目を細め、海原を見渡した。

 茫洋と広がる青い波以外は何も見えない、ように思えるのだが。

 

「さて、そろそろ来るぞ?」

 

 さも面白そうに側にやってきたのは、メフィストフェレスだった。

 今は、特務部隊の軍服を着用している。

 執務室でのスーツ姿と同じくらいに着こなしがいい。

 

「リヴァイアサン……でしたっけ。本当に、こんなところに」

 

 なんとも不思議そうな表情で、D9はその一神教徒以外にも名前の知れ渡った怪物の呼び名を口にした。

 振り返り、いかにも無機質な掃海艇の灰色の船体、据え付けられた兵装の数々を見回す。

 この船が、同僚艦の「ステザム」、「マケイン」と共に、太平洋上のこの地点に向かって出航したのは数日前。

 ここは通常ならば、商船の航行路上だ。

 

 D9始め、メフィストフェレス、ダイモン、そしてムーンベルの四人を搭乗させたマクキャンベルが、同僚艦と共にここに向かった理由は、表向き、テロリストの洋上活動を察知したため、その確認と対応……ということになっている。

 しかし、実際には、敵は「テロリスト」などという可愛いものではなかった。

 

「聖書に出てくるアレそのものじゃねえよ。その倅だか娘だか、あるいは孫か何かかもしれねえが」

 

 あかがね色の髪を風にかき乱されながら、それでも気分よさそうに、ダイモンが解説を加えた。

 彼は軍服でなく、基地でも見た普段着のままだ。

 

「とにかく、そいつが少し前からこの近海で暴れ回り出したというこった。何隻も商船が沈められてな。そこで、お前さんを本国に移送するついでに、こいつをなんとかしようってことになったわけだ」

 

 出航前にも言い渡された説明を改めて繰り返され、D9は腹をくくりなおした。

 なぜなら。

 

「あなたの腕試し、という意味もあるっていうのは、説明したわよね? 緊張しなくて大丈夫。目撃証言からするに、あなたの敵ではないはずなの」

 

 逆にあなたがいないと大変だったわ、とぼやくムーンベルは、律儀に軍服だ。

 

「私たちのような神魔には厳然と『格』っていうものがあるのよ。人間同士では場合によっては儀礼的な意味しかないけど、私たちにとっては違うわ。ただちに『実力差』と言い換えてもいいものなのよ」

 

 そんな彼女の横で、メフィストフェレスがヘッドセットマイクに何事か告げているのが聞こえた。

 多分、艦橋に敵感知の合図を送ったのだろうと、D9は判断する。

 

 特務部隊oracleの一員としての初めての仕事が、リヴァイアサン退治とは、なかなか凝っている、と、D9はちょっと面白かった。

 自分で予想していたような恐怖心は湧かない。

 むしろ、世界的に有名なアレ――正確にはその子孫らしいが――が、どんな見た目でどんな能力だが、目の当たりにするのが楽しみではある。

 

 少し前まで、世界の終わりのような気分を味わっていたせいか、妙に度胸が据わった自覚があった。

 あれだけの不安と困難を乗り越えた今となっては、特大のウミヘビだかウナギだかがなんだというのだ。

 バラして、昼食のソテーにしてやるといったところである。

 

「ポト。ポトは危ないから、中に入ってな」

 

 振り向き、真後ろに控えていたポトにそう促す。

 艦橋から戦闘配置に就くために、米海軍兵士たちが素早く据え付けの兵器に取り付いた。

 巨大な銃口が、海上を向く。

 船が減速し始めたのがわかった。

 ここで決戦、というつもりなのだろう。

 

「大丈夫にゃ。ちょっとなら、戦えるにゃ」

 

 いうなり、ポトの白い全身が光に包まれた。

 次の瞬間、そこにいたのは、牛ほどにも大きな、巨大な牙と爪、そして二股の尾が目立つ、巨大なネコ科の猛獣だった。

 これが、ポトの猫又としての本来の姿なのだろう。

 

「さあ、出ておいで。君のお母さんだかおばあさんには、ちょっと世話になってねえ」

 

 舳に向かい、そんなことを口にしながら、メフィストフェレスが歩いていく。

 歩いていくうち、その姿が、あの炎の山羊角を持つ悪魔の姿に変化した。

 戻ったというべきか。

 

 ダイモンが、パズズの禍々しい巨体を曝して、空中に風をまとって浮かび上がった。

 

 ムーンベルが、満月色に輝く妖精の姿に変じて、きらきらした光の粒を振りまく。

 

 人間たちも、そして神魔たちも、戦闘準備を整えた。

 

 と。

 船の前方の海面が泡立った。

 

 ぞわぞわするイメージが、D9の脳裏に浮かび上がった。

 ぞろりとした鱗、うねる長大な胴体。

 まるで海の恐怖を体現したような。

 

 D9は、全身に意思を行き渡らせた。

 一瞬の変化。

 

 輝く九頭の龍神が海上に降りた恒星のような姿を現すのと、碧い海面を突き破って、黄白色の長大な海魔が姿を現すのとは、同時だった。