「設楽、くん……?」
この期に及んでも、妙羽はのほほんとした調子を崩さなかった。
「……誰、この人たち? ウチのガッコの生徒じゃないよね?」
その二人の男性は、一見したところ、高校生ですらなかった。
かといって、この学校内で見かけたこともないから、職員でもない。
完全に部外者と判断するしかない。
「もう、演技はいいんですよ」
そう言って、新月のような冷ややかな笑みを投げかけてきたのは、眼鏡をかけた怜悧な風貌の若者だった。見た目だけなら、二十代の前半程度だ。だが漂わせている雰囲気は、奇妙に老獪な、石のように途轍もない歳月を感じさせる代物だった。
「まさか、本当にこんなに簡単におびき出せるとは思いませんでしたが。ねえ……」
眼鏡の男は、そこでより一層笑みを深めた。いたぶるための獲物を得た猫の残虐さで。
「邪神《じゃしん》、さん?」
妙羽はついっと彼を見上げ。
かくん、と首を傾けた。
「おいおい。本当にコイツかあ? 人間じゃねえのは分かるが、邪神ってほど、大層なモンなのかよ?」
そう突っ込んできたのは、眼鏡の若者の隣にいる、左のこめかみから頬にかけて大きな傷のある男だ。こちらも若い。見た目だけなら、隣の眼鏡の若者より二つ三つ上くらいであろう。しかし、彼もまた、妙に肌にびりびりするような凄みのある気配を放っていて、到底単純に見た目通りの者には見えなかった。「何か」が、人間の皮を被っている。そんなことを感じさせる。
「間違いありません」
しかし、眼鏡の若者は冷淡な調子で口にした。妙に滑らかな美声なのが、余計にぞっとさせられる、そんな声。
「邪神ですよ、彼女は。我らの知っているこの世界の外から来たっていう、破格の邪神です。……ただし、今は力のほとんどを眠らせていますがね。叩くなら今ですよ、主《あるじ》」
眼鏡の奥の視線を、妙羽の背後を固めていた冴に向け、眼鏡の若者はそう告げた。
妙羽、は、じいっとその眼鏡の若者を見た。
彼女の目には、その姿に重なるように、炎を纏わりつかせた骨の翼で長身を支え、腰から下が鎌首をもたげた七匹の蛇じみたものになり、黒い滑らかな甲冑じみたもので上体を覆う異形の影が映し出される。
「祝梯。……本当の名前が何て言うのか知らないが、一応祝梯と呼んでおく」
低いドスのきいた声で、冴は彼女の肩の上に、何かを突きだした。
ぎらりと光る……
日本刀。
本身だ。
どこに持っていたのか。
冷たい鋼の匂いがする。
「一度だけ機会をやろう。お前の真の名を名乗り、俺に従え。もし、大人しく従えば、お前の命は助けてやる」
そう突きつけ、冴は刀の刃を妙羽の首筋に当てた。
妙羽は構わず振り向き、まじまじと冴を見上げた。
子供めいているまでに無造作な仕草に、一瞬冴は呆気に取られ、思わずまじまじと彼女を見つめてしまう。
吸い込まれるように見つめ――
次いで一瞬顔を赤らめ、それを誤魔化すようにぎゅっと、太めの眉をひそめた。
「おい。誰が動いていいと言った!!!」
冴が腹にずんとくるような声で吼えると、妙羽は更にまじまじと彼を見つめた。
「あなたは、誰?」
「なに!?」
「この二人、神の類だよね。格はそれほどでもないけど、結構強い。それを従えてるってことは、術師《じゅつし》なの? 若いのに大したもんだね」
のほほんと告げると、すうっと冴の目が細められた。
「……退魔師《たいまし》、というのは知っているだろう? 神を使い、魔を狩る者だ。お前だって神だろうに、気付かなかったのか?」
雄々しい顔に、禍々しい笑みが浮かぶ。
「……外の世界から流れてきた邪神。喜べ、お前は俺の眼鏡に叶った。使役神にしてやるから、俺に忠誠を誓え」
「やだ」
あまりにあっさり返された言葉に、冴は再び言葉を失った。
「おい!! てめえ、ふざけんじゃねえ!!」
冴以上の声で怒鳴り出したのは、顔に傷のある男だった。
「さっさと主様に従え、さもねえと……」
「余裕ないね。そんなに人間ごときにこき使われてる自分が嫌? 棘山大霊《とげやまのおおち》さんは?」
壊れた人形のように、頭を斜め後ろにかくん、と倒す形で振り向かれて、傷のある男――棘山大霊と呼ばれたその人物はぎくりと身を震わせた。正確に言えば、その奇妙な仕草にではなく、名前を言い当てられたことに、だ。
妙羽の目には見える。背中に灼けた杭のような棘を、まるで巨大なヤマアラシのように生やした、ばかでかい猪らしき存在が、棘山大霊の正体だ。
この国に古くからいる神の一柱、ということになるだろう。
特定の霊子のホットスポットに結びつく代わりに、その場所を霊子の集約点として最良の状態に保つことを役割としてきたエネルギー生命体。環境中の霊子や原子を自らの発生霊子と反応させて操る――この世界では「神通力」とか、ただ単に「力」とか「術」とかという言葉で表現される技術を駆使し、実体としての物理的肉体を持っている。
この宇宙のこの惑星、この文化圏で言うなら「地主神《じぬしがみ》」というのが、その本来の役回りだろうが、それはすでに放棄されているようだ。その役割に取って代わったのが、強力な霊子コントロール技術を持った人間に仕えることなのだろうか。
「あなたの方はよく分からないな。どこから来た人?」
ほっそりした肩ごと頭を逆に倒して、妙羽は今度は眼鏡の若者を振り返った。
「月蝕大神《つきばみのおおかみ》っていうの? へえ?あんまり見ない感じだね。あなたはこの設楽くんには、何で従ってるの? 何か得なことでもあるの?」
無造作な質問に、月蝕大神はメタルフレームの眼鏡の上の端正な眉をきりりとひそめた。
「余計な詮索よりも、あなたの身の心配をしたらどうです? 立場が分かってますか? やれやれ、神の端くれでありながらここまで堕ちるとは」
心底侮蔑したような声と調子で言われたが、妙羽は相変わらずその体を透かして何かが見えているように、彼をじっと見つめていた。
「おい。機会は一度だけと言ったはずだ。お前の答えを聞かせろ」
ふと、頬を冷たいもので突かれて、妙羽はきょとんとした。
何かが頬をぬるりと滑り落ちる感覚で、刀の先でつつかれて軽く出血したのだと知る。
「やだって言ったじゃん。やだ、ヤダ、やあぁーーーだ!!!」
けろけろと、妙羽は笑った。
「あなた方の表現で分かりやすく理由を言うとね、えっとね、普通、ネズミが象を連れて歩きはしないでしょ?」
何の配慮もなしに投げつけられたその言葉に、冴の我慢の緒が切れた。
ひゅん!!
