12 隠れ家と思惑

「はい……マスター、何か分かったの!?」

 チカゲが霊性事物で造り上げた異空間から元の街に戻ってすぐ、百合子のスマホが着信を伝えた。受け答えからするに、マスターこと花影涼からのようだ。

「……うん、うん……分かった。そんなところに。妙に街中のものを大量に使ってクグツを使ってるから、山の中とかではないと思ったけどさ。ありがとう、すぐ行くね。うん」

 

 通話を終えると、百合子は美しい顔を険しくさせてチカゲと空凪を見た。

「マスターが、荻窪って子のいる場所を突き止めた。市内の……」

 百合子が口にしたのは、市内の一角、大通りに近い割には人気の少ない場所にある、個人病院の廃墟だった。個人病院にしてはそこそこ大きいその場所をチカゲも空凪も知っていたのは、そこが地元の学生の間で心霊スポットとして有名だったからだ。

 廃墟になって十年近くも経っているのに取り壊されない理由は、所有権がもともと経営していた一族と買収合併を仕掛けてきた法人との間で宙ぶらりんになっており、どちらも手出しができない状態になっているから、らしい。裁判になっているとかなんとか聞いたが、その辺りはまだ高校生のチカゲにはいささか難しい話になった。

 そもそも病院が潰れた理由というのが、死亡事故にまで繋がった医療ミスとかで、いい感じに怪談のネタになった。

 かくしてチカゲたちの高校の生徒始め、近隣の若者たちが絶好の肝試しスポットにしていた。が、一昨年それで事故に繋がったことがあったこともあり、チカゲたちの学校では、厳重に肝試し禁止の通達がなされた。違反者は退学もあり得るとかで、恐れをなした生徒たちはパッタリ近付かなくなり、以降、そこがどうなっているかについての情報は途絶えたままだ。

 

「……あそこか。盲点だった」

 空凪が舌打ちする。

「あそこなら街中なのに人目につかないし、それでいて中心部にも出やすい。大きな建設現場も近かったはずだ。それでいて、敷地内はジャングルみたいになってる。……クグツの材料には事欠かなかった訳だ」

「あそこがアジトだってすぐに気付かれないように……街中クグツだらけにしたのかな……」

 クグツが湧きだした時間は、今時点の情報からするに、昨日真夜中。

 チカゲに腕を切り落とされ、そしてそれをほどなく癒して、すぐにクグツを量産し始めたのだろうか。前のあのことからこの騒動の始まりまで、丸一日ほどしか経っていない。

 チカゲが空凪に尋ねたところ、マガツヒになった正太郎は、彼自身の肉体そのものも、すでに人間の基準で推し量ることができないほどになっているという。

『あいつがどんな姿になったか見たろ? 腕一本くらいじゃ、大して弱らせることもできねえんだよ。あそこで引いたのは、あのままお前と戦っていたらヤバイかもっていう判断は働いたからだ。要は、お前の力が未知数だったからな』

 そうこぼす空凪に、百合子が付け加える。

『私は医大に通ってる医者の卵だけどね、マガツヒなんてものになった奴の肉体なんて、並の人間みたいに繊細にできてないのよ。人間だったら、どう治療しても取り返しのつかない大けが、なんてあるけど、マガツヒはどっかなくなったら、魔力で生やすだけなの。要は、不死身の化け物よ』

 とにかく、普通の生き物だっていう概念は捨ててね。まして、人間なんかじゃないのよ。そう念を押され、チカゲはうなずくしかない。

 

「とにかく、行こう。荻窪くんを止めないと」

 それはすでに、「処刑」と同義だと、チカゲは覚悟していた。そして、もう、それ以外の道はないことも。閉ざした原因は正太郎自身だが、実際に手を下すのは自分たちだ。

 この道を避けて通ることはできない。

 何故なら、マガツヒが存在する時点で、それは「終わりのない厄災」を意味するからだ。誰かが、力づくで終わらせなければならない。

 今までの戦いで、チカゲは、嫌というほどそれを学んだ。

 

 わずか数日。

 自分は、とんでもなく遠い場所に来てしまった気がする。

 ほんの少し前まで、祖母の田舎の海岸で拾ったきれいな小石を大事にしている他は、取り立てて変わったところなどない女子高生だったのに。

 

「宇津」

 不意に声をかけられて、チカゲは空凪を振り返った。

「……昔は良かったとか、なんでこんなことになったんだろうとか、後ろ向きなこと考えるなよ。気力が萎える。戦場では、命に関わるぞ」

 俺たちは共鳴者で、普通の人間ではすでにないが、それでも、死ぬ時は死ぬ。

 恐ろしく真剣な目で告げられ、チカゲはドキリとし、次いで頭を振った。

「……ううん、そういうこと考えていたんじゃない。確かにちょっと前までと凄く違ってしまったってことには戸惑うけど、そういう風に考えてた訳じゃないの」

 チカゲは足を止めずそう言い募った。

「大丈夫だよ、空凪。心配なのは分かるけど、チカゲちゃんは君が思ってるほど弱くないと思うよ」

 同じく足を止めず、百合子が助け船を出した。

「そもそも、今回の主力はチカゲちゃんなんだよ? 私らは実力的に、どうあがいてもサポート。全く、先輩風なんて、吹かせたくても吹かせられないんだからね? 君さ、立場分かって言ってる?」

