零 剣閃

 血の雨が降った。

 

 河原の撫子に白茶けた丸石に、音を立てて降り注いだ血が水の匂いを押し流す。

 肉くれが倒れて手から離れた刀が硬い音と共に転がった。

 血と内臓を溢れさせて絶命した浪士の前で、ひゅん、と銀光が走った。

 

「さあ。これでお前一人だ。まだやるのか?」

 

 一振りで血の汚れを払った長刀の向こうから、涼やかな声がした。

 森の奥の湧水のようにひんやりした声は、そんな時なのに、遊びを誘う子供のように屈託ない。

 

 ――馬鹿な。

 

 浪士はどうにか刀を保持し続けた。

 目の前にいる若武者の手にあるのは、実に七尺あまりの非常識な刀だった。

 粋がって身長程の刀を喧嘩で振り回す荒くれ者など見飽きたが、この刀は非常識過ぎる。

 更に恐ろしいことには、持ち上げるのさえ一苦労になりそうなこの刀を、若武者は神速で振り回すのだ。

 そう、目にも止まらぬ速度で。

 

 彼の視界は朱に染まっていた。

 一応は徒党を組んでいた仲間だった三人は、今や三つの屍に過ぎない。いずれも胴を逆袈裟に斬り上げられ、体の中身をぶちまけて死んでいる。

 ほんのわずかの間に、若武者がやってのけたのだとは、目の前で見せ付けられても尚信じ難い。

 相応の手練れを集めた一団を、その若武者は赤子の手を捻るより容易く葬っていった。

 講談でもこうはいかないという鮮やかさで、若武者の長刀の一振りごとに、さくりと仲間は倒されていったのだ。

 

「どうしたんだ? 来ないのか? まあ、来ないだろうな。逃げても構わんよ、そしてお前らを雇った奴に言え――俺ごときの手には負えない、とな?」

 

 若武者が、真っ白いかんばせを歪めて、恐ろしく美しく笑う。

 一本に結い上げて粋な組紐で飾った黒髪に映えるその顔こそは、まさに高貴な白い花だった。お目にかかったこともない程整っている。出で立ちは若衆のそれだが、その顔は……

 

「やっぱりだよ。あの子、若衆じゃなくて女の子だよ」

 

 見物人の中から声が上がった。

 粗末な橋の橋桁が折れるのではないかと思われる数の見物人たちの上げる喧騒が、更に大きくなった。

 

「女ぁ? 俺はあいつが人だってことも信じられねぇぞ? モノなんじゃねぇのかあの腕っぷし」

 

「おい、多分、最後の男も殺されるぞ! 誰か同心……」

 

「とっくに呼びに行ったってよ、定次が」

 

 俺は殺される。

 殺されると名指しされていて、その野次馬の予想は多分、当たっている。

 彼は尚も刀を構えたまま。頭は目まぐるしく回転している。

 このまま一褸の望みをかけて戦うか、それとも帰って仕置きされるか。

 激しく自らを揺すぶって、出た答えは。

 

「おいおい、まだやるのか? お前らを雇っている奴というのは、余程質が悪いのだな。まあ、いい」

 

 若武者姿の女が、下段に長刀を構えたまま、じり、と歩を進めた。

 恐ろしい程美しい顔には無邪気とさえ言える笑みが浮かんでいる。

 勝機はある。

 あの長刀を押さえるのだ。

 下段に構えるのを足で踏みつけ、ひるんだところで―― 

 

 刹那、世界がひっくり返った。

 

 ぐるんと見上げた青い空と噴き上がる自らの血飛沫が、最期に彼が目にしたものだった。