「ひっ……ひやぁぁああああぁぁぁっ!!!」
百合子は心の奥底に眠っていた、生々しい傷を、不意に開かれる。
我知らず絶叫が口から飛び出している。
戦うどころではない。
百合子は頭を抱えて屈み込む。
「なるほど、精神攻撃で来たかぁ」
真砂の、のんびりした声が聞こえて、何だか雰囲気が変わる。
百合子はしまったと思い直し、顔を上げる。
そこには、市庁舎の古びて煤けた廊下以外、何もない。
「え? あれ……」
「今のでわかった。あれは、百合子の弟の霊魂体の、コピーだ」
真砂の反対側で、天名が淡々と分析する。
百合子は思わず彼女を振り向く。
どういうことだろう。
「コピー……」
「正確に言えば、魂そのもののコピーではないな。残留思念というやつ、空間に焼き付いた恐怖や苦痛の感情をコピーしてどこかに保存していたのだ。おかしいと思った、あの子供の魂は、確かに曾祖母に頼んで常世の国へ送ったというのに」
ところどころいまいち理解できない百合子であったが、あの亡霊が「本物の」弟の春希本人ではないことは理解できる。
あれは、弟の影でしかないらしい。
「……弟じゃないんですね? 弟は成仏しているんですね?」
百合子は思わず確認する。
天名はきっぱりうなずく。
「安心しろ。成仏という言葉が適当かはともかく、お前の弟の魂そのものは、とっくの昔に安全な場所で安らいでいる。邪教徒ごときには手出しできん。あれは当時の写真を悪用しているようなものだ」
そこまで噛み砕いて説明され、百合子は大きく安堵の吐息を洩らす。
「ありがとうございます……よかった」
百合子は、じわっと滲んだ涙を拭う。
この件が片付いたら、弟の墓参りでもしようと内心で誓う。
そうだ。
この件を完全に終わらせねばならない。
自分たちの手で。
「……多分、鵜殿はじめ邪教徒の手にかかった人間の残留思念のコピーは取ってあるんだな。何かの時に使えると。今は奴らにとって『何かの時』なのさ」
真砂が軽い口調で付け加える。
ふと。
百合子は嫌なことに思い至る。
「残留思念のコピーを取ってある……それって、犠牲者だけなんですかね? 滅ぼされた邪教徒っていう連中自身をコピーはしてないですよね?」
思い出してしまったあの事件を、百合子は反芻する。
鵜殿が大暴れしていた時。
人間だったはずの奴は、何人にも分裂して街に攻撃を仕掛けて来た。
あの時もどういうことだと不気味に思っていたが、今ならある程度見当がつく。
鵜殿は「コピー」されていたのだ。
兵隊になるような邪教徒は、もしかしてコピーされて、本体が倒された後も「再利用」されるのではなかろうか?
真砂と天名が、不穏な顔を見合わせているのが、百合子の不安をそそる。
不吉な想像は、考えすぎという訳でもないらしい。
「そうそう、あの鵜殿ね。あいつら、何体くらいコピーされてたんだろうな?」
あの時は、被害が収まったからこれで終わりと思ってしまったけど、あの鵜殿くんが16号くらいまでいたらどうなるんだ?
真砂は、全く笑えない推測を、殊更おちゃらけた口調で投げ込む。
百合子は、思わず手の中の傾空をぎゅっと掴む。
「どこかに保管されていたとしたら、それにアクセスできる権限のある邪教徒がいるかが問題だが……あのあやかし山伏、かなりの権限を与えられて活動していたはずだな」
そもそも、あやつ自身もコピーされているのではないか。
街中で暴れているのは、あやつのコピーだろう。
天名が、恐ろしい推理を披露する。
と。
「あれ……エレベーター……?」
百合子は、チン、という、エレベーターの稼働を知らせる音に、思わずすぐ脇のエレベーターホールを振り返る。
今の今まで、最上階の五階で停止していたエレベーターが、次第に階を降りてくる表示がなされている。
四階を瞬時に通り過ぎ、三階、二階。
「まずい。エレベーターホールから離れろ」
天名が号令し、彼女ら三人は、エレベーターホールの前から退避。
玄関ホールに戻る。
「ああ、もしかして聞いて……」
真砂が口にした途端。
大音声と共に、玄関ホールに爆風じみた衝撃が吹き荒れたのだった。
◇ ◆ ◇
「久しぶりだねって、言うべきだったのかな?」
玄関ホールに、正面玄関から入り込んで来た影。
それは、あの忍者じみた、鵜殿の姿をしている。
玄関ホールは、もはや爆撃に遭ったかのようにがれきに覆われている。
鵜殿は、その剣風を巻き起こした太刀を手にして、ゆっくり内部に入り込み。
視界の端に何か動くものが見えたのと、視界がおかしくなるのは同時だ。
鵜殿は、自分の視界が、急に低くなったことを訝しむ。
まるで、急に背が低くなったように。
視界が更に縦二つに分かれるに至って、鵜殿は自分がどうなっているのかようやく認識する。
「そら、消えろゴキブリめ!!」
天名が、飛来した傾空で縦横四つ、もっと切り刻まれた鵜殿の残骸に向かって灼熱の衝撃波を放つ。
一瞬で、鵜殿のコピーだったものは蒸発する。
正面玄関から火竜の吐息のように、天名の衝撃波が夜に放たれる。
「ふう……多分、この上から降りて来たんだな」
真砂がふわりと玄関から顔を出し、市庁舎の建物を見上げる。
玄関の庇の脇から見上げる市庁舎は、何事もなく煌々と照明を灯しているのみ。
「やはり上階にあやかし山伏や、恐らくあと何体か鵜殿がいるのだろうな」
天名は、恐ろしい破壊を引き起こした扇で、今度は優雅に白い顔を扇ぐ。
「エレベーターに乗れば上に……でも、まずいですよね」
待ち伏せされるかも知れないし。
そもそも、あのエレベーター、ちゃんと上の階に繋がっているんでしょうか?
百合子は、懸念を吐き出す。
「階段を探すしかないねえ。外を飛んでもいいんだけどさ、途中に職員の人たちがいるかも知れない」
真砂が、鵜殿の衝撃を受け止めた雲を縮めて纏い直しながら、寂しげな廊下を指したのだった。