「やああああぁぁぁぁあああああぁぁぁあーーーーーー!!!」
百合子は派手な悲鳴を上げ、間一髪、床から空中に飛び上がるのに成功する。
真砂にもらった雲の羽衣は、素晴らしい性能を発揮し主人を護る。
その「モノ」が現れた途端、奴が触れていた床が、一面に軟体動物の海となる。
古びたB級ホラーよろしく、蠢く軟体動物が、三人ともに飲み込もうとする。
「おおう……ははあ、なるほど、こういう仕組みか」
こちらも素早く空中に逃れていた真砂が、大仰に生理的嫌悪をそそるその光景を見下ろしている。
「ふむ。この人質たちは、人質であると同時に、このモノのエネルギー源だということだな」
当たり前のような優雅さで、真紅の翼でホバリングしている天名が、早々にその仕組みを言い当てる。
「……天名さん? それってどういう?」
地獄から免れた安堵感で、どうにか正気を取り戻した百合子が、天名を振り向く。
「邪神の力の影響で、ここに閉じ込められている人間たちは、悪夢を見せられている」
天名は、淡々と解説を始める。
ゆっくり扇を動かし、いつでも攻撃できる様子。
「その悪夢が実体化したのが、このモノだということだ。あの妙な機械は、悪夢を実体化させるための、邪神の力を使った装置だろう」
その瞬間、百合子の脳裏に何かが閃く。
「じゃあ!! あの機械を壊せば、こいつも消えるんじゃないですか!?」
彼女の視線は、半ば軟体動物で埋もれたように見える、医療機械じみた、あの装置に注がれる。
何故か悪夢の軟体動物に埋もれても、変質していないところから、百合子は自分の推測が正しいのではないかと確信する。
「あの装置、壊しますからね!!」
百合子は、傾空をその装置に投げつける。
その瞬間に、軟体動物の群れがぐちゃりと盛り上がり、壁を作る。
傾空は軟体動物の群れを蹴散らすが、中身の装置は完全に埋もれてしまって見えない。
まず、無傷であろう。
「おっと、まずいまずい!!」
真砂が、機械部品を軋ませて百合子に向かうモノの前に、雲の壁を創り出す。
ずるずると軟体動物が雲に食い込むが、触れた傍から無に帰している。
一瞬で微粒子に転換されたように薄れ、次の瞬間消える。
「ふむ、このわしらに向かって無駄なことを」
天名が、間欠泉のように吹き上げられた軟体動物の群れを、扇が引き起こした高温の衝撃波で、一瞬で灰に帰す。
核兵器の爆風のようなその衝撃波は、床に積まれた軟体動物を蒸発させ、モノそのものを瞬きの間に燃え尽きさせる。
「わ……ああ、ありがとうございます……!!」
百合子はたまたま雲に隠れてまだ軟体動物がたかったままだった装置に向き直る。
どうすればいいだろう。
傾空では無理か。
天名や真砂に託すべきか。
「百合子、傾空はただの刃物じゃない。邪神をも浄化させることができる、聖なる刃なんだ」
真砂が叫ぶ。
「傾空でその装置を消せ。消しゴムをかけるみたいに。うにょうにょも飛んでいくはずだ」
百合子は、何かが頭の中で閃くのを感じる。
突如、傾空の新しい「使い方」を学習したように思える。
その知識がどこから来たのかは全くわからないのだが、何故か百合子には「わかった」。
「行け!!」
百合子は、結果の絵をくっきり頭に思い描きながら、傾空をその装置に投げつける。
二振り同時に。
二振りの傾空は、互いに円舞を踊るように互いを旋回しながら、その邪神装置を情け容赦なく削っていく。
食品工場の野菜の皮むきよろしく、円舞する傾空に、邪神装置は表の軟体動物の層も、外殻たるプラスチック状のものでできた立方体も、直後に中身の機械部品もダイヤモンドより硬い刃で切り刻む。
ほんの瞬きが一つ二つ。
まるで最後の抵抗のように灯った下部のランプも消し飛ばし。
ささくれた床に、邪神装置だった残骸を残して、その悪夢の装置は完全に駆動を停止したのだ。
◇ ◆ ◇
「ああ……この人、高校の同級生です。市長さんも、この人ですね。職員の人たちで、間違いないと思います」
百合子は、傾空で、カプセルホテルの個室の扉の鍵を破壊しこじ開けたのだ。
中には、案の定、百合子の顔見知りも含む市職員が二十数名、閉じ込められていたのである。
彼らを個室の外に引っ張り出し、でこぼこしてしまった床に横たえる。
三人がかりで、怪我をさせないように慎重に寝かせて、天名があの不思議な扇で仰ぐと、全員が目を覚ます。
市庁舎も危険なので、しばらく安全な場所に避難させる、大人しくしていてくれと百合子から申し伝え、天名が再び扇で彼らを扇ぐと、彼らの姿が、乱れ飛ぶ真紅の羽毛に覆われる。
一瞬の後、彼ら二十数名の姿は、この空間から忽然と消えている。
天名から、話を通してある、手近な天狗の里に瞬間転移させたのだと教えられても、百合子には信じがたい思いがしたものだ。
「さて、人質はこれで何とかなったけど、先は長いんじゃないかなあ」
真砂が、部屋のドアから表のめまいがするような空間を仰ぎ見て嘆息する。
「本星って、どこにいるんだろうねえ? 一番上の階かも知れないが、これ、ここから見た通りの階層が『一番上』かなあ?」
百合子は、真砂、天名に続いて部屋の外へ出る。
ところどころに灯りの灯った底知れない空間に、相変わらず野放図に階段とフロアやドアが点々と。
と。
「百合子さーーーん!! 真砂さん、天名さん!! そこにおられますかあ!!」
見覚えのある海鳥の翼が、ぱたぱたと三人の元に舞い降りて来る。
「ナギちゃん!?」
百合子は飛び込んで来たナギを、はしっと腕で受け止める。
「あ、皆さん、おられた!! よかった!!」
ナギのすぐ後から、見覚えのある狩衣の煌めく人外、冴祥が舞い降りてくる。
彼を護るように、太刀を帯びた付喪神、暁烏が宙を踏んで降りてくる。
「冴祥、市内はどうなったのだ!?」
天名が、鋭く突っ込む。
「大体片づけましたよ。あの鵜殿くんまでいたのには驚きましたが」
冴祥は軽く笑う。
衣服もそんなに焦げてもほつれてもいないところから、楽勝だったのだろうとわかる。
「市役所に行こうとしてもたどり着けない人がいたって聞いてさ。これは手助けに行った方がって」
暁烏は、ひらひら手を振る。
「変な部屋を見つけましたよー!! でも、何だか入れなくて!! で、お三方を探してたんですよ!! ナギちゃん賢い!!」
ナギのニャアニャア声に、百合子も天名も真砂も、顔を見合わせたのだった。