37 真相とまぼろし大師

「トレヴァーを精密に検査したところ、かなり深刻な術にかけられていたことがわかりました」

 

 客用の会合室で、その秘書官の女性妖精が告げる。

 

 妖精王の城の一室、いくつも並んだ客間のある南東側の一角。

 窓の外に海のきらめきの見えるその部屋には大きな円卓が置かれ、百合子たち一行が着座している。

 応対するは、妖精女王ティターニアの秘書官の一人、「金色の波」ローナ。

 二つ名の通り、夕日に映える金色の波のようにきらきら光る、蜻蛉の翅を持っている。

 

 その会合室には、ローナにトレヴァーの取り調べの結果の報告を受ける一行と、三人ほどの使用人が控えている。

 

 まだ、朝食を済ませてさほどの時間が経っていない頃。

 昨夜のうちに準備されたのであろう説明を、彼らは受けている。

 

「トレヴァーには、付け込まれる事情がありました。彼は、見た目によらずかなり古い妖精なのですが、我ら妖精が人間界から引き上げる時、身内を失っていましてね」

 

 ローナは、溜息をつく。

 

「人間と妖精の軋轢の中で、その当時の妻子を失っています。そもそも、その時点での彼の妻というのは人間だったそうで」

 

 ふと。

 百合子は、その表現が引っ掛かる。

 

「あの、その当時の、ということは、今は……」

 

「ええ。我らが妖精郷に居を定めてから数百年ほどして、同じような境遇だった現在の妻に出会って、再婚しています。彼女と彼女との間の二人の子供は、ここから南の、トレヴァーの領地に元気でおりますよ」

 

 気の毒なその妻という人物は、昨日のうちに王都に呼びつけられていますが。

 様子がおかしいと思ってはいたが、まさかそんなことだとはと、彼女も仰天して、必死に夫の命乞いを。

 

 ふむ、と鼻を鳴らしたのは天名。

 

「その、現在の妻という人物も、復讐に燃えていたという訳ではないのだな? あなたの口振りから察するに、彼女は何も知らなかったように聞こえるが」

 

「はい。何せ、もう数千年の昔の話です」

 

 ローナは指を組み、妖精らしい端正な顔立ちに、渋い表情を浮かべる。

 

「妖精と人間に復讐しようだなんて考えたことも、彼女はなく……夫ともそういう話はしたことがなかったと。ただ、ここ二年あまり、夫の仕事が忙しく領地に帰ることが少なくなり、たまに帰っても少し様子がおかしいと思うことがあったと」

 

 と、真砂が目の前の紅茶をすすりながら推理する。

 

「二年前。その頃に、誰かにそそのかされて、術をかけられたということだね? 本来ほとんど忘れていたような精神的な傷を無理やり暴き、復讐心を掻き立てるような、精神操作系の術を」

 

 数千年を経た妖精を丸め込むのだから、術者は相当なバケモノだぞ。

 真砂は唸る。

 ローナがうなずく。

 

「はい。そいつは『あやかし』と名乗っていたそうです。日本の修験者の姿の人外で。妖精郷の外へ出た時に知り合い、珍しい品を提示されるうちに、妙に親しみを抱くようになってしまったと。その頃から、忘れていた昔のことをやけに思い出すようになり……」

 

 いつの間にか術にかけられていたという訳か、と真砂が唸る。

 

「あやかし、そして、修験者、要するに山伏の姿。聞いたことがありますよ。災難でしたね、トレヴァーさん。あいつはやばい」

 

 目の前のナギを撫でながら、冴祥がそう口にする。

 

「『まぼろし大師』の配下の一人ですよ。あの『高月城下』の世界からやってきたバケモノの術、しかも恐らく『神封じの石』を使った神器の力を借りている術では、古い妖精もひとたまりもないはずです」

 

 全員が一斉に冴祥を振り向く。

 

「背後にいる者をご存知だというのですか? その『まぼろし大師』とはどういう人外です?」

 

 ローナが鋭い目で問い詰める。

 冴祥は、重い溜息を落としてうなずく。

 

「正直、あんまり関わりたくない人外ですね。『高月城下』という世界を主宰しています。というより、奴は幻を実体化する力を持っていて、奴の幻を実体化させたのが、その『高月城下』という世界だと言われているのですよ」

 

 と、天名が首を振る。

 

「あいつか。最近大人しいものだとばかり思っていたが」

 

「前にうちに来た時に冴祥が話していたヤバイ客って、もしかしてまぼろし大師のことか?」

 

 真砂が水を向けると、冴祥は更に大きくため息をつく。

 

「そうです。惨殺した人間の魂3000なんていう注文を受けた時は、流石に断りましたよ。目を付けられる訳にもいかず、穏便に距離を置いている感じですが、私程度の理性も働かない人外は少なくないのでね」

 

 今まで黙って聞いていたグレイディが、冴祥に目を据える。

 

「……すると、そのまぼろし大師という奴が、『神封じの石』を持っているという訳か……?」

 

「その可能性は大ですね。というか、『神封じの石』を持ち去ってそれなりの期間隠しおおせるとしたら、奴以外に考えられない」

 

 百合子は、ごくりと生唾を飲み込む。

 

「そいつのいる、その高月城下ってところに行って、『神封じの石』を奪い返さないといけない?」

 

 一行の間に緊張が走り、アンディが思わず声を上げる。

 

「ちょっと待て、そんなことして大丈夫なのか? 敵の本拠地に?」

 

「あー、でも、そうする以外にないと思うんだよなあ。あの殿様、結局あの世界から出たって話聞かないし」

 

 暁烏がはあああと、盛大な溜息を落とす。

 

「あの世界自体が、あの殿様の頭の中みたいなモンだからさあ。引きずり出すって訳にもいかねえのよ」

 

 ナギが、ニャアと鳴く。

 

「あっ、ようやく黒幕がわかりましたね!! でも、これヤバくないですか? ワタクシ、無事常世の国に帰れるんでしょうかね? 全然上手く行く気がしないんですがそれは」

 

 冴祥に撫でられても、ナギの不安そうなニャアニャア鳴きは止まらない。

 真砂が、ローナを改めて見据える。

 

「とにかく……トレヴァー氏は、完全に事故みたいなものだ。あまり、重い罰を課さないようにと、女王陛下と国王陛下にお伝えいただけないですかね?」

 

「……わかりました。後から、陛下から色々伺うことがあるかと思いますが……それまでもう少しご滞在ください」

 

 ローナが席を立ち、一行は改めて顔を見合わせたのだった。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

「あれ、冴祥さん?」

 

 百合子が割り当てられている部屋の扉を開けると、そこには見慣れた狩衣の人外の姿がある。

 いつものようにナギを抱いて、背後に暁烏を従えている。

 

「どうしたんですか?」

 

「すみません」

 

 いきなり。

 目の前の自分が鏡に映ったものだという認識を、百合子が抱く前に。

 彼女の意識は、闇に呑まれたのだった。