「やあ、グレイディ。噂には聞いていたけど、妖精郷の月夜は、本当に美しいね」
真砂が、ふわりと近づいて来る。
さやかな月光に、纏う雲がぼんやり発光する。
「ようやく故郷に帰って来られたのに、災難だな、グレイディ。早いところ、この騒動を引き起こしている裏切者を捕まえられればいいのだが」
真砂の隣に並んでいた天名が、故郷の危機に心を痛める若者をいたわる。
いい匂いのするしっとりした夜風が、彼女の真紅の翼を撫でていく。
「ありがとう……明日にでも、アーヴィング様にお会いして、詳しい話を聞ければ……多分、妖精郷のあちこちで起こっている事件だ……。もっと詳しい情報を集めないといけないし、アーヴィング様も俺たちの情報を欲しがるだろう……」
グレイディは何か見えないか注意するかのように、ほのかに輝く妖精郷の夜を見回す。
「今回は、そういう話を進めるにあたって、君がより自分や周囲の妖精たちを護れるように、力を貸しに来たんだ」
不意に、真砂が真剣な目になる。
「といっても、その力は、君自身の力なんだけど。私たちが君にあげるのは、きっかけだけなんだ」
グレイディは、その言葉に、目を瞬かせる。
「……どういうことなんだ……?」
「グレイディ。神器は持っていなかっただろう? 今のお前なら、神器を生み出せるはずだ」
天名がそう申し出ると、グレイディは目を見開く。
「神器……? 俺が生み出すだって……?」
「正確には、神器の元になる刻ノ石だね。私が、それを君の心から、この世界に実体化させる」
真砂が説明を始める。
「そして、私がこの場で、その刻ノ石を元に神器を作り出し、以後、お前はそれで戦えるはずだ。こんなことをする奴が、この先どんなやり方で襲い掛かって来るかわからないからな。神器くらいあった方がいい」
天名が補足すると、グレイディは身を乗り出すように。
「……是非お願いしたい。魔法に自信がない訳じゃないが、神器なしではこの先不安だと思っていたところだ……」
真砂と天名はうなずき、真砂がグレイディに近付く。
失礼、とことわってから、グレイディの左胸に手を当てる。
「グレイディ、恐らく君が今一番切実に抱いている思いを、はっきり思い出すんだ。この妖精郷について、君は非常に危機感を持っているんじゃないかな? 護りたいだろう?」
グレイディはその問いかけにうなずく。
「俺は、故郷を、妖精郷を護りたい……あの禍々しいものから、大地も妖精の民も護る力が欲しい……」
真砂が手を当てた、グレイディの左胸がもう一つ満月があるかのように輝く。
真砂が、強く意識を集中して、そのままゆっくり手を引いて行く。
「さあ、これが君の心そのものだ」
真砂に告げられ、グレイディは、はっと彼女の掌を見る。
人の握り拳くらいの大きさの、銀色にきらきら輝く宝玉が、真砂の白い掌の上に乗っている。
月光を固めたように白銀色の、夜の泉のように、その奥にちらちらした銀鱗が瞬くような。
妖精郷の深夜のひそやかさのように、それは優しくしかし凛然ときらめいている。
「これが、俺の……」
グレイディはまじまじとその「刻ノ石」を見据える。
「これが君の、故郷であるティル・ナ・ノーグへの想い。これが、今から、神器に生まれ変わるよ」
真砂が、それを天名に手渡す。
天名はそれを、色白の両手に握り込む。
翼と飾り羽を広げ、天空の祝福を集めるように、輝くその刻ノ石に術の力を集中させる。
更に刻ノ石の光は増大し、天名の姿は光に埋もれているよう。
「さあ、できたぞ……!!」
息を詰めて見守っていたグレイディは、その声にはっとする。
目の前に、何か細長い刃のようなものを捧げ持つ天名の姿が見える。
それは、見たことがないほどに優美な、銀色のレイピアである。
月光を固めたような銀色の刀身は、月に伸びる妖艶な蔓草のような曲線を描き、峰側に、いわゆるケルト風の組紐紋様のようなうねる紋様が、精緻に施されている。
柄には、これも銀色の紐が装飾的に巻いてあり、古雅な竜頭を示す柄頭と共に、妖精郷の神秘を閉じ込めたようだ。
「……これは……これが……?」
グレイディは思わず近づいて、そのレイピアを手に取る。
「このレイピアには、『どんな呪いも一切受け付けない』という力がある」
天名は、静かに説明を始める。
グレイディは、そのレイピアの完璧なバランスを味わっている。
「手っ取り早く言えば、このレイピアの力で浄化された場所や生き物は、二度とあのバケモノキノコに汚染されない。あれは呪いの一種に違いないからな」
それを聞くや否や、グレイディは翅を広げて、森の奥、あの被害に遭った集落に向けて飛んでいく。
「……この辺を浄化してくる。朝までには終わると思うが、戻らなかったらちょっと待っててくれないか……」
「そんなにはりきらなくて大丈夫だ」
天名が笑う。
「一度にかなり広範囲を浄化できる。何なら、かなり上空まで飛んで、眼下一帯を浄化してみるのが効率的だと思うぞ」
「!! ……わかった……!! ありがとう……!!」
きらきら輝く翅を閃かせて、グレイディは、月に吸い寄せられるように、上空に飛翔して行く。
「やれ、予想以上に有用な神器ができたじゃないか。これから、妖精郷でグレイディはひっぱりだこだろうな」
忙しくなり過ぎて、気の毒かも知れないな?
真砂はきらきらした軌跡を目で追いながら笑う。
「あのおかしな術は脅威にならなくなったようなもの。後はあれをしでかした奴を探し出すだけだな」
天名は、神器の出来に満足しているようだ。
と。
「あ、あのさ、天名……真砂……」
いつの間にか、彼女らの背中に近付いて来ていたのは、グレイディの相棒のアンディ。
何か決意を秘めた表情だ。
「ちょうど良かった」
真砂がニンマリする。
「君にも用があったんだよ。正確に言うと、君の胸にある『友達を助けたい』という想いにね」