「これはお初にお目にかかる。常世の使いと、刻ノ石を生み出せる者。会いたかったぞ。冴祥に上手くやれとせっついた甲斐があったわい」
その剣のような角の鬼は、大きな口を吊り上げて燃えるような笑みを見せる。
百合子は決まり悪そうな冴祥を睨みつけたあと、その鬼に向き直る。
「……あなたが、ひょっとしてまぼろし大師?」
百合子の鋭い問いに、まぼろし大師は更に笑みを深くする。
「ほう、知っていてくれていたか。冴祥に聞いていたか? いかにも、わしはまぼろし大師よ。そなたの主になる者と名乗っておこうかの?」
百合子は、いきなりそんな侵害的なことを言われた嫌悪で顔を歪める。
「何言ってるの?」
「そなたには、わしの配下になってもらう予定よ。主の求めに従って、刻ノ石を生み出してもらう。いや、良い配下を手に入れたわい」
まぼろし大師は笑う。
百合子は、あまりにも百合子の意志を無視した一方的な言い草に、心底ぞっとする。
赤の他人の意志まで、自分の好きにできると確信して疑っていない異様さ。
逆に言えば、この人物は、今までそれが当たり前のように許されて来たのであろう。
「嫌よ」
しかし、百合子はきっぱりと拒絶する。
まぼろし大師が怪訝な顔をする。
にわかに百合子の言葉が信じられないように。
百合子は更に拒絶の言葉を重ねる。
「私があんたなんかの配下になる訳ないでしょう。絶対にあんたのために刻ノ石を作るなんてお断りだわ。なんではいわかりましたって言うと思ってたの?」
その言葉に応じたのは、まぼろし大師ではなく、冴祥である。
「まあ、百合子さん。急な話でびっくりなさるのはわかりますけど、ちょっと落ち着いてください」
冴祥の手の中にあるものを見た百合子が息を呑む。
「ナギちゃん!?」
冴祥の手の中には、鏡に封じられたままのナギの姿がある。
「何ですか冴祥さんアナタ!! 常世の使いに、こんなことしていいと思ってるんですか!?」
ナギが鏡の中で羽ばたきながらニャアニャア叫ぶが、冴祥は動じた様子もない。
「百合子さん、あなたがね、まぼろし大師様の言うことに従ってくださらないと、ナギさんが割を食うことになりますよ」
冴祥の手の中の、ナギが封じられた鏡が、にわかに薄黒く曇り始める。
「わーーーっ!! 何ですかコレッ!! ちょっ、息苦し……!!」
ナギの悲鳴が苦しそうなものになっていくのが、百合子にもわかる。
彼女の顔が見る間に青ざめる。
「ナギちゃん……!! 冴祥さんやめて!! やめないと酷いわよ!!!」
百合子は反射的に手の中に神器を呼び出そうとする。
が、何も起こらない。
「あー、百合子さん、ごめん。あなたの神器はここ……」
今度は暁烏が、別の鏡を掲げる。
その中にあるのは、太陽のような形をした、百合子の神器「傾空」である。
「すみません。この神器は厄介なので、百合子さんから取り上げて封じさせてもらいました」
冴祥が申し訳なさそうに。
彼の手の中の鏡の中では、ナギが悲鳴を上げる力もなさそうにぐったりしている。
「……やめて!! わかったわ、何をすればいいのよ!!」
半ばやけばちで、百合子が叫ぶ。
まぼろし大師が、天を仰いで哄笑を上げる。
◇ ◆ ◇
「ふむ。見た目はなかなか美しいんだけどねえ、この世界」
真砂が、その光景を眺めながらそんな風に評する。
真砂、そして天名がいるのは、満月が中天にかかる美しい夜の広がる世界である。
山間の盆地は、さやかな月光に照らされて穏やかな表情を見せている。
その只中に、まるで輝く宝石の飾り紐のように、煌々と灯火を灯す建物が連なっている。
精緻な細工物のように、様々な城の部分が連なり、まるで群体を成す生き物のように、巨大な城塞を作り上げている。
盆地を蔓草のように這い回り、山肌を輝かせてうねり、更に山を越えて別の場所へと伸びていく。
「感心している場合ではないぞ。この城は全てまぼろし大師の一部のようなもの。我らがここにいるのも、もう察知されているだろう」
天名が、淡々とそう断じる。
彼女らは、山の稜線の上、月光の降り注ぐ夜空に浮いている。
「この『高月城下』は、まぼろし大師が作り上げた、永遠の月夜の下で、無限に増殖する生きた城そのものが支える世界。あの城の中に何がいるのか、わかったものではない」
「ああ。だけど、あの城のどこかに、百合子たちがいるはずだ。裏切ってくれた冴祥たちも、そして、まぼろし大師本人も……奴が盗んだ『神封じの石』も」
真砂が応じる。
「問題は、彼らがどこにいるかってことなんだよな。それと、神封じの石を奪い返せるかっていう」
まずは、百合子とナギの安全を確保できるかが問題だ。
真砂が口にすると、天名がすうっと目を細める。
「間違いなく、百合子たちは神封じの石の近くに連れて来られているはずだ。百合子の生み出す刻ノ石、そしてナギの場合は本人が、神封じの石のエサになるはずだからな」
そして。
二人の目は、無限に続く城の一部、から湧き上がって来たその影に釘付けになる。
『まぼろし大師様に許可なく、この世界に入り込んだ不届きものよ。大師様の名代たる我が命に従い、地上に降りなさい』
それは奇怪な影である。
おおまかには人間に似ているように思える形の、目が幾つもあるような男の上半身に、先端に砲台が付いているような、龍の首に似た器官が、八条、伸びてたなびいている。
そいつ一匹だけではなく、似たような形の、少し小型なように見える、砲台が四条の生き物が、無数に従っている。
「鬱陶しいわ!!」
天名の超高温の衝撃波が、そいつらに直撃したのはその時だった。