20 慈濫

「慈濫(じらん)……? あなたが、街を襲った人形使い……?」

 

 百合子が、強い目で、その変に高貴ないで立ちの男を見据える。

 

 雲の上で、油断なく神器を構えながら、百合子はその慈濫というのが何者か訝る。

 いで立ちだけ見るなら、平安貴族みたいだ。

 テレビで中継されていた、宮中行事に参加している男性たちが、身に着けているのに似ている衣装。

 慈濫の風貌は貴族的で端正であったが、額に大きな白い蛾の触覚が突き出している。

 肌の色は、やや緑みを含んだ白で、まるで奇妙な白粉をはたいたようだ。

蛍石じみた色の複眼と相まってどこか亡霊じみた印象。

 

「オヤオヤ。これは、鵜殿から逃げ延びたという神器使いさんですかな? 可愛らしいお嬢さんに見えますが、なかなかどうして、手強そうじゃないですか」

 

 慈濫は百合子に目を留め、にいっと笑う。

 百合子はかすかに眉を顰める。

 まるで「お前は運がいいだけだ」と言われているような。

 

「君は鵜殿を知っている。奴と組んでいたってことでいいかな?」

 

 真砂がすうっと目を細めて面白そうに。

 

「ここを襲った理由は、私たちが来たからなんじゃないのかい? 正確に言えば、常世の国から差し向けられたご一行様を歓迎できないってところか」

 

 真砂の足元で、ナギがミャア、と鳴く。

 ふと、冴祥が進み出る。

 

「慈濫さん。この傀儡、随分性能がいいですね。どこから仕入れた材料で作られたんです? 少なくとも、私は扱ったことのない、あなたに卸したこともない材料としか思えませんね」

 

 彼の周囲の鏡が、まるで威嚇するように、きらきら光りながら慈濫を映す。

 慈濫は口元を歪めて笑う。

 冴祥は更に畳みかける。

 

「この材料から、妙な気配を感じますよ。話には聞いたことがあります。邪神由来のとんでもなく強力なおぞましい物質があるのだと。慈濫さん、これですね? どこで手に入れられました?」

 

 慈濫は黙って手の中に、小さな壺を出現させる。

 布で封をしてあった、小さな茶壷のようなそれの、風の布と紐がひとりでに解け、中から銀色の煙のようなものが溢れ……

 

「ダメッ!!」

 

 直感的にやらせてはいけないと悟った百合子が、「傾空」を投げつける。

 唸りを上げて慈濫に突撃した神器はしかし、煙の中から溢れ出た傀儡を粉砕して、そのまま目標だった慈濫を捕えられずに戻って来る。

 

 今や浜辺一面に、あの傀儡が蠢いている。

 空中にも、金属のように見える翅を生やした傀儡が、羽虫よろしくホバリングしている。

 ガシャガシャと、耳障りな音。

 

 百合子は、思わず視線をあちこちに走らせて、慈濫を探す。

 しかし、肝心の人形使い師はもはやどこにも見えない。

 丸裸の傀儡の中で、貴族的に着飾った慈濫は目立つように思えるのだが、本当にどこにもいない。

 傀儡たちと引き換えるようにして、視界から消えてしまったのだ。

 

「あっ!! 皆さん、危ないでーす!!」

 

 ナギが急に叫んで飛び上がる。

 まるで小型の太陽のように、ナギの広げた翼が輝き出し、その光に照らされた空中の傀儡たちが、瞬時に燃え尽きる。

 一瞬で煙も灰も残さず、消し去ってしまったのである。

 後には青い空。

 

「八十鏡(やそかがみ)を」

 

 冴祥が静かに、だが妙によく聞こえる声で言霊を口にする。

 その途端、いきなり天地に無数の月のような、輝く幻の鏡が出現する。

 それが傀儡を映すのと同時に、まるで傀儡たちなどこの世にいなかったように、綺麗に消え去る。

 あれだけ虫の塊よろしく蠢いていた傀儡が、地上にも空中にもいなくなる。

 まるで初めて見た時ののどかな風景が戻ってきたようだ。

 違うのは、まるで映画の特殊効果のように、無数の鏡がきらめいていることだけ。

 

「えっえっえっ……」

 

 今しも傾空を投げつけようとしていた百合子が、その姿勢のまま固まる。

 

「いつも思うけど、大将って、護衛必要かなあ?」

 

 暁烏が太刀を担いで暇そうにしている。

 

「さて、後は奴を捕えるだけか。どういう神器を使っているかはわかったな」

 

 天名が翼を広げたまま周囲を見回す。

 

「今のでわかったことならある。あの神器と傀儡、恐らく『神封じの石』を使って作られているよ」

 

 真砂がきっぱりと断言し、全員が彼女を見る。

 

「何ですとー!! 誰か!! あの眉毛さんを追ってください!! どこ行きました!?」

 

 ナギがニャアニャア騒ぎ出す。

 

 百合子は、今のは逃げるための時間稼ぎだったのだろうと確信しながら、地上に目を凝らす。

 砂浜と少し離れて街並みが……

 

 と。

 

 急に、背後から引っ張られて、百合子は反射的に振り返る。

 

 途端。

 何か強い力で腕を引かれて、百合子はそのまま真後ろに転倒したのだった。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 百合子は、砂浜の上で目が覚める。

 

 何があったのかと疑問が脳内で明滅したが、すぐそういえばあの雲の上から転げ落ちたのではないかと思い至る。

 

 頭上を見上げるが、既にあの真砂が作り出した雲はなく、瑠璃色の風放の湊の空が広がっているだけ。

 背後は海。

 潮の匂いも変わらない。

 

 百合子は、砂浜から起き上がり、周囲をきょろきょろ見回す。

 何故か、誰もいない。

 真砂も、天名も、ナギも、冴祥も、暁烏もいない。

 

 どこだ。

 改めて周囲を見渡す。

 

 違和感がある。

 

 少し離れたところで、砂浜の色が変わっているような。

 あれは、穴?

 

 穴なんか、あったんだろうか。

 ついさっきまで、平坦な砂浜だったはず。

 

 百合子は、何かもやもやと湧き上がる嫌な予感を感じたが、ともかく状況を確認せねばならないと、その穴に近付く。

 

 穴を覗き込み……

 百合子は悲鳴を上げてへたり込む。

 

 その直系4mくらいの穴の底には、真砂、天名、冴祥、暁烏だとわかる死体が、切り刻まれて無残に折り重なっていたのだ。

 あの、ばらばらの羽毛の痕跡は、ナギだったものか。

 

「真砂さん……天名さん……冴祥さん……暁烏くん……ナギちゃ……」

 

 滂沱と涙を流しながら、百合子はどうにか考える。

 何でこんなことになったのだ。

 誰にやられたのだ。

 傀儡もその親玉も、もういなかったはずなのに。

 

 と。

 

 肩を叩かれる。

 

 振り返った百合子は、完全に現実感を失う。

 

 そこには、さっき消し飛ばしたはずの傀儡の群れが、またもや動く壁のように、百合子に迫っていたからだ。