 鋭すぎる百合子のツッコミに、空凪はうぐっと詰まった。

「……実力の問題じゃなくて心構えです。実力はあっても、経験が浅すぎる。普通の人間の感覚が、抜けないようでは困ります」

 荻窪だって、その辺を突いてくる可能性がありますからね、と空凪が言い訳すると、百合子はくすくす笑った。

「ま、そういうことにしておくわ。……ということで、チカゲちゃん、この一件が終わった後で、空凪がデートに誘いたいって言ってるから、頑張ってね」

 

「えっ」

「はっ!?」

 

 チカゲと空凪が同時に奇声を上げ、思わずまじまじと顔を見合わせた。

「えっ……あの……そ、そうなの、一色くん……」

 思わずもじもじするチカゲに、空凪はにわかに目を合わせられず、不自然にあっちを向いたりこっちを向いたりしていた。意味もなく、山高帽の位置を直したりする。

「いっ、いや、そのっ……そういう訳では……ま、まあ、この件が終わったらメシでもおごろうくらいは考えていたけど、デートとかそういう……っ!!」

 クールで研ぎ澄ませた鋼みたいな印象の空凪が急にグダグダになり、顔を赤らめていた。

「……ごはん、おごってくれるんだ……それは、とっても嬉しい、けど……」

 もじもじとチカゲが続けると、相変わらず視線は逸らしたままで、空凪も言葉を継いだ。

「……まあ、今回お前が危ない目に遭ったのは、俺らのせいでもあるし、『いろいろ屋』を代表して俺がねぎらいを……だな……」

 ぽんぽんと、百合子が両手を打ち合わせた。学校の先生みたいな仕草だ。

「はい、デートの約束成立ね? よし、二人とも、これは頑張らないとねえ」

 うんうんと笑う百合子に、空凪が非難の視線を向ける。

「……百合子さん。からかわないでくださいよ!!」

「いいじゃない、こうでもしないと、空凪くんは恥ずかしがって結局お誘いできなかった、なんてことになるわよ? 共鳴者の業界も広いんだから。これからチカゲちゃん、色んな人に会うでしょうけど、その中の誰かに取られないとも限らないのよ?」

 悪びれた様子もない百合子に、空凪は反論をあきらめた。

『ええい。動揺してんじゃない。それどころじゃないでしょう、わたし!!』

 心の中で自分を叱咤しながら、チカゲは仲間と共に、その「廃病院」に向け、足を速めた。

 

「……時間が惜しい。ショートカットするぞ」

「え?」

 チカゲが訊き返す前に、空凪が胸に下げたコンパスに指を当てた。

「ふわっ!?」

 周りの空間がぐらっと揺れたような感覚と共に、チカゲの視界が変わった。

「えっ、ここ……」

 チカゲは周りに空凪と百合子が立っていることを確認すると、目の前にそそり立つその建物を見上げた。

 鬱蒼とした雑草や、どこから種が入ったのか、灌木に覆われた敷地に取り囲まれてうっそりと立ち尽くす、それは、確かにチカゲたち近隣住人の間で「幽霊病院」の通称で知られる廃病院だった。窓こそ破れていないが、ガラスが灰色に煤けているのとそれを通じて内部にガラクタが積み上げてあるのが見えるせいで、実に荒廃した雰囲気が漂っている。

 

「『出発→到着』っていう方向性を、ちょっといじったんだ。こういうこともできる」

 空凪はくいと山高帽のつばを差し上げた。

 チカゲは感心してまじまじと見つめる。

 何だかこそばゆそうに、空凪が横を向いた。

「さて。どこから入るかだけど」

 百合子が、少し離れた正面の鉄門を横合いから眺めた。天気は快晴で街の中心部からさほど離れていないというのに、そこには山奥のような打ち捨てられた雰囲気が横溢している。この事態の前からも、立地の割には雰囲気が陰湿な場所だったが、今回はなお一層ひどい。

「……いま、窓の奥で何か動いた!?」

 チカゲが声を押し殺す。窓辺に立てかけられたガラクタだと思っていたものが動いたのだ。

「……内部は、多分クグツだらけだろうな?」

 チカゲと百合子を促して塀の際に押しやりながら、空凪が独り言のように呟く。

「どっから入るか、ね。うーん」

 百合子が考え込む。

「確か、正面玄関の鍵は誰か壊していて入れるのよね。肝試しに行ったっていう同級生から聞いたけど」

 直されてないならそのままのはず、と言いながら、百合子はそれは危険だと頭の中から排除したようだ。周囲をきょろきょろ見回している。

「……百合子さん、一色くん。どこから入ろうが、下から入ったら同じじゃないかな?」

 押し殺した早口で、チカゲは提案した。

「ねえ、一色くん。そのコンパスで、私たちの体を上に吊り上げられない? 上の、屋上から入れば、荻窪くんの居場所まですぐなんじゃないかな?」

 チカゲの目は四階建ての建物の上、エアコンやボイラーの換気筒が立ち並ぶ屋上に向いていた。恐らく、正太郎は攻められやすい一階にはいないであろうと推測しての提案だ。屋上にいるとも思えないが、チカゲは人づての噂として、この廃病院の四階に院長室があると聞いていた。正太郎が居座るとしたら、そことしか思えない。

 

「そいつでいくか」

 わずかの間逡巡して、空凪はそう判断した。

「それがベストだと思うわ。やれる? 空凪くん」

 百合子が空凪を見据えた。

 空凪がうなずく。

「建物の横に回ろう。クグツにせよ、奴本人にせよ、突入を目撃されない方がいい」

 

 共鳴者たちはうなずき合い、風のように移動した。