「これはようこそニレッティアにおいで下さった、オディラギアス殿下に、レルシェント殿下。歓迎いたしますよ」
穏やかだが、底の方で油断も隙もない笑顔を見せるその男は、くぐもっているくせにやけに耳に残る声でそう告げた。手にした馬用の鞭がぴしりと鳴る。
「わたくしは、ニレッティア帝国情報局長官を務めております、シエノン・ゼダル・ミーカルと申します。今回は、お二方に色々お伺いするべくまかり越しました。是非、素直に質問に答えていただけると有り難いですね?」
わざとらしい慇懃無礼な口調でのたまうミーカルを、オディラギアスはじろりと睨んだ。
「曲がりなりにも他国の王族と貴族に対するに、このように縛(ばく)したままでとは無礼であろう。まず、この手錠を外せ」
がしゃりと手錠を鳴らしたオディラギアスを、ミーカルは片眉を上げて見下した。
「そうしたいのは山々ですがね、殿下。なにせ、あなたもこちらも、我らにとっては危険すぎる方だ。龍震族が、他の種族からどのように思われているか、ご存じない訳ではありますまい。霊宝族に至っては、言わずもがな」
オディラギアスは舌打ちしたい気分に駆られた。
龍震族は、とりわけ必ずしも戦いに向いた肉体構造を持つ訳ではない種族――人間族や、妖精族など――からは、一種の猛獣のような目で見られている。あまりに戦いに向いている故、特に武装せずとも、彼ら種族の平均から見ると、魔物なみの脅威になってしまうからだ。
霊宝族に至っては、さきほどの兵士がレルシェントに浴びせた暴言「化け物」が全てを表していると言っても良い。
「さて、訊きたいことはことが山とあるのですよ、お二人とも」
ぴしり、ぴしり。
手の中で鞭を鳴らしながら、ミーカルは彼らの前を行ったり来たり歩き回った。
「あなた方が遺跡にある『何か』を探していることは調べがついているのです。あなた方は一体何を探しておいでなのです? 素直に教えて下さったら、解放申し上げるのもやぶさかではないですよ?」
二秒で空約束だと分かる言葉を並べ、ミーカルはそう尋ねてきた。
「こちらからも訊きたいのだがな。そなたらは、何故、そのようなことを知っている? これはごく内々の話として処理した、本来部外者が知るはずのない話だ!!」
オディラギアスがじろりと睨(ね)めつけると、ミーカルはにっこり微笑んだ。
「そりゃ、まあ、情報局というくらいですからね。そういうことを探り出すのが、仕事という訳です」
まるで生意気盛りの子供に言い聞かせるような口調。いちいち癇に障る態度の男である。
「どなたか、恐らくは太守様の周辺に、間者を潜り込ませておいでですのね?」
レルシェントがじっとミーカルを見据えた。
「恐らくは、太守様がスフェイバに赴かれる前から、監視でもしていたのではありませんこと?」
ひんやりした口調で問われたミーカルは、ふう、と感心の溜息を落とした。
「伝説には聞いていましたが、流石にかつては全世界の支配者であった霊宝族の方。鋭いですねえ」
「本当にそうなのか」
オディラギアスは声を低めた。
「何故、私なぞ監視対象にするのだ? そこまで知っているなら、私があの王家でどんな立場か、知らぬ訳ではあるまい。監視したところで、ニレッティアに益になるようなことがあるとも思えぬのだがな?」
ミーカルは、軽い笑い声を立てた。
「あなたを馬鹿にはいたしませんよ、オディラギアス殿下。何かをひっくり返すとしたら、それは常にあなたのような方だ。現状に何の不満もないお坊ちゃんお嬢ちゃんではなくね?」
思いがけないことを言われて、オディラギアスは一瞬言葉を失った。
順調に地位を得ることが約束された兄弟たちばかりか、自分のような者までニレッティアが監視していた理由。
現状に不満を持つ者だから。
「我らが女帝、アンネリーゼ様もそうです。あの方は、ある意味、オディラギアス様、あなたに似ておられましてね」
ふう、とミーカルは溜息をついた。
「見事な赤毛で有名なのはご存知でしょう? 今でこそ、ニレッティア帝国で、赤毛と言えば美男美女の代名詞ですが、あの方の即位前は違ったのですよ。凶悪な邪神が、赤毛だという伝説がありましてね。赤毛の人間族は、その邪神に印を付けられた者だと」
人間族の信奉する神々は、一般的に守護神とされているアーティニフルの他にも数多い。
