その6 甘い時間

 カーテンを閉めた窓からでも、うっすらと光が漏れて紫王の部屋を仄明るくしていた。

 紫王はなんとなくそわそわした気分でベッドに腰かけ、見慣れた部屋の中を見回した。

 

 彼の使っている私室は、八畳程度の広さ。

 作り付けのクロゼット。姿見も机も、暗いトーンの和風モダンでまとめられている。

 シルバーアクセサリーの散らばる身だしなみ用の机の上で、鏡が光る。

 壁の一面には、妖怪変化を耽美に描くことで有名な画家の筆による、月を背にした龍女の、妖しい絵が飾られている。

 本棚の中に収まっているのは、古今東西の武器についての図鑑や、戦争やそれに付随するもの――城塞や、各国の戦術についての学術書などというもの。もちろん、昨今の軍事分野、いわゆるミリタリー系の解説書なども多い。

 一方で、日本刀や和鎧の装飾を始め、美術関係の専門書も本格的なのがある。

 蔵書を見た母親が、そなたはやはり阿修羅の子なのじゃなと笑ったのが記憶に新しい。

 

 今、紫王がかけているのは、クルミ材で作られた、凝った和風のダブルベッド。

 清美に念入りに掃除を命じておいたからか、きれいにベッドメイクされ、部屋の他の部分同様、塵一つ落ちていない。

 紫王は煤竹色《すすたけいろ》と生成りのスウェットのセットアップだ。普段なら、上のパーカーを脱げばそのまま寝間着になる、のだが。

 

 控えめに、紫王の部屋の扉を叩く音がした。

「入れよ。そんなに他人行儀にすんな」

 紫王が促すと、恥ずかしそうに入って来たのは、瑠璃だった。眼鏡は外して、華やかな造作が目立つ。

 彼女の豊満な肢体は、タオル地のキャミソールとホットパンツに包まれていて、煽情的なことおびただしい。風呂上り特有の、フローラルな香りがふわんと漂った。

「ほら、来い」

 紫王は瑠璃を促し、ベッドの隣に座らせた。

「紫王くん……」

 瑠璃の頬が赤いのは、確実に風呂上りだからという理由ではなかろう。

 

 休日のこの時間、紫王の部屋には、紫王と瑠璃しかいない。

 普段から同じマンションに住む二人の妖怪としての家臣――この部屋に出入りして家事を担当している清美も、上がり込んで紫王とじゃれあっていることが多い仁も、今日は遠慮して姿を見せない。

 何故ならば。

 

「瑠璃」

 紫王は瑠璃を抱き寄せ、唇を塞いだ。

 以前よりねっとりした、濃厚なキス。

「紫王くん、私……」

 そっと唇を離して覗き込むと、瑠璃の目は興奮に潤んでいた。

「分かってる。瑠璃は初めてなんだろ? 優しくするから、俺に任せろ」

 紫王はぎゅうっと瑠璃を抱きしめた。

 体の力が抜け、安堵の吐息が紫王の耳にかかった。

 

「瑠璃」

「え……?」

「俺たち、ケッコン、するだろ」

「……うん」

「だから、こういうこと、しないと、おかしいだろ」

「……うん」

「怖いか?」

「ちょっとだけ……痛いのかなって」

「大丈夫だ。痛くないように、するから……」

「うん。信じる」

 すんなりした手が、ぎゅっと紫王にすがりついた。

 

 瑠璃の家族にはまだ話していないが、妖怪の世界――紫王の両親と、その周辺の妖怪たちの間では、すでに瑠璃は紫王の婚約者だ。進められるところまで、仲を進めた方がいいとは、誰もが思っていることだった。

 言われるまでもなく、紫王自身も、瑠璃に対しての自らの欲情を意識するようになった。

 瑠璃自身とて、何も考えない訳ではない。

 家族に、すでに自分は紫王と交際している旨を伝えたのだ。

 もし、少し前だったなら、家族全員から反対されたかも知れない。紫王は地元の資産家の御曹司以前に、瑠璃の通う学校では札付きの不良で名が通っていた。

 

 しかし、である。

 今や、紫王は瑠璃の命の恩人だ。

 それに加え、瑠璃が以前にも他校の不良に絡まれた時に助けてもらったことがある、紫王は喧嘩以外の悪事――煙草や薬物や窃盗などはやっていない、と証言したのも大きかった。

 実際には飲酒は自宅で少々することもあるが、実は阿修羅の血を引く紫王には、あまり飲酒の意味はない。

 というのも、阿修羅はアルコールに対する耐性が異様に高く、大量に飲酒したとしても、ほとんど「酔う」といえる状態にならないからだ。彼らにとって「酒」は、祭礼など特殊な場合に使うのを除いては、ほとんど無意味な「臭い水」なのである。

 

 阿修羅の血を引く紫王が酔うのは、酒ではない。別のもの。

 

「瑠璃、愛してる」

 紫王は、婚約者の耳元で囁いた。

「俺に全部見せろ、瑠璃」

 

 紫王は、そのまま瑠璃をベッドに押し倒した。