「行ってきまーす」
妙羽は、玄関の引き戸を引き開けて、元気よく外へ出た。
あの事件があった翌日、妙羽は特に何をするでもなく、いつものように登校しようとしている。
天気は快晴。
自宅前の細い私道の両脇から、緑の木々が影を投げかけ、土の地面をまだらに彩っている。
妙羽の艶やかな長い髪にも、木漏れ日のアクセサリーがこぼれていた。
「にゃあん」
妙羽の足元で、三毛猫が鳴いた。
「伽々羅。来ると思う?」
妙羽はゆっくりと歩きながら、そんな風に口にした。
「多分来ますにゃあ」
見上げる三毛猫の口から、ころころと楽し気な少女の声が転がり出る。
「周囲の不審の目を避けるために、奴は転校翌日に休む訳にもいかないはずですにゃ。かといって、学校で希亜世羅様と鉢合わせ、という事態も避けたいはずですにゃ。すると、選択肢は二つに絞られますにゃ。逃げ出すか、それとも……」
「私が学校に辿り着く前に、仕掛けてくるか?」
「ですにゃ。それに、周辺の霊子流擾乱パターンがいつもと大幅に違いますにゃ。これは言うまでもないことですにゃ?」
にゃあん、と尻尾を立てて妙羽についてくるルイこと伽々羅が、ピンクの鼻をひくつかせた。
「ああ、確かに」
穏やかと言えるほどにのほほんと微笑みながら、妙羽はきらめく緑の重なりを見上げた。
「来たねえ」
何か大きなものが、緑を突き破って、地面に突き立った。
妙羽は立ち止まる。
形の良いぽってりした唇を微笑みの形に吊り上げながら、「それ」を見返した。
「設楽くん? すっごいイメチェンだねえ。どうしたの?」
微笑みながら呼びかけたその生き物は、人間の形ではなかった。
ごく大まかに言うなら、人間に似ていなくもない。
妙羽の見知った、あの少年が「それ」のベースにあるのは間違いがない。
だが、明らかに人間と言えない器官が付属している。
背中を覆う翼は、蝙蝠の骨格に、炎を纏いつかせたように見える。正確に言えば、炎状に霊子が周囲の環境霊子と反応しているのだ。
同時に、手足の先端には、骨状の籠手と具足めいた器官がまとわりつく。
そして男らしい顔の右半分を、赤黒い羽毛でできた仮面状のものが覆い、その奥で異様に光の強い目が射貫くような視線を送り出している。
虹彩の色は、金色だった。
「さぁて。何に化かされたのですかにゃ。こんな姿になって」
三毛猫ルイがぶるんと身を振るうと、そこにいたのは、昨日姿を見せた巨大な宇宙猫だ。
「ふうん。他の二人がいないね。そういうこと、かな?」
ふふっと軽やかな妙羽の笑いも、既に冴に届いていないようだ。
ぎらぎらと目を光らせ、無言で妙羽を睨みつけるその様子は、昨日までのあの妙に貫禄のある研ぎ澄まされた退魔師少年のそれではない。ある意味、一種の狂犬病の獣じみた野放図な怒りに満ちていた。
「……コロス」
ぼそっと呟かれた冴の声に、妙羽はふと胸を突かれた気になった。
「……設楽くん?」
「コロス……お前ハ……コロス」
翼に纏う地獄のような炎が燃え上がり。
冴だった「もの」は、一気に妙羽との距離を詰めた。