と振られた白刃を、するりと空気に押されるように、妙羽はかわし――ふっと、その姿が消えた。
「月蝕!! 棘山!!」
冴が叫ぶや否や、それぞれの姿がぐにゃりと歪み……次いで、全く異形の何かが現れた。
骨の翼と七匹の蛇の下半身を持つ、骨蝕大神。
ぞろりと棘の山を背負う、棘山大霊。
彼らは目指した。
上を、上空を。
そこにいたのは、うっかり見れば異形の美しさに見とれそうな、異界の神だった。
見事なプロポーションの、美しい女性の肢体は、体の要所に貼り付くような奇妙なで煽情的な衣装に包まれている。
背中には光を集めて作った薄布のような八枚の翼が、幻妖な紋様を見せて広がり、周囲にプラネタリウムじみた影を落としている。
雪白の髪の流れる頭部の両脇に、さながら宝玉を削り出した奇しい王冠のような枝分かれした角が張り出し、異界の王座を誇るようだった。
月蝕大神の蛇が、それぞれ口を開けて青白い光線を射出した。
槍ぶすまのようなそれはしかし、妙羽――であったものの肉体の周囲に展開する不思議な光の紋様に触れるや否や、ふっと消え去った。別の空間に転移でもされたかのように消えたのだ。
同時に、棘山大霊の背中の極太棘が、さながら逆さの雨のように噴き上がった。
本当に豪雨のような音が一瞬湧き上がり……次の瞬間、不可思議な機械音じみたノイズを発する、複雑に伸縮しながら回転するプロペラ状の何かに巻き込まれ、あっさり砕かれた。
あまりに高速回転するので、気まぐれに形を変えるアメーバ状のものにも見えるそれは、棘山、次いで月蝕を巻き込んだ。
短い悲鳴と、血らしきものが飛び散る。
月蝕は蛇の二匹と片方の翼を、棘山は首の後ろから背中にかけての肉をごっそりやられ、そのままふらふらと落下した。
「主……ッ、様……!!」
棘山が地面に激突してからぎょっとしたように叫んだ。
そこに、確かに冴はいた。
しかし、立ってはいない。
代わりに悠然と立っていたのは、不思議な蒼いモアレ模様に包まれた、巨大な猫のような「何か」だった。
正確に言えば「一見地球上で猫と呼ばれる生き物に似ている巨大生物」だ。
牛くらいの大きさがあり、頭の真ん中に一角獣よろしく角が生え、まるでガラス細工のような翼まである。
その大きさに形でも、「猫」に見えるのは、あの丸っこく愛らしいシルエットだからだ。
そいつが、いつの間にか冴を爪にかけて足下に引き倒していた。
冴は気絶しているのか、刀を手にしたままピクリとも動かない。
「形勢逆転、かな? 最初から形勢なんて、あなた方になかったんだけどね?」
妙羽だったものが降りてくる。
主を失った使い神たちの判断は早かった。
「退くぞ!!!」
月蝕大神が叫ぶや、彼と、棘を失った棘山大霊、そして巨大猫に踏み抑えられていた冴の体が消えた。
「あれ? 逃がしていいのかにゃあ?」
猫が、口をきいた。
というよりも、そういう意味の音声に近いものを発した。
その特大化け猫とでも言うべき猫が光の欠片のような翼をぷると打ち振った。
「構わないよ」
妙羽だったものは、同じ言葉で応じて、すいっと手を伸ばし、猫の頭を撫でた。猫は、やっぱりゴロゴロいった。
「ありがと、伽々羅《かから》」
伽々羅と呼ばれた猫は、にゃあん、と鳴いた。
「希亜世羅《きあせら》様の面倒を見るのが、わたいの仕事にゃー」
と言って、まるでやる気を感じさせない仕草でにゅうっと伸びをした。