12 風放の湊

「あれっ、何ですかここ!?」

 

 百合子は、その洞窟を覗き込んで頓狂な声を上げる。

 頭上の灯籠が意志あるもののようにすうっと百合子の頭上に移動し、洞窟の中をぼんやり照らす。

 が、それまでもなく、この真夜中にも関わらず、洞窟の向こう側、遠いが、かなり強い光が差している。

 この時間に、まるで真昼の太陽光のような。

 

「えっ……刻窟って、洞窟なんかなかったですよね?」

 

 百合子は目を白黒させている。

 この刻窟市で生まれ育った人間なら、この街のシンボルである、海に面した聖なる岩山「刻窟」のことはよく知っている。

 時期になると、地元の小学生らは、遠足がてら見学に登るし、山頂にある古い神社には、日本中から参拝客がある。

 この岩山に関するもので隠されているものなど――古く神秘的な伝説を除けば――ないのだが、にも関わらず、山の中腹あたりに、今まで見たこともない裂け目のような洞窟が口を開けている。

 

 と、真砂がくすくす笑う。

 

「百合子、『窟(いわや)』ってどういう意味かわかるかな?」

 

 百合子は、いとけなく見える眉を寄せる。

 

「ええと、洞窟とか、岩をくりぬいて住めるようにしたところとか……? でも、それってものの例えであって。時を司る神様が眠っていて、ここに来ると時が止まっているとか……それ……本当のことじゃ……」

 

 口にしている間に、百合子は察してしまう。

 架空の生き物としか思っていなかった人外が実在しているのだ。

 永劫に眠る時の神がいて、何が悪いことがあろうか?

 そもそも、少し前まで平凡な人間でしかなかった百合子が見たものなど、どこまで実像を反映していたか怪しいものだ。

 

「この『刻窟』は、様々な時間が交錯している場所なのだ。無数の世界が重なっていると言って良い」

 

 天名が、静かに説明を始める。

 

「一般の人間の目にも、どこか神秘的なものが感じられたから、こうして聖地として祀られている訳だ。お前のように神器に選ばれた人間や、我らのような人外の目からすると、このように、重なったいずこかの世界への扉が見える訳だな」

 

 百合子はますます目をぱちぱちさせる。

 

「えっと、それって……。じゃあ、言い伝えの、時の神様が眠っている、時が止まった場所もあるっていうことなんですか……?」

 

「あるらしいですよ」

 

 口を挟んで来たのは、冴祥である。

 

「私自身はまだ行ったことはないですが、そこに出向いたことがあるって人になら、会ったことがあります。時が止まった空間があるから、それを軸に様々な世界を周りに配置できる、だからこの刻窟を通じて、色々な世界を行き来できるって理屈らしいですね」

 

「俺さあ、その眠っている時の神様を起こすっていうのが夢だったりするんだよね。強そうじゃん、その人」

 

 暁烏がけろけろ笑う。

 百合子は、その想像のつかなさに頭を振る。

 自分が生まれ育った街に、そんなものがあるとは思いもしなかった。

 すると、こうして接している人外以外にも、異界から沢山の人外がやって来ていたのかも知れない。

 自分も、周囲の一般人も、それに気付かなかっただけなのだ。

 まあ、あの鵜殿に比べれば、単に種族が違う生き物が混じっているくらいは、問題にならないと言えばその通りであるが。

 

「ハイハイ!! 皆さん忘れてませんかー!!」

 

 真砂に抱えられたままのナギが、ニャアニャアと叫ぶ。

 

「私たちの確認すべきことは!! 『神封じの石』の確認ですよー!! 忘れたらダメッ!!」

 

 百合子は、隣の暁烏、そして真砂や天名、冴祥とも顔を見合わせる。

 この、奇妙な常世の神が持ってきた問題。

 この刻窟から繋がる異空間の一つに、それがあるという。

 

「しかし、やはりにわかには信じられん話だな。あの数千年以上は誰にも触れられなかった『神封じの石』を、何者かがどこかに持ち去ったなど」

 

 天名が形の良い顎に触れる。

 

「刻ノ石(ときのいし)の説明はしたよね。主に人の心や自然の息吹なんかが結晶したもの。神器の原料なんだが……その凄いバージョンが、『神封じの石』」

 

 真砂がいつもの解説口調で、百合子に告げる。

 

「何でも、この刻窟で眠っている神様が、古の邪神を『刻ノ石』に変えたって話だったはずだ。やっぱり、フリーズドライ邪神なんて危ないから、よっぽど厳重に封じられていたってことだけど……鵜殿が戻って来たあたりで、それが失われたってのが嫌な感じだ」

 

「でも……鵜殿は、倒しましたよね?」

 

 百合子は、思わず確認する。

 真砂は、かすかに首を横に振る。

 

「と、いうことは、鵜殿が犯人だった場合、『神封じの石』をどこへやったのかが謎になってしまった。我らで見つけるしかない」

 

 と、またナギがニャアニャア叫び出す。

 

「そういうことですっ!! わたしの主は、それを確認して、本当に神封じの石が失われていた場合は、取り返して来いと!! さあ、皆さん、行きますよ!!」

 

 百合子は、意を決して足を前に進める。

 光がどんどん強くなる。

 

「あ……!!」

 

 その光を抜けた時。

 百合子の目の前に、真っ青な眺望が広がっていたのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「さあ、着きましたよ!! ここは風放の湊(かぜはなちのみなと)です!!」

 

 ナギが、真砂の手の中から、頭上の風の中に飛び上がる。

 海からの風を、ナギの海鳥の翼が見事に捉える。

 

 それは、確かに「湊」の光景である。

 出たのは、港町の海に張り出した岩山の一角である。

 眼下に、瑠璃色の海と、古めかしく上品な色合いの街並み。

 そして海には、様々な船が停泊している。

 ちょっとレトロな人間の世界と違うのは、この岩山の途中から、空中に向けて桟橋が突き出しており、そこに、海のものにも劣らぬ数の、様々な空中船が係留されていることだ。

 中には、岩石を削り出して作られた石船などもある。

 それが空中に浮かぶ光景は、初めて人外を見たのと同等くらいには、現実感を破壊する光景だ。

 

「さあ!! 皆さん、この街に『神封じの石』について知っている人がいるはずなので……」

 

 ナギのニャアニャア声は、しかし、いきなり途切れる。

 

 褐色の影が吹き過ぎたように思える。

 

「あ、あれ~~~~~!?」

 

 その褐色の影に横抱きにされたナギが悲鳴を上げる。

 

 まるで古い仏神のような薄着の衣装を纏う褐色の影は、まさに風を踏んで、ナギを抱えて、眼下の街並みに消えて行ったのだった。