捌の漆 花の終わり

 千春は、体を揺さぶられて目を覚ました。

 

「青海、ここ……?」

 

「どうも助かったようだよ……《《あたしたちはね》》」

 

 苦味を含んだ声音に、頭がやにわにはっきりする。

 飛び起きた。

 

 見えたのは、崩れ落ちた寺院の残骸。

 

 まるで何百年も放置されていたかのように、瓦礫の山と化したそれが金地院の跡だと分かるには、しばらくの時間を要した。

 

 侵入する時は魔界そのものだったのに、今はごく普通の破れ寺だ。

 

「……何があったの? さっきのあれ……あれが助けてくれたの?」

 

 青海の手にすがって立ち上がり、誰にともなく問うた。

 そもそもの目的であった崇伝と『呼ばれざる者』は結局どうなったのか。

 さっぱり分からない。

 

「……どうやら、天海上人の修法で助かったようじゃな。『呼ばれざる者』も一旦は消えたようじゃ」

 

 重苦しい表情で、金地院の本堂があった場所を睨む黒耀がそう告げた。

 陣佐がその後ろで呆然としている。

 多分千春同様、今起きたのだろう。

 

「……花渡は?」

 

 千春は恐る恐るその名を口にした。

 

「……分からぬ。我らのうち誰も、姿を見ておらぬ」

 

 鎮痛な声音で告げられた事実に、千春の頭が真っ白になる。

 

「花渡が死んだってこと!? 嘘だよね、だって、『呼ばれざる者』やっつけたのは花渡なんじゃないの!?」

 

 そうとしか思えない。

 大体、花渡以外の力は『呼ばれざる者』に通じないのではなかったか。

 

「間に合わなかった……のやも知れぬ」

 

 がっくりと、黒耀が肩を落とす。

 

「花渡がどうにかして、崇伝を葬り、『呼ばれざる者』を封じ込めたのやも知れぬ。だが、それはあの魔界の崩壊を招いたのではないか。花渡はそれに巻き込まれて……」

 

「嘘だ!!」

 

 千春は叫んだ。

 

「あたし、あたし探しに行く!!」

 

 千春が本堂跡に向けて駆け出すのを、陣佐が肩を掴んで止めた。

 

「やめろ……多分……無駄だ」

 

 陣佐の顔がこんなに歪むのを、千春は初めて見た。

 

「そんな、見捨てろっての、花渡を!!」

 

「もう、あの地獄は閉じてしまったのだ。つまり、この世に存在しない。この世のどこを探しても、花渡は『いない』のだ……」

 

 自分で言った言葉に傷付けられたように、陣佐は顔を背けた。

 

「分かんないじゃない! 分かんないじゃない! あたしたちは助かったんだよ!! 何で花渡だけ!!」

 

 と。

 陣佐の手を振り切って駆け出した千春の足下から、急激に緑が萌えだした。

 見る間に千春の腰辺りまで成長し、万色の花を咲かせる。

 溢れ出る色彩と、芳しい香り。

 

「もしかして待っていたか? すまんすまん」

 

 聞き覚えのある声音に、千春はそちらを見た。

 瓦礫の向こうから、見覚えのある長身の影が近付いて来る。

 

「流石に凄い瘴気が残っていたのでな。あちこち、花で浄化して回ってた。いや、なんとかなって良かったな、ははは」

 

 千春はみなまで聞かずに、花渡に向かって飛びついていた。