人間族が個体ごとに多様な才覚を発揮し、多様な生き方を選ぶためであろうか、それぞれの生き方によって守護神とは別の神も、併せて崇めることがある。
そして、その中には善とは言い切れぬ神、はっきり邪神に分類されるような邪悪な神も存在する。
赤毛は、その邪神に選ばれた災いをもたらす子の印であると、古くからの迷信があるということを、オディラギアスは知っていた。
「あなたも御苦労なされておいでなのでしょうが、我らが女帝も大変であったと聞き及んでおります。何せ、父帝から特に嫌われていたそうですからねえ。三女だったこともあり、本来なら、帝位など、夢のまた夢、という立場の方でいらしたのですよ」
ここまで言えば、おわかりでしょう? と言わんばかりに、ミーカルはニンマリした。
「しかし、現実はどうか。あの方は、並み居る政敵、ご兄弟ご親族を押し退けて帝位に就かれた。そして、ニレッティアをかつてとは比べ物にならないくらいに繁栄させておいでだ。つまり、あなただって、あの方のようになる可能性はある訳です」
あなたを馬鹿にはしない、という意味は、そういうことですよ、とミーカルは付け足した。
「……さて。オディラギアス殿下にお話下さるご意思がないのでしたら、レルシェント殿下にお伺いいたしましょうか?」
不意に、ミーカルは立ち止まり、部屋に控えた兵士の一人に鞭を預けたかと思うと、ひょいとその手を、レルシェントの後頭部に伸ばした。
不躾にも、彼女の頭を腹で抱え込むようにして、自らの手を彼女の後頭部に回して、額飾りの鎖を外そうとしているのだ。
「……!! おやめになって!!」
「何をしている!! やめろ!!」
レルシェントが驚きと嫌悪から体をのけぞらせ、オディラギアスが怒鳴った。
途端に、両脇に控えていた兵士が銃口を突きつける。
「まあ、そう騒がずに、ちょっとした確認ですよ」
するりと、ミーカルがレルシェントの額飾りを外した。
額から直接生えている、星層石が露わになる。
「ほう、これはこれは。話には聞いていましたが、本当に生身の肉体から、宝石が直接生えているものなのですねえ」
ミーカルは無造作に手を伸ばして、レルシェントの額の宝珠に触れようとした。
「やめて……!!」
レルシェントが避けようとするのを、しなやかな首の後ろをひっつかんで固定する。
「やめろ!!」
屈辱に顔を歪めるレルシェントを見ていられず、オディラギアスは叫んだ。
銃口を突きつけられたが、構わず叫ぶ。
「良いか、霊宝族にとって、額の石に触れられるというのは、隠しどころをまさぐられるのと同じような意味だそうだ。初対面の異性が行って良いようなことではない!!」
ごりっ、と、オディラギアスの耳に鈍い音が響いた。
側頭部に、ニレッティアの最新鋭の銃器の銃口が押し当てられた音。
その冷たい鋼の感触が、動くな、と無言のうちに威嚇している。
「ああ、その銃は、最新鋭でしてね」
妙に陰湿かつ熱のこもった淫靡な声で、ミーカルは呟いた。
「例え龍震族の纏う力魔法の魔力でも、至近距離なら容易に貫通する威力がありますよ。父王などよりよほど質の良い、その脳みそを散らばらせたくなければ、動かない方がいいですとも、殿下」
そう告げる間にも、ミーカルの右手は、まるで本当に寝床で乳房を愛撫するような淫猥な手つきで、レルシェントの額の宝珠をまさぐっていた。
レルシェントは固く目を閉じ、屈辱に滑らかな肩を震わせたまま、じっと耐えていた。
ここでかっとして魔力で相手を攻撃したりすれば、身の破滅だ――自分が、というより、オディラギアスが。
今まさに自分を辱めている男の考えは推測できる。
彼が欲しいのは「自分たちが遺跡で何を探していたか」の情報であり、恐らく隣国の王子であるはずのオディラギアスの身柄を押さえることではない。
オディラギアスが、身分が下位であろうと、並の鱗の色であれば良かった。
が、白い鱗の彼を人質に、ルゼロス王国に外交上の譲歩を迫っても「そんな奴どうとでもするがいい」という返答が、彼の父王から返ってくる可能性は極めて高い。
つまりニレッティアの目的は霊宝族に関する情報であり、オディラギアスがこの場にいるのは、恐らくレルシェントを脅す手段として、でしかない。
今、「危険」なのは、実際にはオディラギアスなのだ――辱められているレルシェントではなく!!
