9-8 女帝様と空飛ぶ船

「おおお……何たることだ……!!」

 

 ニレッティア帝国皇太子、ラーファシュルズは、目の前どころか周囲を飛び去って行く風景に驚嘆の声を上げた。

 

 そこは、ルゼロス王国所有の空中戦艦「シェイムーン」の一室。

 高貴な客人を迎える「貴賓室」であった。

 

 このメイダルの魔導科学技術の粋を尽くした空中戦艦は、魔法王国メイダルと龍の王国ルゼロスの国交樹立記念として、メイダルからルゼロスに贈られた船だ。

 主に国王の御座船として設計されており、軍務にはもちろんのこと、この度のように異国の元首を迎えに行くなど、貴賓の送迎などにも使える壮麗な造形美の船である。

 

 その船室、殊に貴賓室には、様々な魔導的仕掛けが施されていた。

 その中の一つが、これ。

 壁と床、そして天井の空間を歪めた上で、船の外の光景を投影し、さながら部屋にいながらにして、直接空を飛んでいるような体験を提供する。

 事前に魔導的な理屈は平易に説明され、実際に空に放り出される訳ではないと納得はさせられていたが、何せ空を飛ぶものなど飛行船くらいしか知らないニレッティア組には、あまりにも衝撃的すぎる体験だった。

 

「おおお!! 素晴らしいぞえ、なんという魔法の力!! ニレッティアでは見たこともないわ!!」

 

 アンネリーゼは魔導の力で周囲に投影された、現実そのままの光景に歓声を上げた。

 床まで下方の風景が投影されているので、リアルな飛翔感と同時に落下するのではないかという、下腹部の冷えるスリルが味わえる。

 アンネリーゼは恐ろしいより面白くて、少女に戻った頃のように笑った。

 こんな体験をしながら、目の前には高品質の大テーブルが置かれ、ルゼルス西山岳部で栽培された美味い紅茶が供されている。

 

 なんたる贅沢、なんたる遊び心。

 メイダルの文化の高さが、そのままルゼロスに流れ込んでいるのだ。

 

 女帝アンネリーゼは、そのことに、彼女の思い描く未来のビジョンの確信を持った。

 一見、正反対の文化傾向のルゼロスで、これだけスムーズにメイダルの文化文明が受容されているのだ。

 ニレッティアなら、どれほどの花が開くであろう。

 ただとは言わない。

 取引材料なら持っている。

 

「あのっ、この魔導機械の魔導原理についてお伺いしたいのですが……!!」

 

 艶やかな茶色の髪に宝石の飾り紐を巻き込んだ若い女性が、ここから見ると空の一角に控えているように見える、煌く輝きに包まれた見慣れぬ種族の女性に詰め寄っていた。

 

 額に鮮やかなオレンジトルマリンを戴き、金色にきらきら光るトンボ翅を、後光のように12枚備えたその女性は、霊宝族と妖精族の混血種族、聖霊族(せいれいぞく)。

 意外にもというべきか、ルゼロス王宮に仕える武官の一人でもある彼女は、この船の副艦長でもあった。

 軍人という立場とは裏腹に、まるでバレリーナのような華麗な出で立ちだが、魔力は本物だ。

 そして、知識も、経験もであろう。

 若く見えるのは見た目だけかも知れない。

 

「申し訳ございません、ニレッティア帝国宮廷魔術師長カーダレナ様」

 

 本当に心底申し訳なさそうにその聖霊族の女性は頬に手を当てた。

 

「お教え申し上げたいのですが、軍事機密に当たる部分もございますので……」

 

「そっ、そんな……ねっ!? ちょっとだけ!! ちょっとだけだからさァ……」

 

 情けない不審者みたいにすり寄っていく、宮廷魔術師礼装の愛嬌ある美人は、逆にいかがわしさが炸裂している。

 すり寄られている聖霊族女性ばかりか、周囲のニレッティア組も失笑を洩らした。

 

「誠に申し訳ありません。お話しすれば、私は首が飛ぶどころではありませんので……」

 

 そう言われては、魔法となると見境ないと言われる宮廷魔術師長カーダレナも引き下がるしかない。

 彼女は、魔法に関する知識の助言のため、アンネリーゼに同行を命じられた彼女の「親衛隊」の一人だ。

 大きなトルコ石の色の瞳に知識の炎が燃え滾ろうと、アンネリーゼの利益に反することはできない。

 決して、しない。

 

「まあ、落ち着くんだ、魔術師長」

 

 母女帝の向かいに座っている皇太子ラーファシュルズが、穏やかに声をかけた。

 

「いくらあなたが優れた魔術師とはいえ、メイダルの魔導知識の水準に追いつく訳がない。万が一パレルリートルジュ副艦長がつぶさに説明して下さったとしても、大部分理解できないと思うよ」

 

 穏やかに、だがきっぱりと断言され、カーダレナはがっくり肩を落とした。

 胸から下がる魔術師長の地位を示すメダルが空しく揺れる。

 パレルリートルジュと呼ばれた聖霊族副艦長が、申し訳なさそうに笑う。

 

「落ち着いてお茶でも召し上がれ、カーダレナ様」

 

 するりと近付いた、アンネリーゼ付きの侍女にして「親衛隊長」、古典美人シャイリーンが、慣れた様子で彼女の肩に手をかけ、椅子まで連れて行った。

 宮廷魔術師のローブを引きずるように、彼女が従う。

 

「申し訳ございません、パレルリートルジュ副艦長」

 

 凛とした声で詫びたのは、先ごろ新しく情報局長官となったアンネリーゼの長女、ウェルディネア。

 

「我らのような者にとっては、メイダル由来の文物と申しますと、なんでも珍しいのです。あなた方からすると田舎者丸出しでしょうが、専門分野ともなると、やはり自制がきかなくなってしまいそうです」

 

 やや男性的なさばさばした口調で、ウェルディネアはパレルリートルジュ副艦長に説明する。

 ここは母に似て、何だか問答無用に人を信じさせてしまう魔力めいたものがある。

 

「わたくしから申しあげられるのは、我が王オディラギアスにせよ、我が故郷メイダル中枢の方々にせよ、あなた様方ニレッティア帝国を無視するつもりは全くないということです」

 

 夕映えを閉じ込めた目を柔らかく細めて、パレルリートルジュはそう口にした。

 金の鈴を鳴らすような声だ。

 

「アンネリーゼ陛下からの直々の来訪の願いは、我がオディラギアス王にしても渡りに船だったのです。そのことは、何卒お忘れなきよう」

 

 その答えに、アンネリーゼはにっこりと美しく笑った。

 会心の笑みだった。