「メフィストフェレスから報告が上がりました」
ゼニスは、仕事用のスマホ端末を確認し、上司に報告した。
夜の光に、つややかな雲のような銀髪がきらめく。
その面差しは、ギリシア彫刻の気品をたたえていた。
「ニューヨーク州の神魔による連続殺人の件は、犯人を殲滅完了したそうです。報告書は明日上げると」
「ご苦労。彼らに直帰していいと伝えてくれ」
プリンスが、隣のデスクからうなずきを返す。
彼の背後には、ブラインドを通じてきらめく灯火が見えていた。
彼のコードネームのごとく、そのプラチナブロンドを王冠のように彩る。
意志の強さと経験の深さを示す、ピーコックブルーの目の光。
「了解いたしました」
ゼニスはプリンスの指示にしたがって、スマホの専用メッセージアプリに命令を打ち込んだ。
外はもう暗くなり始めている。
夏に向けて日が長い時期ではあるが、Oracleの業務は時間通りにはいかないことが多い。
最近、ゼニスが秘書として付いた上司のプリンスも、今日のように部下たちの仕事が長引くと定時に帰れない。
それもこれも、予言の蛇デルピュネーであるゼニスの能力に起因していることが大きいのであるが。
少し先の未来を読めるというゼニスの特殊能力は、Oracleの仕事を効率的で効果的なものに進化させたが、同時に仕事量自体は増えた。
当然だ。
「これから起こる神魔絡みの事件」が予知できるのだ。
そうなると、今まで後手に回っていた神魔事件の予防に人手が割けるようになる。
今は、隣接するOracleの隊員たちのオフィスに人影はない。
事件対応のため、ちょうど全員出払っているのだ。
「これで全員任務は終えました。それと、D9の脱皮時期ですが、本日の行った実戦での練度上昇に伴って、二日ほど短縮されたはずです」
「ほう」
プリンスは率直に嬉しそうな顔をした。
人間の対神魔戦の切り札となるD9の脱皮の時期をほぼ正確に予言できたのも、ゼニスの能力のお陰だ。
今までいささかあやふやな要素が拭えなかった最高の対神魔兵器量産の道筋を、はっきり照らしてくれたのがゼニスの能力だった。
D9の脱皮時期に加え、GHたち工兵部隊の対神魔兵器開発にも、その能力で干渉した。
結果、かなり正確に、対神魔兵器開発完了時期が決定できたのだ。
こうなると、話は早い。
今まで及び腰だった対神魔戦の訓練を受けさせる人間の兵士の人数を決定できた。
同時に、その人選にも、ゼニスの予言の能力は発揮された。
現在、実験的に対神魔装備の人間の部隊を西海岸地域に展開できたのも、全てゼニスのお陰といえよう。
彼らは主にライトニングの羽毛を素材に開発された、高電圧の電撃銃を装備し、西海岸で多発していた特定傾向の神魔事件を鎮圧しつつある。
更にD9から採取される素材による装備が投入されれば、理論的には、下手な神魔には太刀打ちできない戦闘能力や索敵能力、諜報能力のある人間の部隊が完成する。
ここまで来ると、人選には慎重を期さねばならないが、ゼニスの予言能力は、その不安要素も大幅に取り除いた。
「ゼニス」
椅子によりかかっていたプリンスが、すいっと立ち上がり、ゼニスの側に立った。
「ボス?」
「君のお陰で、Oracleとその周辺の展望が拓けた。君には、いくら感謝しても足りない」
正直、Oracleには不確定要素が多すぎるという軍内部の批判は、悩みの種だったのだよ。
プリンスはそうこぼした。
どこか疲れた表情をしている。
本当に悩んでいたのだろう。
「だが、君の登場で流れが変わった。D9という切り札があっても、使いどころを間違えれば逆に悲惨な結果を招いてしまいかねなかった。しかし、君の予言は暗闇で包まれた航路に灯台の光を与えてくれた。もう、Oracleに批判的な連中も静かなものだ」
プリンスは。
ゼニスの繊細な手を取って、口元に運んだ。
手の甲にキス。
「……ところで、君の目には、どう見えているのかな。つまり……君と私の未来は」
そう言われて、ゼニスは年甲斐もなく胸が跳ね上がるのを感じた。
見えていた。
知ってはいたが。
「多分、あなたがお望みになる通りになりますわ。そういうおつもりだと『見えた』時には驚いたものですが」
「なんだ。知っているなら、君から言ってくれても良かったんじゃないのかな?」
深い響きの良い声で囁きながら、プリンスはかがみこみ、ゼニスを抱きしめた。
ゼニスは目もくらむ幸福感に包まれる。
これを、望んでいたのだから。
「未来に絶対はないのです」
「だが、そこを歩む者の手によって確定することはできるんだろう? 君を助け出した時にそうしたように。もう一度、同じようにしてくれないか?」
私と一緒に。
そう囁かれた言葉を待って、ゼニスはプリンスの背中に、自らの腕を回した。
気品のある、男性用の高級な香料の匂いがした。