輝く純白の龍と、腐敗の龍は、空中で真正面から睨みあっていた。
腐敗龍の周囲には、他の惑星の生き物を思わせる不気味な魔物が乱れ飛んでいた。
もし、これがスフェイバの街に押し寄せたら、凄惨な事態になることは間違いない。
しかし、それは直前で食い止められる。
純白の龍の背後には、レルシェントの操る空飛ぶ船が浮かんでいた。
その上にいるのは、いつもの五人に加えて、ナルセジャスルール、そしてその息子カーリアラーン、そして娘のドニアリラータ。
ドニアリラータが華奢な腕を振り上げる。
彼女の周囲の空間がオーロラのように輝き、それを門にするかのように、虹色の宝石のような鱗を持つ龍魚のような生き物が次々に現れた。
神聖さと華麗さ、荘厳さという点で、汚穢で禍々しい腐敗龍の分身たちとは対極をなすその宝玉龍魚は、口から吐き出す聖なる光で、手当たり次第に腐敗の魔物を撃墜していった。
光る薄布のような尾びれが腐敗の魔物に触れるや、恐ろしい切れ味でその穢れた肉体を両断する。
落下する途中で、魔物は光の粒に分解された。
ドニアリラータのその超絶の召喚術を完全に信頼し、純白の龍は翼を広げ、腐敗龍の眼前に立ち塞がった。
その輝ける雲嶺のような姿が、あのオディラギアスの変身した姿だなどと、誰が想像しただろうか。
龍震族は、危機に際して、神より与えられた究極の戦闘形態である「真龍形態(しんりゅうけいたい)」に変化することができる。
まさに伝説の「龍(ドラゴン)」そのものになるのだが、オディラギアスのその姿は、かつて見ないほどに壮麗だった。
まばゆく輝く鱗は、自ら純白の光を放つよう。
白い鷲にも似た翼は、広げれば数十mに及ぶ。
城塞にも似た構築的にして重厚華麗な姿は、見る者をして自然と畏怖を呼び起こさせる。
頭から尾まではおよそ四十mあまり、普通の龍震族の真龍形態より一回り大きいくらいだ。
そんな巨龍が、腐敗の龍の目前に立ちはだかり、スフェイバへの侵攻を食い止めていた。
腐敗龍は苛立たし気に吼える。
そこをどけというように。
すでに、目的であったオディラギアスはどうでもいいようだ。
「あなたは、哀れな方だ、父上」
純白の龍の、ぞろりと牙の生えそろった口から、低い声が洩れた。
「そこまで、あなたの理性も体面も奪い去るほど、あなたの中の罪業や悪意といったものは、巨大だったのですな……」
王であったローワラクトゥンのこの姿は、若き呪厭師カーリアラーンの術によるものだ。
ただし、強引な怪物化の術、という訳ではない。
罪業に対する懲罰、という意味合いの彼のこの術の効き目は、対象の罪業の重さによって効果が変わる。
『つまり、そいつが自分自身に溜め込んでいる罪業とか、悪意といったものを、そのまま形にして、そいつの姿に返すんだ』
と、カーリアラーンは義弟オディラギアスに説明した。
『要するに、今まで重い罪を犯していたり、悪意が強い者ほど、強烈な怪物に変身する術なんだよ。君の父上に使ったけどさ。何ていうか……うん』
もはや、自分でも全く制御できないほどに、ローワラクトゥン王が溜め込んだ罪業と悪意は膨大だった。
膨大過ぎて、身の内に収まらず、無数に分離して肉体を突き破り、周囲に襲い掛かるほど。
それがあの、異星の生物のような腐敗の魔物の正体だ。
軍隊を相手取る手間がある意味省けたが、身内としては、この有様を、到底喜べたものではない。
「父上、あなたの始末は私がつける。もう、誰もあなたを諫めることも鎮めることも、できる者などいないのだから」
龍そのものとなったオディラギアスは、荒い息と共に吐きだした。
「さあ、かかって参られよ。この牙で葬るのが、少なくとも私の父ではあられた、あなたへのはなむけだ」
その言葉の意味が理解できたものか。
腐敗龍は、おぞましい口を開いて、ごうごうと何かを吐き出した。
それは、燃える油にも、吐瀉物にも似ている、奇怪なものだった。
どろりとした質量が、凄い勢いで撃ち出され――
真っ白なまばゆい光が、それを押し返した。
オディラギアスの口から吐き出された、真っ白く輝く光のブレスが、それを一瞬で呑み込み、浄化した。
そのまま寄せ返す津波のように腐敗龍を飲み込んだそのブレスは、穢らわしい表皮をごっそり焼き尽くした。
半ば焦げた生肉のようにまた汚らしい姿になった腐敗龍が突っ込んできた。
オディラギアスに牙が届く前に、オディラギアスの象牙のような真っ白い牙が、その喉笛にざくりと食い込んだ。
同時に、触れた部分から爆炎が上がる。
あの、日輪白華に似た輝き。
龍震族として、通常形態で装備する武器の性質は、真龍形態の爪牙に上乗せされる。
その爪牙に日輪白華の爆砕の力を宿したオディラギアスに、すでに腐敗龍の力は及ぶことはなく。
長いどろどろした首が、白い牙の食い込んだ半ばで、ちぎれて飛んだ。
真っ逆さまに落下するその巨大な質量に、レルシェントが「葬送」の呪文をかける。
命をなくした肉体を塵に還す、聖職者必須の呪文だが、この場合は大地に悪影響を及ぼさぬためだ。
続いて落下した残りの胴体部分の処理も、オディラギアスは心配していなかった。
せめて、最期くらいは神聖な呪文に包まれて。
オディラギアスは、自分でもすっきりしたのか悲しんでいるのか分からない気分のまま、そっと空を見上げた。
悪徳の王の、穢れ歪んでどうしようもなくなった魂を、専門の器具に封じ込めたナルセジャスルールがうなずくのが、視界の端にちらりと見て取れた。