39 まぼろし大師

「これはお初にお目にかかる。常世の使いと、刻ノ石を生み出せる者。会いたかったぞ。冴祥に上手くやれとせっついた甲斐があったわい」

 

 その剣のような角の鬼は、大きな口を吊り上げて燃えるような笑みを見せる。

 百合子は決まり悪そうな冴祥を睨みつけたあと、その鬼に向き直る。

 

「……あなたが、ひょっとしてまぼろし大師?」

 

 百合子の鋭い問いに、まぼろし大師は更に笑みを深くする。

 

「ほう、知っていてくれていたか。冴祥に聞いていたか? いかにも、わしはまぼろし大師よ。そなたの主になる者と名乗っておこうかの?」

 

 百合子は、いきなりそんな侵害的なことを言われた嫌悪で顔を歪める。

 

「何言ってるの?」

 

「そなたには、わしの配下になってもらう予定よ。主の求めに従って、刻ノ石を生み出してもらう。いや、良い配下を手に入れたわい」

 

 まぼろし大師は笑う。

 百合子は、あまりにも百合子の意志を無視した一方的な言い草に、心底ぞっとする。

 赤の他人の意志まで、自分の好きにできると確信して疑っていない異様さ。

 逆に言えば、この人物は、今までそれが当たり前のように許されて来たのであろう。

 

「嫌よ」

 

 しかし、百合子はきっぱりと拒絶する。

 まぼろし大師が怪訝な顔をする。

 にわかに百合子の言葉が信じられないように。

 百合子は更に拒絶の言葉を重ねる。

 

「私があんたなんかの配下になる訳ないでしょう。絶対にあんたのために刻ノ石を作るなんてお断りだわ。なんではいわかりましたって言うと思ってたの?」

 

 その言葉に応じたのは、まぼろし大師ではなく、冴祥である。

 

「まあ、百合子さん。急な話でびっくりなさるのはわかりますけど、ちょっと落ち着いてください」

 

 冴祥の手の中にあるものを見た百合子が息を呑む。

 

「ナギちゃん!?」

 

 冴祥の手の中には、鏡に封じられたままのナギの姿がある。

 

「何ですか冴祥さんアナタ!! 常世の使いに、こんなことしていいと思ってるんですか!?」

 

 ナギが鏡の中で羽ばたきながらニャアニャア叫ぶが、冴祥は動じた様子もない。

 

「百合子さん、あなたがね、まぼろし大師様の言うことに従ってくださらないと、ナギさんが割を食うことになりますよ」

 

 冴祥の手の中の、ナギが封じられた鏡が、にわかに薄黒く曇り始める。

 

「わーーーっ!! 何ですかコレッ!! ちょっ、息苦し……!!」

 

 ナギの悲鳴が苦しそうなものになっていくのが、百合子にもわかる。

 彼女の顔が見る間に青ざめる。

 

「ナギちゃん……!! 冴祥さんやめて!! やめないと酷いわよ!!!」

 

 百合子は反射的に手の中に神器を呼び出そうとする。

 が、何も起こらない。

 

「あー、百合子さん、ごめん。あなたの神器はここ……」

 

 今度は暁烏が、別の鏡を掲げる。

 その中にあるのは、太陽のような形をした、百合子の神器「傾空」である。

 

「すみません。この神器は厄介なので、百合子さんから取り上げて封じさせてもらいました」

 

 冴祥が申し訳なさそうに。

 彼の手の中の鏡の中では、ナギが悲鳴を上げる力もなさそうにぐったりしている。

 

「……やめて!! わかったわ、何をすればいいのよ!!」

 

 半ばやけばちで、百合子が叫ぶ。

 まぼろし大師が、天を仰いで哄笑を上げる。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

「ふむ。見た目はなかなか美しいんだけどねえ、この世界」

 

 真砂が、その光景を眺めながらそんな風に評する。

 

 真砂、そして天名がいるのは、満月が中天にかかる美しい夜の広がる世界である。

 山間の盆地は、さやかな月光に照らされて穏やかな表情を見せている。

 その只中に、まるで輝く宝石の飾り紐のように、煌々と灯火を灯す建物が連なっている。

 精緻な細工物のように、様々な城の部分が連なり、まるで群体を成す生き物のように、巨大な城塞を作り上げている。

 盆地を蔓草のように這い回り、山肌を輝かせてうねり、更に山を越えて別の場所へと伸びていく。

 

「感心している場合ではないぞ。この城は全てまぼろし大師の一部のようなもの。我らがここにいるのも、もう察知されているだろう」

 

 天名が、淡々とそう断じる。

 彼女らは、山の稜線の上、月光の降り注ぐ夜空に浮いている。

 

「この『高月城下』は、まぼろし大師が作り上げた、永遠の月夜の下で、無限に増殖する生きた城そのものが支える世界。あの城の中に何がいるのか、わかったものではない」

 

「ああ。だけど、あの城のどこかに、百合子たちがいるはずだ。裏切ってくれた冴祥たちも、そして、まぼろし大師本人も……奴が盗んだ『神封じの石』も」

 

 真砂が応じる。

 

「問題は、彼らがどこにいるかってことなんだよな。それと、神封じの石を奪い返せるかっていう」

 

 まずは、百合子とナギの安全を確保できるかが問題だ。

 真砂が口にすると、天名がすうっと目を細める。

 

「間違いなく、百合子たちは神封じの石の近くに連れて来られているはずだ。百合子の生み出す刻ノ石、そしてナギの場合は本人が、神封じの石のエサになるはずだからな」

 

 そして。

 二人の目は、無限に続く城の一部、から湧き上がって来たその影に釘付けになる。

 

『まぼろし大師様に許可なく、この世界に入り込んだ不届きものよ。大師様の名代たる我が命に従い、地上に降りなさい』

 

 それは奇怪な影である。

 おおまかには人間に似ているように思える形の、目が幾つもあるような男の上半身に、先端に砲台が付いているような、龍の首に似た器官が、八条、伸びてたなびいている。

 

 そいつ一匹だけではなく、似たような形の、少し小型なように見える、砲台が四条の生き物が、無数に従っている。

 

「鬱陶しいわ!!」

 

 天名の超高温の衝撃波が、そいつらに直撃したのはその時だった。