オディラギアスは憤怒ではらわたが煮えくり返った。
恐らく。
自分の今の警告は逆効果だったのだ。
古文書などに当たる機会があれば、人間族であるミーカルにも、霊宝族にとって額の宝珠は魔力の源であり、魂、アイデンティティに関わる重要なものであるという認識はあるだろう。
そこまでの情報であったなら、額の宝珠に触れるというミーカルの行動は、銃口を突きつけるのと同種の、せいぜい威圧的な行動、ということになったでろう。
しかし、オディラギアスは怒りに駆られて、その行動は霊宝族にとっては性的な意味があると知らしめてしまった。
つまり――
ミーカルが今、レルシェントに行っている行為は、性的な拷問の意味も帯びる。
好意を抱いていた女を、目の前で強姦される男の怒りが、オディラギアスを内側から焼き尽くす。
思わず立ち上がろうとしたその時。
『太守様、落ち着いて下さいませ』
微妙に震えてはいるが、しっかりしたレルシェントの声が響いた――頭の中に。
レルシェントの魔法だろう。
前にふざけて試したことがある。
『挑発に乗ってはいけません。あたくしなら大丈夫』
しかし。
オディラギアスは、屈辱に震えるレルシェントのまつ毛にいてもたってもいられなかった。
『大丈夫です、この宝珠に、実際に傷でも付けられない限り、命に別状はありませんわ。そして、この男に、あたくしの命を奪う意味はありません。恐らくは、逆のことを命じられているはず』
分かってはいる。
理性的に考えれば、そうなのだろう、だが。
レルシェ、レルシェ。
『やることは同じですわ――相手に肝心な情報を渡さないこと。一時の感情で、身の破滅を招いてはなりません、危ないのはむしろ太守様の方ですのよ!!』
その言葉に、オディラギアスはこみ上げる何かを感じた。
レルシェ。
そこまで私のことを。
オディラギアスとレルシェントが、何を交わしているかを把握できないミーカルは、なおも無遠慮にレルシェントの額をまさぐり続けた。
「ほう……これは凄い魔力だ。魔法は中級が一部使える程度ですが、思わず嫉妬してしまいそうな凄まじい魔力ですな……魔法使いの弟子の人間族が、師匠の額の石をえぐり取ったというのも分かろうというもの……」
恐らく。
レルシェントに比べれば微弱と言って良いものの、人間族の平均からすればそれなりの魔力を持つミーカルは、その魔力で彼女の魔力量と性質を探っているのだ。
それが判断できたオディラギアスは、奴が今口にした言葉も、レルシェントを威圧するための方便だろうと理解する。
と、ミーカルが満足した男のように、レルシェントの宝珠から手を離した。
彼女の上体がぐったりしたように椅子の背もたれによりかかる。
優越感に満ちた目で、レルシェントを、そしてオディラギアスを見下ろすミーカルに、オディラギアスは内心呟いた。
下劣漢め。
貴様の思うようにいくほど、我らは甘くはないぞ。