53 悪夢の産物

「えっ……!! これって!?」

 

 百合子は目を白黒させる。

 その異様な「何か」は、生物と非生物の狭間の見た目を剥き出しに、じわじわと百合子たちの方へにじり寄って来る。

 

 何の機械部品かわからない、おかしなガラクタを無造作に積み上げたような金属部分は、時折小さなランプが明滅したり、歯車が何故か噛み合っていて、その化け物が動くたびにギシギシ回転したり。

 無数の部品を連結しているとしか思えないのが、赤黒い蛭か大きなイトミミズのような軟体部分であったが、ぬめぬめとしたそれらの、ところどころにある突端部分に、ぼうっと鬼火が灯る。

 

「えっ……これも、邪神の眷属……?」

 

 百合子は青ざめる。

 いい加減人ならざるものは見慣れたはずであったが、それでもこいつの生理的な部分に突っ込んで来る嫌悪感は甚大である。

 強烈な違和感を感じさせ、こいつが存在することが非常に不埒に思える。

 こういうのを、「冒涜的」というのだろうか、と現代っ子百合子は頭のどこかでぼんやり考える。

 

「妙な奴が出たな。人外ではない、邪神に作られたモノだろうが」

 

 天名が扇を広げる。

 大きな宝石のような瞳が、すうっと細められる。

 

「まるで現実のものではないようだ。幽霊じみているな。これは……」

 

「でもさ、この建物には影響あるみたいだよ」

 

 真砂が指摘するや、そのモノは、スチールの机を乗り越えようとしたのか、ぐいっと乗り上げる。

 

 途端に。

 

「うわあ、こりゃあキツイ」

 

 真砂が冗談めかしてひやかす傍らで、百合子は思わず大きな悲鳴を上げる。

 スチールの机が、照明だけを残して、いきなり崩れたのだ。

 ただ崩れたのではない。

 平凡なスチール材が、いきなりぐちゃぐちゃとした、巨大な赤黒い軟体動物の群体に変換させられたのだ。

 びちゃりと地面に投げ出された軟体動物たちは、その触れた床さえも、次々と同じような軟体動物に変えていく。

 軟体動物の海に、何故かぷかぷか浮かぶランプ。

 モノが進むにつれ、百合子たちの足元に続く床が、どんどん軟体動物の海へと変換させられていく。

 

「やだやだやだあ!! なっ、なんなんですかこれぇ!!」

 

 女子にしてはうにょうにょしたものや虫にも耐性のある百合子ではあるが、この場合はそういう問題ではない。

 この化け物が触れたところ、軟体動物の塊に変えられるのだ。

 では、人間たる自分や、人間に近い容姿の真砂や天名が触られたらどうなるのか?

 

「騒ぐな落ち着け」

 

 という天名の声が聞こえたのか、悲鳴を上げる百合子の心が求めた幻聴か。

 ともあれ、天名の扇から放たれた高熱を含んだ衝撃波が、モノに直撃する。

 一瞬百合子たちの視界がまばゆく輝き、次の瞬間にはそこには、灰も残さず燃え尽きた、モノのわずかな痕跡しかない。

 

「ひっ……ああ~~~、びっくりしたぁ……」

 

 百合子は、急激に力が抜けて、がっくりと上体を折り曲げる。

 

「あっ、あの、天名さん、ありがとうございます……」

 

「ありがたいと思うのなら、あの奥のあれをどうにかせんといかんぞ」

 

 天名が、くいっと形のいい顎をしゃくって、はるか彼方、だだっ広いらしい部屋の奥を指す。

 

「え……奥に何が……?」

 

 百合子がどうにか目を凝らしているが、照明は今の衝撃波で破壊され、部屋の中はごく近く以外は、ほとんど何も見えない。

 

「あれねえ」

 

 真砂が、海岸でも見せた、不思議な浮遊する灯籠を創り出す。

 それが祭りのように、天井近くに幾つも浮かび、広すぎる部屋をかなりくっきりと照らし出したのだ。

 

「何ですかあれ……? こんなところにカプセルホテル……?」

 

 百合子は、最も奥に位置するいくつかの灯籠が照らしている、その六角形の組み合わせを見て怪訝な顔をする。

 百合子は人生でカプセルホテルなるものを利用したことはないが、友人が東京に推し俳優のための「遠征」をした時に送ってくれた写真で、それがどういうものかはおおよそ把握している。

 六角形の、屈めば人が潜れるくらいの大きさの扉が、ハチの巣状に組み合わされて一面に並んでいる。

 

 百合子は、でこぼこした床の凹みを慎重に避けながら、うすぼんやりした、そのハチの巣のじみた小さなドアの並びに近付く。

 背後に、真砂と天名もついて来てくれているのを気配で感じる。

 

「これ……?」

 

 百合子は、ぼんやりとした光で内部からも照らされているその六角形の扉の一つに耳を近づける。

 内部に続く、妙なチューブのようなものが、医療機械にも見える腰ほどの高さの機器に繋がれており、扉の内部から無機質な光が漏れているところから、ますます医療用の装置のような印象は強まる。

 

「え……あの、これ中に人がいるんじゃないですか? 何か聞こえる……呻き声?」

 

 百合子の扉に押し当てた耳に、「来るなぁ」「やめろ」といった低い声と、むにゃむにゃいう寝ぼけた吐息が伝わる。

 

「……? この壁一面にある扉の全部、誰か人が閉じ込められてるんじゃ!?」

 

 よく見ると、内部から漏れる灯りの中に、誰かが腕を動かしたような、棒状の影が映る。

 

「なるほど、職員はここか。ざっと二十数人」

 

 天名は、壁一面に作りつけられたそのカプセルホテルじみた、恐らく人間を横たえた状態で収容する設備を見回す。

 全部に灯りが点いている訳ではなく、ほのかな光が漏れているのが二十数個。

 何故か、全部にチューブが繋がって、用途不明の機器に続いている。

 

「よかった……職員の人生きてるみたいですね。助けないと」

 

 百合子が、扉の一つに取り付いた時。

 

「百合子!! 手を離せ!!」

 

 真砂が珍しく鋭く叫ぶ。

 並んだ扉の前の、チューブが繋がった機械。

 それが意味の分からないランプを明滅させ、急に駆動しだしたように見える。

 

 次の瞬間。

 そこには、さきほど天名が吹き飛ばしたのと寸分たがわぬあの異様なモノが、ぬうっとそそり立っていたのである。