7 アジトの異変

「あの屋敷がそうなの? ハンナヴァルト一家はあそこにいるの?」

 

 九頭龍の姿のままのD9は、ちょっとした木立の間に身を押し込めるようにとぐろを巻きながら、そうつぶやいた。

 

 天頂に近づきつつある月が、湖の水面を金色に光らせる夜である。

 水の涼しい香りが、夜の湿り気と共にOracleメンバーに忍び寄ってくる。

 ようやくたどり着いたヘヴンリーフィールド西側、湖の岸辺には、いくつかの豪奢な屋敷が立ち並んでいる。

 事前情報通りに、東海岸の富裕層のセカンドハウスがいくつかあるのだ。

 登記情報を軍の権限で閲覧できれば、ハンナヴァルト一家が買い上げたセカンドハウスを割り出すのは簡単だった。

 

 数十m離れたところに、窓という窓に煌々と明かりの灯った、ひときわ豪勢な屋敷がある。

 ヨーロッパの城を小ぶりにしたような、白い外壁の二階建ての建物。

 床面積が広く、窓の数からして部屋数もかなり。

 そして、それら一つ一つに明かりが点き、暖かい色合いの光が湖面に反射している。

 どういう訳だか、夜にも関わらずカーテンを閉めようともしていないその建造物は、まるで暗い部屋の中でただ一つ灯されたランプみたいに目立っている。

 

「あれだけ、露骨に『私どもは、夜に起きて活動しています』って主張しているんじゃな。もう、ごまかしようもないだろう」

 

 パズズの正体を現したままのダイモンが、呆れたようにため息をついた。

 

「吸血鬼って何人か知ってるけどさ」

 

 ほのかな金色の燐光に包まれた妖精の姿のムーンベルが、難しい顔で煌々と輝くハンナヴァルト一家の別荘を睨んだ。

 

「どうして彼らって、わざわざ夜目が利くのに明かりを灯したり、目立つと不利になるにも関わらず、豪勢なお屋敷に住んだりするのかしらね?」

 

 吸血鬼は神魔の中でも苦労しがちっていうけど、かなりの割合で自ら招いている災難だったりしない?

 ヨーロッパやアメリカ以外の地域の吸血鬼の事情は詳しくないけど。

 ムーンベルは納得いかない顔でこぼす。

 

「少なくとも、ヨーロッパ地域が起源の吸血鬼にとっては、貴族的で豪勢な生活は、一種のアイデンティティなのだよ」

 

 軍帽のずれを直しながら、プリンスがそう解説する。

 

「彼らは富裕、かつ美しい人間を選んで仲間に加えるからな。そうなると彼らは、人間だった頃の生活レベルの維持のため、また自分が吸血鬼に選ばれるべき高貴な存在だったということを示し続けるために、元からの貴族的生活を維持する。中には貧しい状態から吸血鬼の仲間として見出されて『教育』を受ける者もいるが、そうすると彼らは元よりの貴族階級以上に貴族的な生活に執着する」

 

 かくして、神魔の中でも特異な、こうした階層が出現するという訳だ。

 自らも人間としては貴族階級の出身であったプリンスは、なんてこともなさそうにそう解説を加えた。

 

「虚栄だ。吸血鬼という連中は、その点でも断罪されなければならない!!」

 

 心底からの軽蔑を込めて、白く輝く翼のマカライトが吐き捨てた。

 天使である彼からすると、堕落した快楽に溺れ、更にはそれを遂行しやすくするために高い生活レベルを何がなんでも維持せんとする吸血鬼は、神の勧める清貧の生活から最も遠いということらしい。

 七つの大罪で言うなら「強欲」と「高慢」の罪、という訳だ。

 

「まあ、あんたの基準を満たすほど清貧に徹しろっていうのは、無茶だと思うけど。むしろ、今は金持ちがそれ相応の生活をしてくれた方が、経済は回るからありがたいってのが常識よ」

 

 やれやれとため息と共に、ナイトウィングがいさめた。

 じろり、とマカライトに睨まれても動じない。

 

「……だけど、それはまっとうな手段で稼いでまっとうなことに使う場合に限られるわ。アングラな手段で稼いで、更にアングラな経済に使う方が大きいんじゃ、普通の人間や神魔にとっての脅威が大きくなるだけ」

 

 と、彼女はかすかな夜風に耳をすませた。

 

「……ねえ。やっぱり、あの屋敷、ハンナヴァルトの因業一家だけじゃなくて、誰か囲われているんじゃない? 今、悲鳴が聞こえた気がしたわ」

 

 魔女であるナイトウィングに「聞こえた」ということは、物理的な音声のみに限られた話ではない。

 超常的な魔女の感覚に引っかかったということだ。

 

「すると、あたしがこのまま上空から雷を落としてあの屋敷を丸ごと焼き尽くすとかは無理だな……。この程度は読んでいて、盾になる人質を囲ってるってことか」

 

 先ほどから厳しい顔つきのライトニングは、ますます苦々しく顔をゆがめた。

 

「……正確なところを偵察してみましょう。私には仙術がありますから、安全に偵察できますよ」

 

 ヴォイドが、仙女の服の袖から、コウモリの形に切り抜いた紙を引っ張り出した。

 

「疾(チ)ッ!!」

 

 一声かけて息を吹きかけると、それは瞬時に生命を吹き込まれ、どうこから見ても本物のコウモリになった。

 ひらひらとハンナヴァルト一家のセカンドハウスのほうに漂っていく。

 

「……煌々と明かりは点いていますが。ふむ、内部に人の気配は……おや」

 

 紙のコウモリと感覚を共有しているのだろうヴォイドの言葉に、全員が注目した。

 

「なんでしょう。一階の一室に、若い女の子がいますね。椅子に座って人形みたいに動かない。顔立ちや年の頃からして、エルフリーデではないですね。高校生くらいに見えます」

 

 金髪ではありますが、ショートヘアの現代風美人です。

 その言葉に、Oracleの面々が顔を見合わせた。

 

「やはりサーヴァントにされた女の子が囚われているのか」

 

 ダイモンが疑問を差しはさんだ。

 

「サーヴァントなのか……おや」

 

 ヴォイドが何かに気付いたように、虚空を見上げて瞬きした。

 

「二階の窓から、男性が顔を出したんですが……こちらも……ファビアンではないようです。誰なんだろう?」

 

 その言葉に、怪訝そうな雰囲気が、Oracleの面々の間を支配した。